レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年04月04日
- 登録日時
- 2024/05/22 12:36
- 更新日時
- 2024/12/15 13:39
- 管理番号
- 福郷-219
- 質問
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解決
福岡市中央区の古子烏町(ふるこがらすまち)の地名の由来が知りたい。
- 回答
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◆参考資料1『角川日本地名大辞典』40 福岡県
p.1202に「ふるこがらすまち 古小烏町<中央区>」の項がある。
「江戸期当地に小烏宮(慶長13年警固宮と合祀され,現在の警固神社となる)の仮殿が建てられてから古小烏町と通称されていた。」とある。
小烏宮(小烏神社)については、以下の資料に記載がある。
◆参考資料2『福岡県神社誌』上・中巻
上巻p.72-77に「村社 小烏神社 福岡市大字薬院字浦」の項がある。
警固神社との合祀に伴う遷宮や、それに伴い祭神が誤解される場合があったことなどが記されている。
◆参考資料3所収「上古の遺影小烏の神」武谷水城
◆参考資料4所収「上古の遺影小烏の神に就いて補遺」武谷水城
警固神社と小烏神社の祭神混淆の経緯等詳しく解説されている。
参考資料3の第四捨七集p.4では、古小烏という地名について「今の警固神社の所在地が、小烏大明神の本址(即ち旧址、警固神社の本址は、今の福岡旧城内の地、)にして、警固山上古賀山の旧址は、慶長六年以来八年間(警固神社と共に)の新祀の地に過ぎず。然るに其の後、前記の如く村民等官許を経て、新たに此の山上に小烏様を再祀し、今は郷社とも成れりたれば、或は之を古小烏と称するも可ならんなれども、名称の為めに、史実を誤るの処あることは、成るべく避くるを可とす。」という見解が述べられている。
◆参考資料5『筑前国続風土記』
p.62-64に「警固大明神 小烏大明神 吉祥院」の項がある。
p.123-124に「薬院村」の項があり、小烏神社と警固神社との合祀や遷宮について解説されている。
◆参考資料6『筑前国続風土記附録』上巻
p.32-33に「警固神社幷小烏社」の項がある。
◆参考資料7『太宰管内志』上巻
p.195に「警固神社」の項があり「慶長十三年与薬院町東小烏社合祭」とある。
◆参考資料8『筑前国続風土記拾遺』上巻
p.69-70に「警固大明神社幷小烏大明神社」の項がある。
◆参考資料9『筑前名所図会』
p.108-109に「警固大明神」の項があり、「小烏大明神は古へより此所に鎮座し給ふ」とある。
◆参考資料10『日本歴史地名大系』41 福岡県の地名
p.514-515に「薬院村」の項があり、「産土神は当村の小烏神社。同社はもと福岡城下薬院町の地にあったが、城下建設の時に警固大明神と一緒に下警固村の警固山に祀られ、その後も同村のうちにあったため、他村に産土神があるのは不都合であるとして現在の場所に移された(続風土記)。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 1 角川日本地名大辞典 40 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1988.3 (p.1202)
- 2 福岡県神社誌 上・中巻 大日本神祇会福岡県支部/編集 防長史料出版社 1988.1 (上巻p.72-77)
- 3 筑紫史談 覆刻版 閲覧 第46集-第48集 (第四捨七集 p.1-10)
- 4 筑紫史談 覆刻版 閲覧 第49集-第51集 (第四捨九集 p.35-37)
- 5 筑前国続風土記 貝原 益軒/編 文献出版 2001.6 K291/200/チ (p.62-64)
- 6 筑前国続風土記附録 上巻 加藤一純,鷹取周成/[共編] 文献出版 1977.10 (p.32-33)
- 7 太宰管内志 上巻 伊藤 常足/編録 文献出版 1989.9 (p.195)
- 8 筑前国続風土記拾遺 上巻 (p.69-70)
- 9 筑前名所図会 奥村 玉蘭/著 文献出版 1985.12 (p.108-109)
- 10 日本歴史地名大系 41 平凡社 2004.10 (p.514-515)
- キーワード
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- 福岡市 古小烏町 小烏神社 小烏社 小烏大明神 警固神社 警固大明神 小烏様 警固宮 薬院村 下警固村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000350412