今回の調査では、詳しい経緯についての記述は確認できませんでした。
以下、関連の記述を確認できた資料をご紹介します。
いずれも、宇都宮氏は慶長二年、国綱の代に秀吉の怒りを受け改易され、その子義綱は水戸家の家臣として迎えられたことや、その子孫も同じく水戸家に仕えたと伝えられる、といった旨の記載が確認できました。
・『栃木県史 通史編4』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1981)
p.172-174「第二章 江戸幕府の成立と下野の領主支配 二.大阪夏の陣 下野諸大名の参戦」
・『宇都宮城下史』(福田徳重/編 宇都宮城下史編纂所 1933)
p.6-14「宇都宮歴代城主」
・『徳田浩淳著作選集 1』(徳田浩淳/著 国書刊行会 1983)
p.345-359「24.宇都宮国綱」
・『宇都宮氏歴代の足跡 多気山城ができるまで』(石川速夫/著 宇都宮市制百周年城山地区地域イベント実行委員会 1997)
p.145-152「八 宇都宮氏の滅亡 (二十二)二十二代国綱」
・『下野・宇都宮一族』(七宮 涬三/著 新人物往来社 2006)
p.254-258「第六章 宇都宮一族の没落 その後の国綱」
・『宇都宮藩・高徳藩 謀略、仇討ち、城下を焼き尽くす攻防戦。武士の物語が北関東の要衝の地で展開された』(坂本俊夫/著 現代書館 2011)
p.10-13「第一章 秀吉による宇都宮家の改易 五百年の支配に終止符」
・『宇都宮一族』(宇都宮義真/著 宇都宮義真 1962)
p.35-36「一.下野国宇都宮氏 (五)水戸時代」の項、「㉓義綱 水戸の徳川家の客となった。常陸、下野には旧家臣が多く、統治にも重要価値がみとめられたためであろう。」とあります。
・『宇都宮家系図』(宇都宮義真/著,発行 1958)
(頁番号なし)「廿二代国綱」の項
・『下野史料 36~40』(徳田浩淳/編 下野史料保存会 1972)
39号 p.4-12「宇都宮興廃記(史料)」
・『茂木高等学校 研究の泉 第10号』(栃木県立茂木高等学校/編,発行 1976)
p.3-17「宇都宮氏系図に関する一考察 (大木茂/著)」
・『新編物語藩史 第二巻』(新人物往来社/編,発行 1976)
p.319-359「宇都宮藩(秋本典夫/著) 一.藩体制の確立 宇都宮氏の没落とその残映」
以下の資料は関連の記述を確認できませんでした。
・『宇都宮市史 第2巻 中世史料編』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市史編さん委員会/編)
・『宇都宮市史 第3巻 中世通史編』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1981)
・『宇都宮一族 法然上人をめぐる関東武者2』(梶村昇/著 東方出版 1992)
・『下野宇都宮広綱について』(荒川善夫/著 国学院大学栃木短期大学史学会 1989)