レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年8月25日
- 登録日時
- 2021/08/25 15:03
- 更新日時
- 2023/03/01 13:16
- 管理番号
- Obu2021-2
- 質問
-
未解決
①1700年代(18世紀)ロシアの移動手段が知りたい。数百キロ程度の距離のある移動は、どのように行われたのか。
②陸路の移動手段を詳しく知りたい。ボルガ川よりもずっと北部の町(町名不明)からモスクワ辺りまでの交通手段。約1500㎞の距離を徒歩30km/日と考えても、日本の東海道のような宿場町があったのかどうか、当時の状況が知りたい。
- 回答
-
①下記の2冊を提供。新たに②の追加質問を受け、引き続き情報があれば知りたいとの事で調査。
『ボルガ川』1995(デイビッド・カミング/著)
p.6
・ボルカ川は水源から河口までの高低差が少ないことから、水上交通路としても発達しました。
p.33
・ボルガ川とその支流が貴重な交通路でいた。1851年に鉄道が開通しましたが、それでもやはり交通の中心はボルガ川でした。
『ロシアを知る事典』2004(川端香男里/[ほか]監修 )
p.156「かわ(川)」
・「ヨーロッパ・ロシアの主要な町はほとんど川のほとりに位置しており、河川と連水陸路と呼ばれる道を利用してバルト海、白海、黒海、カスピ海へ出ることができた。9世紀にはスカンジナヴィア人(ヴァリャーギ)がこの水路を利用してロシアに入り、ロシア人はビザンティン帝国や東方の諸国と交易した。(略)汽船の導入が一般化したのは19世紀末で、それまでは<ヴォルガの船曳き>が活躍した。
・同資料 p.520「どうろ(道路)」→近代~20世紀
「18世紀の近代化の開始によって帝国領内の道路整備は飛躍的に進み、世紀半ばまでに主要幹線道路ができあがった」
・同資料 p.538「トロイカ」
「(略)日本語でそのまま用いるときにはロシアの伝統的な運搬手段の一つである3頭立て馬車・橇を指すことが多い。(略)この馬車は18世紀末以降、駅逓馬車として使われることが多かったため、ロシアの庶民にはなじみ深く~(略)」とある。
『ヨーロッパ交通史 1750-1918年』2012(サイモン・P.ヴィル/著)
・当館所蔵なし、名古屋市鶴舞図書館に所蔵あり。質問に関連する内容が記載されている可能性あり。
再調査により下記の2冊を関連資料として提供。直接の回答となる記載はあまり見付からなかった。
『極寒のシベリアに生きる トナカイと氷と先住民 』2012(高倉浩樹/編 )
p.56「第2章 トナカイ牧畜の歴史的展開と家畜化の起源」の中の「輸送移動手段としての利用」より
・「家畜トナカイには、荷物を運搬したり、人間が移動したりする際の動力源としての役割も与えられてきた。トナカイの輸送・移動手段としての利用は、橇の牽引、荷物の運搬、騎乗の三つに大別できる。」とあり、実際にどのように乗るのか、トナカイである利点などが数種類のトナカイ橇(そり)の写真と共に記載されている。時代などは記載がない。
・同資料よりp.194「途絶環境化するシベリアの村―ソ連崩壊と温暖化」より
「かつて、馬、トナカイ橇、犬橇の交通手段しかなかったこの村に飛行機が就航したのは一九五〇年代末のことである」「気温が零下四〇度を下回る冬には、村周辺に点在する湖や川がすべて凍ることにより氷上道路が使用できるため、飛行機よりも時間はかかるものの、現在でも比較的便利に移動することができる。」など、交通手段についての記載あり。具体的な時代などの記載はない。
・同資料よりp.173~「氷の上の道路交通」より
p.174「シベリアにはオビ川、エニセイ川、レナ川などのように長さが五千キロ、流域面積が二五〇万平方キロ(日本の七倍)という巨大な河川があり、地図上ではそれらに沿って港の記号も描かれていることから、河川水運が行われていることがわかる。しかし、これらの河川も冬季は凍結してしまい、半分以上の期間は船を通すことができなくなる。冬季は気温が零下五〇度以下まで下がり、凍結によって大河川であっても水運は不可能になるが、一メートル以上の厚みを持った氷はトラックを支えるのに十分な支持力を持っている。そこで、東シベリアでは冬の凍結した河川の上に「冬道路」が設置される。」
p.175「冬道路は通年利用できる道路が作れないために一時しのぎで氷の上を使うというもので決してなく、むしろ自然が作る氷という平坦な面を生かした一つの交通システムであると理解する必要がある。」とあり、冬道路の作り方や仕組み、管理の仕方などが記載されている。いつ頃から使用されているかなどの具体的な時期の記載はないが(おそらく現代の内容)、氷上の移動は以前からあったのではないかと思われる。
『ロシアを知る。』2019(池上彰・佐藤優/著 )
・18世紀の交通に関しての記載はなし。
p.151~152にソ連時代の「陸も、空も、交通インフラのレベルはすごく高かった」という記載あり。
