レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/11/16
- 登録日時
- 2008/04/04 02:11
- 更新日時
- 2009/11/20 14:25
- 管理番号
- 埼熊-2007-094
- 質問
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解決
『見沼通船と小山田与清(オヤマダトモキヨ)』p33に出てくる「なまず船」とはどのようなものか。
- 回答
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『日本国語大辞典 10』より〈鯰船〉とは、一般に「船首が鯰の頭のように丸くなっている小船」のことをいう。
以下、見沼通船関係資料に見られる〈なまず船〉の記述を紹介する(■は外字)。
①『浦和市史 通史編2』
p427に、「この水路で用いられた船は1隻で100俵から150俵積みの、通称「なまず船」といわれた「中平■(ナカヒラタセン)船」(似■(ニタリヒラタセン)船・荷足(ニタリ)船とも書かれる)が使用された」とあり。この他に運賃や船数などの記述あり。
p431には見沼通船に使われた船の模型写真あり。
②『新編埼玉県史 通史編 4 近世2』
p447に、「通船開業時には、似■(ニタリ)船38艘と艀(ハシケ)2艘が就航し・・・その船は「なまず船」とも称され、米100~150俵積みの小型船であった」と記述あり。
p437に、図版2-40あり。中■船(見沼通船という。長3丈4~5尺、横7尺位)
③『見沼 その歴史と文化』(浦和市立郷土博物館 1998)
p65に、「別名なまず船と呼ばれる■船が使われていた」とあり、船の大きさや船年貢に関する記述あり。p53に図版「中■船〈船鑑〉より」見沼通船で使っていたものとの注記がある。
④『国指定史跡見沼通船堀整備事業報告書』(浦和市教育委員会)
本編p51に船概念図、p114-舟の復元の写真あり。別編p19に庄之助の分甚丸の記録の中に〈なまず船〉とあり。
別編p21に江戸時代中期以降〈見沼通船において■船を俗称なまず船と称した。まさに的確である〉とあり。また、別編p28に図版〈見沼通船の中■船〉あり。
- 回答プロセス
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『見沼通船と小山田与清』p33の記述「通船に使用された船がいわゆるなまず船といわれるもの・・・」を確認する。
国語辞典に説明があったが、百科辞典類には記述がなし。
《Google》を検索、《Wikipedia》から〈見沼通船〉に掲載されていた参考文献にあたる。
さらに〈見沼〉関係の郷土資料を探索し、いくつかの郷土資料に該当記述が見つかった。
以上を紹介する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 海洋工学.船舶工学 (550 9版)
- 参考資料
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- 『浦和市史 通史編 2』
- 『新編埼玉県史 通史編 4』
- 『見沼 その歴史と文化』(浦和市立郷土博物館)
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『国指定史跡見沼通船堀整備事業報告書』(浦和市教育委員会)
- キーワード
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- 通船
- 浦和-さいたま市-見沼通船堀
- 水運
- 船
- 水路誌
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 定番事例-参考資料-新編埼玉県史-解決
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000043372