レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/09/09
- 登録日時
- 2021/10/09 00:30
- 更新日時
- 2022/06/03 12:01
- 管理番号
- 6001010623
- 質問
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解決
明治時代、玉島にあった岩田酒店について調べたい。
「花嫁」という酒を造っていたが、失火を出して玉島の地を離れたと聞いた。何か資料はあるか。
- 回答
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備中、中でも玉島、浅口は古くから酒造りの盛んな所として知られていた。玉島の酒造りが発展したのは、高梁川の豊富な地下水が酒造りに適していた事、また玉島湊をひかえ積み出しが容易であったこと、全国的に有名な備中杜氏を黒崎や傍島にかかえ、働き手に恵まれていた事が挙げられる。
明治中期になると、備中杜氏が百名、蔵人は三千名を超えるまでになり、積み出しに便利な玉島に多くの酒屋ができ、活気を見せるようになった。(※6)
岩田家は江戸中期、菩提寺である高運寺の玉島への移転と共に、備中松山から松山藩の玉島新田に一家で移植した。このときから玉島新町の西喜屋(にしきや)が始まる。江戸時代の終わり頃西喜屋を継いだ岩田吉蔵は、繰り綿、種子、砂糖などの問屋として、また造り酒屋として取引を拡大していった。
次代は3人の娘と二男に分家させ、それぞれ西喜屋北店、西喜屋南店、西喜屋西店、本西喜屋として玉島新町で出発した。(※1)(※2)
長女婦さが養子富三郎を迎えて継承した西喜屋北店は新町問屋街の一番水門よりに港問屋を出した。商いは、先代から継承した繰り綿、種子、砂糖、茶、酒(主な銘柄は「花嫁」)などだった。
明治44年、西喜屋北店は二代目富三郎によって、三千鶴酒造に売却されている。二代目富三郎は財産一切を持って出奔。妻子を玉島に残し、鉱山試掘のため山口県萩市に移り住んだという。(※2)
(※2)には、その後の南店、西店、本西喜屋については触れられていない。
ところで、明治20(1887)年8月29日、玉島で大火があった。玉島新町の失火元に隣接する岩田家で爆発が起き酒が港に流れ込んだ。翌30日にかけて30戸177棟に類焼が及んだ。(※3)(※4)(※5)
火事と出奔の因果関係はわからない。
参考:(※1)位置は「旧玉島町役場文書」(倉敷市歴史資料整備室所蔵 49-4-8)で確認できる
(※2)系図が『廻船問屋から六代二〇〇年の物語』岩田 牧子/著 一向社 にある
(※3)この火事の様子は『温古録』進藤 喜八郎/著 に描かれている(倉敷市歴史資料整備室所蔵)
(※4)「山陽新報」明治20年9月4日、9月15日
(※5)『玉島の歴史』玉島商工会議所 に年譜がある
(※6)『たましま歴史百景』玉島テレビ放送株式会社/著・制作 萌友出版
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 廻船問屋から六代二〇〇年の物語岩田 牧子/著一向社
- たましま歴史百景玉島テレビ放送株式会社/著・制作萌友出版 (p84~85)
- 玉島の歴史玉島商工会議所 (p90)
- 温古録 進藤 喜八郎/著(倉敷市歴史資料整備室所蔵)
- 中備の魁全高瀬 安太郎/編倉敷市日本遺産推進協議会
- 山陽新報 (明治20年9月4日、9月15日)
- 「旧玉島町役場文書」(倉敷市歴史資料整備室所蔵 49-4-8
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000305840