p.265~「諜報活動の丁々発止 ロシアの国民に移動の自由はない」より、「ソ連の場合、移動の自由はありません。」「そう。自由に移動できないんですよ。「プロピスカ」という住民登録制度があるのですが、そこに登録していないと職にも就けません。」「ソ連の場合、一九六〇年代まで、農民はパスポートさえ持っていなかったんです。だから農奴と一緒で、原則移動できないんですよ。」などの記載があり、あまり長距離の移動自体が出来なかったのではないかと思われる。
「プロピスカ」について補足:
「ソ連当局が国民を長年一か所に「縛り付けた」方法は?」
(https://jp.rbth.com/history/84846-soren-tokyoku-naganen-ikkasho-shibaritsuketa-hoho)
RUSSIA BEYOND Webページより
・「ソ連時代には、国が各国民に住まいを与え、パスポートに永住許可である「プロピスカ」がスタンプされた。現在、ロシア連邦には、こうした居住許可はなく、登記のみが行われている(ただし、これもしばしばプロピスカと呼ばれることがある)。」
「ロシア帝国では、パスポートは18世紀に導入された。1724年から、パスポートと呼ばれる書類が建設技術を持った農民に配られ、サンクトペテルブルクその他の都市へ、建設工事に呼ばれた。その際に、国の他の地域で働くために居住地を離れた農民は、パスポートを所持していなければならなかった。それには、当人の外見上の特徴も記されていた。」
「1925年には、プロピスカが初めてソ連で導入された。ソ連国民が持っていたIDには、それぞれの定住地が記されていた。」
「1932年には、パスポート制度が完全復活。そこでは、プロピスカが重要な機能を果たしていた。つまり、プロピスカがあれば、国民は各居住地で、医療を含む政府のサービスを受けられた(無ければ受けられない)。」
「1803年、農民のパスポートは、警察が管理する「居住証明書」に替えられた。この文書を用いて内務省は、全国の農民の移動を管理し、それぞれの地主のもとに戻るよう監督した。」
などの記載あり。
「RUSSIA BEYOND(ロシア・ビヨンド)」
(https://jp.rbth.com)
:独立非営利組織「TV-Novosti」が展開する国際マルチメディア・プロジェクト。ロシア・ビヨンドは、ロシア連邦通信・情報技術・マスコミ監督庁(ROSKOMNADZOR)により2017年3月24日に登録されている。登録番号: El No FS 77 - 69173)
今後ロシアに関連する資料探しに役立つ可能性があるサイトとしてお伝えした。
「ロシアと周辺国、その歴史を如実に物語る鉄道路線コーカサスで切れる鉄道、つながる鉄道・・・」
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43890)
株式会社日本ビジネスプレスグループ JBpress情報サイトより
「ロシアの鉄道」の中に
「鉄道は、18世紀から19世紀初めにかけて急速に発達した水上交通網整備の流れを受けて19世紀に急速に普及し、ともにロシアの発展を支えてきた。」
「最初に鉄の路線が引かれたのは1788年のことと言われるが、乗客を乗せる鉄道は1837年、サンクトペテルブルクから現在も有名な保養地ツァールスコエ・セロー路線が8両編成で開通したのが初めてとされる。」とある。
18世紀に水上交通網整備がかなり進んでいたと思われる。鉄道の開通は19世紀に入ってから。
当館には海外の歴史関連資料が少なく、当時の状況がわかる資料が少なかったため、調査は打ち切りとなった。
- 回答プロセス
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・館内検索にて「NDC682 (交通史・事情) 」「参考資料」
『日本交通史辞典』2003(丸山雍成・小風秀雅・中村尚史/編)→該当なし
『世界交易ルート大図鑑 陸・海路を渡った人・物・文化の歴史 』2015(フィリップ・パーカー/編著)→該当なし
・館内検索にて「NDC238 (ロシア史) 」「参考資料」
『図説ロシアの歴史』2014(栗生沢猛夫/著) →該当なし
『1冊でわかるロシア史』2020(関眞興/著)→該当なし
『ロシアの歴史を知るための50章』2016(下斗米伸夫/編著)→該当なし
『ロシア史』1979(岩間徹/編)→年表p.31 1851年モスクワ・ペテルブルグ間、鉄道開通。
・館内検索フリーワード「ロシア 18世紀」
『世界の歴史 10』2002(近藤和彦/監修)→該当なし
『世界の歴史 9』2021(羽田正/監修)→貸出中の為確認出来ず
・館内検索フリーワード「ロシア 歴史 交通」
『池上彰が注目するこれからの大都市・経済大国 2 』2015(フィリップ・スティール/原著)→現代の交通についての記載のみ。
p.26~鉄道・空路・水路。
