島田修海の略歴・生没年等について、当館所蔵資料をお調べしたところ、お求めの情報に関連する項目を確認しました。
以下、情報を確認した資料をお伝えします。
■島田修海の略歴・生没について
略歴・没年は確認できましたが、残念ながら、生年月日は確認できませんでした。
・『明治過去帳 物故人名辞典』(大植四郎/編 東京美術 1983)
p.698「島田修海」の略歴と没年の記載があります。
略歴は「栃木県士族にして明治五年頃…」と始まっており、明治5年以前の記述はありません。
・『呉市史 第3巻』(呉市史編纂室/編 呉市 1964)
p.99-100「第二小 呉軍港の創設と発達(一) 第一一 皇后・皇太子の行啓、皇族の来住」の項に、島田修海が海軍病院の院長である記述が確認できました。
■英語をどこで学んだかについて
島田修海が英語をどこで学んだかについての記述は確認できませんでした。
調査を進めていく過程でご参考になりそうな資料がありましたのでご紹介します。
・『海軍諸例則 別巻』(海軍大臣官房/編 原書房 1994)
p.8-9「一 『海軍諸例則』沿革のあらまし 初版・海軍諸例則の発行」の項に、海軍省内に翻訳の課が置かれた記述があります。
p.96-100「五 下士官兵教育 選修学生制度」の項に、ごく優秀な少数者を選抜して特別な教育を行う過程があったと記述があります。
・『日本海軍お雇い外人 幕末から日露戦争まで』(篠原宏/著 中央公論社 1988)
p.110-112「II 明治初期の海軍お雇い外人 さまざまな建軍案」の項に天保年間(1830-1844年)ごろから寺子屋が急増(藩校・私塾)、開港要求もあり、明治期になって海軍のお雇い外人や海外留学生を受け入れた記述があります。
p.116-117「II 明治初期の海軍お雇い外人 イギリスかオランダか」の項に、海軍創設の際、海軍の学生として府県華族士族100人を集めると記述があります。
p.149-151「II 明治初期の海軍お雇い外人 海軍軍医寮のお雇い外人」の項に、海軍医学にイギリス医学が導入されたきっかけの記述があります。
■そのほかお調べした資料
以下の資料もお調べしましたが、関連する内容は確認できませんでした。
・『佐野市史 通史編 下巻』(佐野市史編さん委員会/編 佐野市 1979)
・『郷土の人々 足利・佐野の巻』(下野新聞社/編,発行 1971)
・『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)
・『栃木県人物・人材情報リスト 2021』(日外アソシエーツ株式会社/編、発行 2020)
・『陸海軍将官人事総覧(海軍篇)』(外山操/編 芙蓉書房 1983)
・『日本海軍将官辞典』(福川秀樹/編著 芙蓉書房出版 2000)
・『近世帝国海軍史要 (増補)』(海軍有終会/編 原書房 1975)
・『日本海軍指揮官総覧』(新人物往来社戦史室/編 新人物往来社 1995)
・『日本近現代医学人名事典 1868-2011』(泉孝英/編 医学書院 2012)
・『日本海軍史』(外山三郎/著 教育社 1980)
・『47都道府県「日本陸海軍」人物ファイル』(太平洋戦争研究会/著 PHP研究所 2009)
・『海軍史と医学史との交点』(後藤幸一/著 東京図書出版会 2008)
・『医の倫理を問う』(秋元寿恵夫/著 勁草書房 1983)
・『幕末の洋学』(中山茂/編 ミネルヴァ書房 1984)
・『明治人名辞典 上下巻』(日本図書センター 1987)
※『現代人名辞典』第2版(中央通信社大正元年刊)の改題複製
・『明治人名辞典 2 上下巻』(日本現今人名辞典発行所/著 日本図書センター 1988)
※『日本現今人名辞典』(日本現今人名辞典発行所明治33年刊)の改題複製
・『明治人名辞典 3 上下巻』(日本図書センター 1994)
※『大日本人物誌』(八紘社大正2年刊)の複製
・『人事興信録 初版 明36.4刊』(人事興信所/編 明治36-44)
URL:
https://dl.ndl.go.jp/pid/779810(最終確認:2024/12/22)