レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年02月06日
- 登録日時
- 2024/09/19 11:49
- 更新日時
- 2024/10/07 14:43
- 管理番号
- 中央-1-0021745
- 質問
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未解決
江戸時代後期(代官という制度があった最後の方)に、大宮駅又は氷川神社の近くで「戸山 八郎」という人物、又はその親が代官をやっていたかどうか知りたい。
- 回答
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旧大宮市の「戸山氏」を調査したが、ご質問の「江戸時代後期」に「大宮駅又は氷川神社の近く」で「戸山八郎またはその親」が代官をやっていた資料は、残念ながら見つからなかった。
お求めの内容に沿うものではないが、江戸時代以降、旧大宮市内の「大和田村」で「戸山一家」が代々名主と戸長を勤めていた資料(回答プロセス○印の資料)を紹介した。
- 回答プロセス
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●「大宮市」や「戸山氏」に関係する棚を見る。
江戸時代の大宮駅または氷川神社の近くは、「大宮宿」か「高鼻村」のあたり、という理解でよいだろう。
○『大宮市史 第3巻 中 近世編』 大宮市役所 1978年
p11~16 享保期、寛政8年、天保期、慶応4年の、各村の代官領主の変遷表あり。
このうち、大宮宿はp13、高鼻村はp14に掲載があり、どちらも、慶応4年(幕末)の代官は「大竹左馬太郎」となっている。
p23~26 享保以降の代官比較表があり、大宮宿の代官変遷が見られるが、「戸山八郎」の名はなし。
p384~385「第58表は八右衛門家の質地証文をまとめたものである。(中略)同家は戸山一家の大本家といわれ、寛文2年(1662)に領主より江戸伝馬役と役山を永代免除され、天和2年(1682)以降村名主を勤め、文化8年(1811)には旗本代官を仰付けられた村内きっての実力者であった。土地集積を行う一方、宝暦9年までに半平(七反一畝二四歩)を分家させ、更に幕末には後述するように土呂村新田の田畑一町歩余をつけて兄の半五郎を村内に分家し、明治初頭には四町四反歩の土地を保有していた。」
p360「検地の翌元禄十二年(1699)の座並びの一件の中で、訴訟人八郎左衛門は、自分の兄八右衛門には御林新畑の割当がなかったと処分の不公平さをついていた。八右衛門の子孫が、真福寺一件の時の名主半右衛門なので、-略-」とある。
※ちなみに真福寺一件(1744~1746)についてはp348~360に詳しく記載がある。
p394 戸山家の分家創出状況が載っている。そこに「八郎左衛門」の記載あり。
宗教・文化編p84 史料二九に「武州足立郡大和田村 戸山半右衛門 文政三年」とあり。文政三年は1820年。p85の解説には大和田村名主となっている。
・『徳川幕府全代官人名辞典』村上直/編 和泉清司/編 佐藤孝之/編 西沢淳男/編 東京堂出版 2015年
「戸山」姓の人物掲載なし。また、p101~102に「大竹勝昌(おおたけしょうしょう)」の項で、「大竹左馬太郎」(左馬太郎は通称らしい)が掲載されており、慶応元年6月15日場所替で関東代官になり、明治元年までその職にいたことが分かる。
○『埼玉苗字辞典 第3巻』茂木和平/著 茂木和平 2007年
p5510「戸山」「足立郡大和田村(大宮市) 元禄三年検地帳に「寛文八年検地・戸山半右衛門、元禄三年・戸山八右衛門・二町一反一畝歩」。此氏は代々代官職を勤める。-略-鷺神社明治二六年碑に戸山八郎」との記載あり。
○『大宮市史 第3巻 上』大宮市役所 1977年
p382~391「元禄三年十二月「武州足立郡大和田村本田畑改水帳」(島村裕祥家文書)」(元禄3年=1690年)
p384「屋敷を登録されていないものは九人いるが、このうちに検地案内者の一人で、当村の名主である(戸山)八右衛門が含まれている。これは八右衛門が屋敷を所持していないのではなく、一種の特権として、屋敷地が年貢課役の対象から免除されていたためと思われる。」※名主(なぬし)=庄屋
p472~473 領主である伊達次郎三郎から八右衛門への文書
p478~479 八右衛門が新名主となったときの文書
○『大宮市史 第3巻 下』大宮市役所 1973年