『ヨーロッパの小学生 4 』2012(多田孝志/監修)→現代の交通(モスクワ)についての記載のみ。
p.44~地下鉄、トラムとトロリーバス。
『極寒のシベリアに生きる 』2012(高倉浩樹/編)→p.173~「第8章 氷の上の道路交通」に現代の記載あり。
・NDC302(政治・経済・社会・文化事情)の棚をブラウジングにて資料を探した。
『世界の国々 4』2012(帝国書院編集部/編集 )→p.50~ロシア 交通関連情報の記載なし。
『池上彰のニュースに登場する国ぐにのかげとひかり 3 』2009(池上彰/監修・稲葉茂勝/著)→× p.33~ロシア 交通関連情報の記載なし。
『ロシア連邦がよ~くわかる本 ポケット図解 歴史、政治、経済、社会の実態が見える! 』2007(榎本裕洋/著)→該当なし
『極寒のシベリアに生きる トナカイと氷と先住民 』2012(高倉浩樹/編)
p.56「第2章 トナカイ牧畜の歴史的展開と家畜化の起源」
p.194「途絶環境化するシベリアの村―ソ連崩壊と温暖化」
p.173「氷の上の道路交通」
p.175等に関連すると思われる記載あり。詳細は回答にて。
『社会人のための現代ロシア講義 』2016(塩川伸明・池田嘉郎/編)→p.174~「第7講 都市 ロシアの都市インフラ・ビジネスの可能性」より「(2)モスクワの道路と公共交通」では地下鉄、トラムやバス、トロリーバス、マルシュルートカなど、現代の交通手段について記載のみ。
p.231~「第9講 交通路としての北極海 北極海航路の可能性」では気候や状況などによる北極海の船の航路の読み方などが記載されているだけで交通については記載なし。
『池上彰の世界の見方 ロシア 新帝国主義への野望 』2018(池上彰/著)→北極海航路や運河等について記載はあるが交通関連の記載はなし。
『ロシアを知る。』2019(池上彰/著・佐藤優/著)→18世紀の交通に関しての記載はなし。
p.151~152、p.265~「プロピスカ」という住民登録制度によって長距離移動に制限があったのではないかと思われる記載があり、関連資料としてお伝えした。詳細は回答にて。
『地図で見るロシアハンドブック 』2017(パスカル・マルシャン/著)
p.80~「国内交通の整備」より道路の舗装が簡素であった事や高速鉄道関連の記載はあるが、質問事項に関する記載はなし。
『ロシア極東ハンドブック』(堀内賢志・齋藤大輔・浜野剛/編著)
p.90~「物流」より、「シベリア鉄道とバム鉄道」「港湾」などに現在の物流で使用される鉄道やコンテナなどの記載はあるが質問事項に関する記載はなし。
その他館内資料にて調査。
『ロシアを知る事典』2004(川端香男里/[ほか]監修)
・p.156「かわ(川)」、p.520「どうろ(道路)」、p.538「トロイカ」に関連資料あり。詳細は回答にて。
・インターネットエクスプローラー検索「18世紀 ロシア 交通」
「ロシアと周辺国、その歴史を如実に物語る鉄道路線コーカサスで切れる鉄道、つながる鉄道・・・」
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43890)株式会社日本ビジネスプレスグループ JBpress情報サイトより
「ロシアの鉄道」の中に
「鉄道は、18世紀から19世紀初めにかけて急速に発達した水上交通網整備の流れを受けて19世紀に急速に普及し、ともにロシアの発展を支えてきた。」
「最初に鉄の路線が引かれたのは1788年のことと言われるが、乗客を乗せる鉄道は1837年、サンクトペテルブルクから現在も有名な保養地ツァールスコエ・セロー路線が8両編成で開通したのが初めてとされる。」とあり。
18世紀に水上交通網整備がかなり進んでいたと思われる。鉄道の開通は19世紀に入ってから。
レファレンス協同データベース検索 キーワード「ロシア 交通史」
・埼玉県立久喜図書館 ヴォルガの船引き人夫はどのように船を引いていたのか。
『ボルカ川』1995(デイビッド・カミング/著 )
p.6ボルカ川は水源から河口までの高低差が少ないことから、水上交通路としても発達しました。
p.33ボルガ川とその支流が貴重な交通路でいた。1851年に鉄道が開通しましたが、それでもやはり交通の中心はボルガ川でした。
(ウェブ・ページ最終閲覧日2021.8.27)
- 事前調査事項
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フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」「ロシアの交通」より参照
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%80%9A 最終閲覧日2021.8.27)
「水上交通」→「主要なロシアの川一覧」ロシアの水上交通の港を以下に示す。
・海上交通の港:北海のムルマンスク、フィンランド湾のサンクトペテルブルク、黒海のノヴォロシイスク、日本海のナホトカ、ウラジオストク
