レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年05月18日
- 登録日時
- 2025/03/23 13:55
- 更新日時
- 2025/03/23 13:55
- 管理番号
- 9000044087
- 質問
-
解決
若尾逸平の銅像が造られたのはいつか。銅像のあった「若尾公園」はどこにあったか。また、戦争中に供出されたのはいつか、戦後再建されたのはいつか。
- 回答
-
若尾逸平(1821-1913)の銅像は、若尾の米寿を記念して、1907(明治40)年に有志により、甲府市愛宕山山腹の若尾公園と中巨摩郡白根町在家塚(現在の南アルプス市)の隆厳院に建てられた。若尾公園は現在は山梨英和学院の敷地となっている。2体とも太平洋戦争時の金属供出令により供出されており、若尾公園にあった像は、1943(昭和18)年の陸軍記念日(3月10日)に供出されたことが当時の新聞記事で報じられている。在家塚の隆厳院にあった銅像は台座を残したままとなっていたが、1987(昭和62)年12月に再建された。
- 回答プロセス
-
1.若尾逸平の伝記を確認。
・『若尾逸平:伝記・若尾逸平(伝記叢書)』(内藤文治良/著 大空社(出版) 2000年)〈資料番号0103895595〉pp.49-52「翁の銅像」の項に「明治四十年。翁の米寿を祝する記念として、有志者が甲府愛宕山の山腹に建てた翁の銅像は……」とある。また、碑文「逸齋若尾翁銅像銘幷序」の掲載があり、最後に「明治四十二年四月」と書かれている。口絵に「若尾逸平翁銅像(明治四十年有志 翁の米寿を祝して甲府愛宕山の中腹に建つ)」の写真あり。
2.愛宕山にあった若尾公園について調査
・『甲府街史』(中丸真治/共著 山梨日日新聞社出版局 1995年)〈資料番号0103110516〉pp.34-35「愛宕町にあった若尾公園、若尾財閥と山田町」の項に、英和短大(現在の山梨英和大学)の建っているあたり一帯に若尾公園があり、銅像は金属供出でなくなったこと、若尾公園は、若尾逸平が所有していた山林等を造成して公園とし、1907(明治40)年に一般公開したことなどが書かれている。若尾公園に立つ銅像の写真あり。
・『甲府市史 通史編 第3巻 近代』(甲府市市史編さん委員会/編 甲府市役所 1990年)〈資料番号0101000040〉pp.802-803「金属回収運動」に写真「金属類供出運動の記事(『山梨日日新聞』昭和18年3月31日)」あり。記事のタイトルは「意義深き陸軍記念日に 若尾、佐竹、根津 三翁の銅像献納 三家の当主、多胡知事に申出で」。記事文中に「甲府市愛宕町若尾公園にある若尾逸平翁銅像は明治四十二年四月、翁八十八歳の時有志によつて■造建立された所謂生前の■像である」とある。解読不明箇所があるが、「山梨日日新聞」マイクロフィルムは昭和18年3月31日が欠号のため、紙面の確認はできなかった。
3.インターネット検索。
・産経ニュースの「維新を歩く:隆厳院(南アルプス市) 「新時代」に投資 若尾逸平の生き方」(2018/5/4 07:07)がヒット。「南アルプス市在家塚の曹洞宗「隆厳院」を訪ねた。若尾家の本家の菩提寺(ぼだいじ)だ。明治40年に建立された高さ10メートルを超える若尾の銅像が建つ。戦時中に銅供出で台座だけ残され、昭和62年に地域の有力者らが再建した。」とある。〈 https://www.sankei.com/article/20180504-NSELKVDOEVM2JFMXGODRIH6HYQ/ ※2024.5.18確認 〉
・山梨県立博物館のサイト「シンボル展 生誕200年若尾逸平」内「若尾逸平像について」がヒット。若尾逸平像は、明治40年(1907)に逸平が米寿を迎えた記念として、甲府市愛宕町長禅寺そばと、在家塚村(現在の南アルプス市)隆巌院の2カ所に建てられたと書かれている。オリジナルの若尾逸平像は戦時中の金属供出のために現存せず、甲府の像の所在地も現在は山梨英和学院の敷地となっている。また、在家塚の像は戦後有志によって復元された。隆巌院の若尾逸平像の写真あり。〈 http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol/041_wakao200thaniv/5th_041wakao_021wakaoippeizou.html ※2024.5.18確認 〉
4.1987(昭和62)年、南アルプス市在家塚(旧白根町)の隆厳院の銅像が再建されたときの記事を探す。
・『白根町 広報しらね概要版1961-2003』(白根町役場/編 白根町役場 2003)〈資料番号0103644605〉p.75「主な出来事 昭和62年の年表」に「12月 若尾逸平銅像を再建」とあり、「若尾逸平翁銅像」の写真がある。
・「広報しらね No.216 昭和62年12月号」(「広報しらね No.182~No.216」〈資料番号0201530656〉)p.6に「若尾逸平翁銅像再建 “白根町が生んだ甲州財閥の開祖”」のタイトルで、1987(昭和62)年12月5日に行われた銅像の除幕式について書かれている。「当初、銅像は明治四十一年に建てられた」とあるが、40年の誤りか。「若尾逸平翁略歴」に、明治40(1907)年「甲府長禅寺と在家塚隆厳院に銅像を建つ」とある。除幕式、銅像の写真あり。
※次のものには銅像の再建に関する記事、記述はなし。
・「山梨日日新聞縮刷版 1987(昭和62)年12月号」
・「山梨県立博物館研究紀要」第15集(山梨県立博物館 2021年)
・『新編甲州財閥物語』(斎藤 芳弘/著 山梨新報社 2000年)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 10版)
- 金属彫刻.鋳造 (715 10版)
- 参考資料
-
-
内藤文治良 著. 若尾逸平 : 伝記・若尾逸平. 大空社, 2000. (伝記叢書 ; 328)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002930091 , ISBN 4-7568-0893-X (口絵写真,pp.49-52, 請求記号K289/ワカ/, 資料番号0103895595) -
中丸真治, 楠裕次 共著. 甲府街史. 山梨日日新聞社出版局, 1995.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002552334 , ISBN 4-89710-999-X (p.34, 請求記号K297/ナカ/, 資料番号0103110524) -
甲府市市史編さん委員会 編集. 甲府市史 通史編 第3巻. 甲府市役所, 1990.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I10111100158232 (pp.802-803, 請求記号K297/コウ/, 資料番号0104343900) - 広報しらね No.216 昭和62年12月号 (p. 6)
-
内藤文治良 著. 若尾逸平 : 伝記・若尾逸平. 大空社, 2000. (伝記叢書 ; 328)
- キーワード
-
- 若尾逸平
- 銅像
- 若尾公園
- 隆厳院
- 金属供出
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「広報しらね No.216 昭和62年12月号」p.6「若尾逸平翁銅像再建 “白根町が生んだ甲州財閥の開祖”」の記事によると、1987(昭和62)年に入り、若尾逸平翁銅像再建委員会が設立。生前関係した企業や、町内外の出身者及び地元の協力を得て資金を集め、富山県の鋳造業者により製造。銅像の高さ4メートル、台座5メートル。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000365054