レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月25日
- 登録日時
- 2017/03/16 10:33
- 更新日時
- 2017/03/22 17:54
- 管理番号
- 福井県図20160725-1
- 質問
-
未解決
上田三平が大正9年(1920)に文部省技師・中川忠順を案内した史蹟調査の新聞記事が見たい。
- 回答
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福井県文書館所蔵の福井新聞写真複製本(A1061)に11月30日分の記事があり、同日に永平寺を調査する予定だったことがわかり、『史跡を訪ねて三十余年』の記載から、その後岩屋観音を訪れたと推測される。但し、その翌日12月1日分の新聞は残っていないので、質問内容に該当する記事は確認できなかった。
- 回答プロセス
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「文書館所蔵日付別新聞情報」ファイルにより、「福井新聞」の所蔵日付を確認。
大正9年(1920)分は、製本№「A1061」と「S00201」にそれぞれ10~20日分程度しか残っていない。
「A1061」11月30日第3面に次の記事があった。
●「仏像や仏画を全県下に渉りて調査開始」の見出しで、以下の内容が書かれている。
・国宝編入調査のため文部省技師・中川忠順が11月29日来福。名和屋旅館に投宿。
・上田三平氏の案内で、同日丸岡町の寺院を調査。
・その後の調査予定を列挙。
11月30日 永平寺、12月1日 平泉寺 …(略)… 12月6日 佐分利村万願寺。
・途中、敦賀と小浜で一泊する。
⇒『史跡を訪ねて三十余年』の記述から推測すると、11月30日に永平寺調査の後、岩屋観音を訪れたと推測される。石碑の日付とも合致する。「福井新聞」の12月1日分は残っていないので、質問内容に該当する記事は確認できない。(その翌日の12月2日分は残っているが、関連記事はない)
※ この時の調査記録は『若狭及び越前に於ける奈良朝以後の主なる史蹟(福井県史蹟勝地調査報告 第2冊)』福井県内務部、1921 にまとめられている。但し、調査日程等の記載はない。
- 事前調査事項
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『勝山市の石碑』勝山市教育委員会史跡整備課、2014のp166に、2人が勝山市の岩屋観音を訪問した際の石碑が記載されており、「大正9年11月30日」の日付がある。また『史跡を訪ねて三十余年』上田三平・著、上田三平、1950のp26にこの時の回顧があり、岩屋観音を訪れた翌日の「福井新聞」に記事にされたことが記載されている。
- NDC
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- 芸術政策.文化財 (709)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
- キーワード
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- 上田三平
- 中川忠順
- 文化財調査
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212018