レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/05/23
- 登録日時
- 2024/10/25 00:30
- 更新日時
- 2024/10/25 08:56
- 管理番号
- 北方 24-0010
- 質問
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解決
1936年(昭和11年)に旭川に豊栄神社ができた、という新聞記事をみたことがある。
神社の以下のことについて知りたい。
1 アイヌ集落であるこの地域になぜ、信仰の異なる「神社」が創られることになったか。
2 創られた経緯といつまでその神社が存在したのか。
●その質問の出典や情報源、調査済み事項など
・豊栄神社は現存していない。
・神社の代表はカワムラカネト(川村カ子ト)氏。
・『旭川市史』に、1938年(昭和13年)に旭川で川村カ子ト氏を代表として結成された町内会「豊栄会」に絡んで豊栄神社の名称が出てくる項がある。
- 回答
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1 『アイヌ史』により豊栄神社建立の新聞記事は北海タイムスの1935年(昭和10年)11月3日に掲載あることが分かり、確認。
→「アイヌの守護神 豊栄神社を建立 近文部落民更生の意気に燃え」という見出しで記事があった。
北海道庁から土地をもらった記念日である11月1日に部落氏結合の必要から神社を建立し、上川神社の柴田社司が修祓・祝詞を、アイヌ代表の川村カネトアイヌが玉串奉奠を行い、その後、カムイノミ式を行ったとある。
2 『旭川・アイヌ民族の近現代史』によると、1918年(大正7年)に上川第5尋常小学校が豊栄尋常小学校に改称されており(1923年(大正12年)廃校)、この学校は近文アイヌ住民の子弟学校であり、校庭では様々なアイヌの文化的催しが行われていたようである。
また、同校の校長を務めた佐々木長左衛門が、1926年(大正15年)に近文アイヌ地区の入り口で佐々木豊栄堂というアイヌ細工の店を開業している。
さらに、近文アイヌ地返還闘争を進めた団体も1932年(昭和7年)に「豊栄互助財団」の名で設立されており、小学校に始まり、この地区における様々な施設・団体に「豊栄」の名前が使われていたことがわかる。
これは現在の鷹栖町近文地区と重なる地域のようだが、詳細は不明。
- 回答プロセス
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(参考資料)
1 アイヌ史 資料編 4 近現代史料 北海道ウタリ協会アイヌ史編集委員会∥編 北海道ウタリ協会 1989.5 ア.0/HO/4 p193
- 事前調査事項
- NDC
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- 民族学.文化人類学 (389 7版)
- 神社.神職 (175 7版)
- 参考資料
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- 1 新旭川市史 第4巻 通史 旭川市史編集会議∥編集 [旭川市] 2009.3 214.21/SH/4 p1381~
- 2 旭川・アイヌ民族の近現代史 金倉 義慧∥著 高文研 2006.4 ア.2/A/イ
- 3 北海道新聞 [マイクロ資料] 昭和10年11月 北海道新聞社∥企画 マイクロフィッシュ(製作) 1978 M/HO/S10-11 11月3日 夕刊2面
- キーワード
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- 旭川
- 豊栄神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000358653