レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年3月13日
- 登録日時
- 2024/06/15 13:41
- 更新日時
- 2024/10/04 15:11
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-171
- 質問
-
解決
白毫院(白毫寺)について知りたい。
- 回答
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白毫院(びゃくごういん)は、大徳寺(京都市北区)の境内にありましたが、今は残っていません。
白毫院についての由緒は、諸説あります。【資料2~4、7、8、11、12、14~16、19、20】
場所についてもはっきりせず、おおよその場所が記されています。【資料2~8、12~14、16~19】
また、白毫院があった付近には、紫式部や小野篁の墓とされる場所があります。【資料2、4、11、13、15~17】
16世紀に入ると、白毫院の土地は、大徳寺内に塔頭を建立するための敷地として売却されました。【資料7、9~11、14】
- 回答プロセス
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●京都に関する事典を確認
・【資料1】白毫院の項目なし。
・【資料2】“白毫院跡”の項目に、白毫院の所在地や変遷、紫式部墓や小野篁墓との関係についての記述あり。
・【資料3】“紫野”の項目に、雲林院の末院である白毫院は戦国末期まで存続していたが廃絶した旨の記述あり。
●“雲林院(うりんいん・うんりんいん)”“大徳寺”との関わりがわかったため、【資料1】を再確認。
・・・“雲林院”“大徳寺”どちらの項目にも白毫院についての記述はなし。
●当館所蔵の郷土資料を検索
・キーワード“白毫院”・・・ヒットなし。
●京都の寺院に関連する資料を確認
・【資料4】白毫院の所在地や変遷、紫式部墓や小野篁墓との関係についての記述あり。
・【資料5】“大徳寺”の項目に、白毫院を寄せて建立した旨の記述あり。
・【資料6】“大徳寺”の項目に、“白毫寺の故地に小庵を設けたのが創建”とあり。
・【資料7】大徳寺塔頭の竜翔寺(龍翔寺)に関連して、白毫寺の土地について詳しい記述あり。
また、大徳寺域の拡大に際して、白毫寺敷地の段階的吸収による旨の記述あり。
●大徳寺との関わりがわかったため、当館所蔵の郷土資料を検索。
・キーワード“大徳寺”
・・・【資料8】紫野に叡山の末寺である白毫院があり、妙超が禅刹に改めた旨の記述あり。
【資料9・10】龍翔寺再興のため、白毫寺の土地が大徳寺に売却されたことがわかる。
【資料11】白毫院について、その土地の変遷などの記述あり。
【資料12】叡山の末寺である白毫院を改めて大徳寺とした旨の記述あり。
●紫式部の墓との関わりがわかったため、CiNiiにて検索。
・キーワード“紫式部供養塔”
・・・【資料13】紫式部の墓の場所について論じた中に、白毫院の所在地についての考察あり。
●国立国会図書館デジタルコレクションにて検索
・キーワード“白毫院 竜翔寺”
・・・【資料14】白毫院の土地の変遷や大徳寺との関わりについて詳しい。
●【資料1~14】の典拠史料を確認
・【資料15】白毫院が天長元年の建立とあり。紫式部と小野篁の墓がある旨の記述あり。
・【資料16】白毫院が雲林院の末院であるとの記述あり。
紫野の白毫院を移した旨の記述あり。
“紫式部塚”の項目に、紫式部の墓が白毫院の南にある旨の記述あり。
・【資料17】“引接寺”の項目に、元は大徳寺の総見院の地に白毫院があった旨の記述あり。
“小野篁塔”の項目に、篁の塔が白毫院の東北にあるという説の記述あり。
“紫式部塔”の項目に、紫野の白毫院に元々あった旨、白毫院は引接寺に移された旨の記述あり。
・【資料18】大徳寺総見院の地に白毫院があった旨の記述あり。
白毫院の南、小野篁の墓の西に紫式部の墓がある旨の記述あり。
・【資料19】紫野の白毫院を移した旨の記述あり。
白毫院は雲林院の末院で、今は引接寺内にあるとの記述あり。紫式部塚、小野篁塚に関する記述もあり。
・【資料20】叡山末寺の白毫院を改めて大徳寺とした旨の記述あり。
・【資料21】総見院を白毫院の跡地に建立した旨の記述あり。また、白毫院の開基はわからない旨の記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 各宗 (188)
- 日本の建築 (521)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都大事典』(佐和 隆研/[ほか]編集 淡交社 1984)p93“雲林院”、p577~578“大徳寺”
- 【資料2】『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』(平凡社 2001)p489“白毫院跡”
- 【資料3】『角川日本地名大辞典 26-[1] 京都府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982)p1385“紫野”
- 【資料4】『京都・山城寺院神社大事典』(平凡社/編 1997)p450“大徳寺”、p579~580“白毫院”
- 【資料5】『望月仏教大辞典 第4巻 増訂版』([望月 信亨/著] 世界聖典刊行協会1980)p3340“大徳寺”
- 【資料6】『茶道辞典』(淡交社 1979)p455“大徳寺”
- 【資料7】『禅院の建築 新訂』(川上 貢/著 中央公論美術出版 2005)p217~220“第三編 大徳寺とその塔頭 白毫寺と意北軒”
- 【資料8】『紫野大徳寺』(佐藤 虎雄/著 河原書店 1988)p4“第二章 大徳寺の沿革”
- 【資料9】『史料大徳寺の歴史』(山田 宗敏/編 毎日新聞社 1993)p247、248、270“第四章 戦国大名と教団の発展”
- 【資料10】『日本名建築写真選集 12』(伊藤 ていじ/[ほか]編集 新潮社 1992)p91“二 塔頭の造立と伽藍の整備 近世の飛躍的な発展”
- 【資料11】『紫野大徳寺の歴史と文化』(竹貫 元勝/著 淡交社 2010)p24、28“第一章 開創”、p155~156“第十章 龍翔寺の山内移建再興”
- 【資料12】『大徳寺』(古田 紹欽/文、坂本 万七/写真、葛西 宗誠/写真 淡交新社 1964)p6“国師と大徳寺の開創”
- 【資料13】『文学』第52巻 第3号(岩波書店 1984)p188~189“紫式部供養塔箚記”
- 【資料14】『禅文化研究所紀要 8』(禅文化研究所 1976)p65~80“大徳寺「寺域」形成過程の研究 -竜宝山大徳禅寺史の研究(一)-”
- 【資料15】『新修京都叢書 第2巻』(野間 光辰/編、新修京都叢書刊行会/編著 臨川書店 1969)所収「京羽二重 巻四」p152
- 【資料16】『新修京都叢書 第15巻』(野間 光辰/編、新修京都叢書刊行会/編著 臨川書店 1969)所収「山州名跡志巻之七」p205、209
- 【資料17】『新修京都叢書 第10巻』(野間 光辰/編、新修京都叢書刊行会/編著 臨川書店 1968)所収「雍州府志巻四」p294、「雍州府志巻十」p738、766
- 【資料18】『新修京都叢書 第14巻(野間 光辰/編、新修京都叢書刊行会/編著 臨川書店 1971)所収「山城名勝志巻第十一」p41~42
- 【資料19】『新修京都叢書 第10巻』(光彩社 1968)所収「山城名跡巡行志第一」p47、「山城名跡巡行志第三」p141
- 【資料20】『正法山誌』(無著道忠/著 思文閣 1975)所収「正法山誌 第八巻」p192
- 【資料21】『大日本史料 第11編之2』(東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1988)所収「龍寶山大德寺誌」p735
- キーワード
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- 白毫院
- 大徳寺
- 寺院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000351544