レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/12/20
- 登録日時
- 2025/03/28 00:30
- 更新日時
- 2025/03/28 00:30
- 管理番号
- 6001017182
- 質問
-
解決
高梁市の旧水穴観音院(現在は荒れた山林)が罪人の埋葬地だったとの事で、
その真偽と、いつ頃廃寺になったのか知りたい。
[調査のきっかけ]
宮河内村(現新見市哲多町)の百姓、半助と庄衛門が庄屋を訴えて、逆の徒党の首謀者として打ち首になった事が享保15年4月6日に発生しています。
この件は、当時の家老の私日記に記述されています。(日記を亀山から取り寄せて解読しました)
首は宮河内村へ返されたのですが、胴体の埋葬地を探しています。その有力地が水穴観音院です。
[調査済み資料など]
高梁市史(S54年刊)高梁観光百選 高梁市教育委員会、高梁図書館にも依頼済
- 回答
-
国立国会図書館デジタルコレクションでお調べしたところ、下記資料に以下のような記述がありました。
・『松山村史』安達又二編 1914年(大正3) P.16 永続的識別子:950794 コマ番号:18
「水穴寺跡」の項目に、
「字奥万田水穴にあり。~中略~ 寺庭と思わるる処に施主柿屋善三郎、寛延二巳己二月建立の供養塔あり、一段高所に寺僧の墓あり、開山上人の石碑は寛延二年とあるを以て見れば石川氏松山城主たりし頃の建立なるべく、開山三代若しくは四代にして無住となり次第に廃類せしものの如し」との記述あり。
石川氏は1711~1744年まで松山城主であったことから、寺の建立はそのころであり、次第に廃れていったようです。
また供養塔が建っていたことはわかりましたが、罪人の埋葬地であったとの記載のある資料は当館では見当たりませんでした。
上記資料は国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp)でどなたでも閲覧が可能です。(ご自宅でご覧いただけます)
なお、下記資料に当時の宮河内村(現新見市哲多町)に「穴観音」があるという記載がありましたので、参考までにお伝えします。
・『阿哲郡誌 上』 阿哲郡教育会/編 阿哲郡教育会 p227-228
「穴観音」の項目に、「本郷村宮河内高田(コウダ)の山腹に石灰岩竇あり。竇内の岩壁水蝕せられて恰も石佛の形をなせるものあり。依て穴観音と称するに至る。此亦霊場の一たりしなり。…」との記載あり。
●国立国会図書館デジタルコレクションの資料
・『本郷村史』 本郷村 1954年 p100-101 永続的識別子:2977158 コマ番号:77
上記資料とほぼ同じ内容を読み下したものです。こちらの資料は図書館・個人送信対象資料です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 岡山の名水川端 定三郎/著日本文教出版 (P.115 『水穴観音井』)
- 備中誌上編吉田 研一/編日本文教出版 (P.864 7行目)
- 高梁市史岡山県高梁市史編纂委員会/著高梁市 (P.1168 『水穴の井戸』)
- 高梁観光百選高梁観光百選専門委員会/編集高梁市観光協会 (P.104 『水穴観音』)
- 角川日本地名大辞典33「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編角川書店 (P.1305 奥万田町)
- 松山村史 安達又二/編 (P.16 『水穴寺跡』)
- 阿哲郡誌上阿哲郡教育会/編阿哲郡教育会 (p227-228)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000365330