p215 大和田村 村況「江戸初頭から村内には年具納入の七つの組があり、それぞれの組頭が中心となり、また、交代で名主役を勤めたようであるが、これも月番で行っている。江戸後期には、これら村役人の内から、戸山氏のような「代官」と称される者も出た。おそらく領主伊達氏の賄役となって他の村役人を統括したものと思われるが詳しいことは不明である。明治七年の組合村戸長には当村の戸山八右ヱ門が任命され、-略-」
・『大宮の郷土史 第28号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2009年
p42~43「半鐘建立帳には、「一金壹朱也 戸山八右衛門様」から始まり、多数の人名と寄付額が記されている。」
○『動向録 郷土を創る人びと』地方自治調査会 1987年
p184 戸山泰一 大宮市大和田町「先祖は当時この地方をおさめていた代官で、江戸幕政時代は名主を務め、明治の曙光期は戸長を務めた名門である。」先代は仙一郎氏。
近辺の棚を見たが、当書と苗字辞典以外に記載は見つけられなかった。
※戸長=村長みたいなもの
○『大宮市史 第4巻』大宮市役所 1982年
p144 明治12年の戸長役場表に「大和田村 戸山八右衛門」とあり。
○『さいたま市アーカイブズセンター紀要 第3号』さいたま市総務局総務部総務課アーカイブズセンター/編集 さいたま市 2019年
p23~44 近世前期の村社会における論争と文書作成 戸山八右衛門が関わった文書が多く出ている。
○『さいたま市アーカイブズセンター紀要 第1号』さいたま市総務局総務部総務課アーカイブズセンター/編集 さいたま市 2017年
p64~80「近世前期における旗本知行所の年貢関係文書-武蔵国足立郡大和田村文書を事例に-」
大宮市史等に記載のあった事項がまとめられていてわかりやすい。
○『大宮の教育史調査報告書 4』大宮市立博物館/編 大宮市教育委員会 1989年
p60 大和田村名請地の系譜関係 上記の『大宮市史 第3巻 中 近世編』より少しだけ詳しい系譜が載っている。
●国立国会図書館デジタルで「戸山八郎」等で検索するが、関係なさそうなものが多い。
×『埼玉県史研究 第12号』県民部県史編さん室/編集 埼玉県 1983年
p17-35「江戸幕府関東代官の系譜」(本間清利)
元禄、享保、宝暦の頃の関東代官が分かる。戸村氏はいない。
×『江戸幕府代官史料 県令集覧』村上直/編 荒川秀俊/編 吉川弘文館 1975年
「江戸時代の幕臣を調べる リサーチナビ 国立国会図書館」https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/humanities/post_780(最終確認2024.10.1)によると、この「県令集覧」に手代も載っているようだ。文久3年、慶応2年の県令集覧を確認したが、戸山姓の人は確認できず。
×『分限帳集成-埼玉県史調査報告書-』埼玉県県民部県史編さん室/編 1987年
×『旧旗下相知行調-埼玉県史調査報告書-』埼玉県県民部県史編さん室/編 1986年
×『大宮の郷土史 第27号』大宮郷土史研究会/編 2008年
×『さいたま市史料叢書1』さいたま市総務部市政情報課/編 さいたま市 2002年
旧浦和市の4村の検地帳だった。
×『武蔵国郡村誌 第1巻』埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1953年
×『郷土大砂土村のあゆみ』大島 豊/編 2004年
×『さいたま市博物館研究紀要 第4集 (4)』さいたま市立博物館/編 さいたま市立浦和博物館/編 2005年
×『大宮市文化財調査報告 第17集』大宮市教育委員会社会教育課/編集 1982年
×『大宮の郷土史 第26号』大宮郷土史研究会/編 2007年
×『大宮市立博物館研究紀要 第4号 (4)』大宮市立博物館/編 1992年
×『大砂土史談』黒須 元治/編 大砂土西部教育会 1983年
×『大宮市文化財調査報告 第4集』大宮市教育委員会社会教育課/編集 1972年
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 日本 (281 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 江戸時代
- 大宮
- 氷川神社
- 代官
- 戸山八郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000355655