・河川交通:ドン川のロストフ・ナ・ドヌ、ヴォルガ川のヴォルゴグラード、オビ川のトムスク、エニセイ川のクラスノヤルスク、レナ川のヤクーツク、極東のアムール川河口のハバロフスク
ほか、北ドヴィナ川、ネヴァ川、スヴィリ川、シベリア地域ではエニセイ川、レナ川などの川が利用されている。他の交通機関とのハブとなる町には、ウスチ=クート、ブラーツク等がある。
・運河:首都モスクワは、近郊にモスクワ運河を持ち、この運河からモスクワ川、ヴォルガ川等を伝い白海、バルト海、カスピ海、アゾフ海、黒海と行き来できるため「五海洋への港町(портом пяти морей)」と呼ばれる。ヴォルガ・バルト水路、白海・バルト海運河、ヴォルガ・ドン運河
- NDC
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- 交通史.事情 (682 10版)
- ロシア (238 10版)
- 政治.経済.社会.文化事情 (302 10版)
- 参考資料
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デイビッド・カミング , 新井朋子. 川の地理図鑑 : 人びとのくらしと自然 6. 偕成社, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I073342400-00 , ISBN 4036292609 -
川端香男里 [ほか]監修 , 川端, 香男里, 1933-. ロシアを知る事典. 平凡社, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004350848-00 , ISBN 4582126359 -
サイモン・P. ヴィル 著 , 梶本元信, 野上秀雄 訳 , Ville, Simon P , 梶本, 元信, 1948- , 野上, 秀雄, 1945-. ヨーロッパ交通史1750-1918年. 文沢社, 2012.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024016815-00 , ISBN 9784907014001 -
高倉浩樹 編 , 高倉, 浩樹, 1968-. 極寒のシベリアに生きる : トナカイと氷と先住民. 新泉社, 2012.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023514791-00 , ISBN 9784787711120 -
池上彰, 佐藤優 著 , 池上, 彰, 1950- , 佐藤, 優, 1960-. ロシアを知る。. 東京堂出版, 2019.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029702274-00 , ISBN 9784490210118 -
「ソ連当局が国民を長年一か所に「縛り付けた」方法は?」
RUSSIA BEYOND Webページより (https://jp.rbth.com/history/84846-soren-tokyoku-naganen-ikkasho-shibaritsuketa-hoho) - 「RUSSIA BEYOND(ロシア・ビヨンド)」HP ((https://jp.rbth.com))
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「ロシアと周辺国、その歴史を如実に物語る鉄道路線コーカサスで切れる鉄道、つながる鉄道・・・」
株式会社日本ビジネスプレスグループ JBpress情報サイトより (https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43890)
-
デイビッド・カミング , 新井朋子. 川の地理図鑑 : 人びとのくらしと自然 6. 偕成社, 1995.
- キーワード
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- ロシア
- 交通
- 交通史
- 18世紀
- ロシア史
- 陸路
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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埼玉県立久喜図書館 レファレンス事例検索
「ヴォルガの船引き人夫はどのように船を引いていたのか、陸上から引いたのか水中に入って引いたのか知りたい。また、船を引くときに使用した用具の形状や素材も知りたい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000251697
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000303655