レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年07月15日
- 登録日時
- 2015/07/23 13:25
- 更新日時
- 2015/08/14 13:05
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2166
- 質問
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解決
「観光ヤナ」などの「ヤナ」について、歴史などが分かる資料はないか。
- 回答
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1 ヤナは「梁」または「簗」と書き、元来は「川の瀬に杭を打ち並べて水をせきとめ、一か所だけをあけて簀(す)を張り、川を上り下りする魚をそこに受けて取る仕掛け」(『日本国語大辞典』のことを指す。歴史は古く、左記『日本国語大辞典』では、日本書紀(720年)、和名類聚抄(934頃)中の用例が引用されている。
また『国史大辞典』「簗」の項でも、「簗の発明は古く『古事記』『日本書紀』以前のことと考えられている。中世ではそれが広くもちいられ(…中略…)、近世初期の治水技術の発達に伴い、簗の構築技術も進んだとみられる。漁獲対象は鮎・鮭・鱒などなんでも可能であった。簗の経済的価値は場所によって大きく、排他独占的利用が必要であったから、近世ではその権利を領主から安堵され、それに対して相当の運上金などを上納する形態が少なくなかった」とある。
2 岐阜県でのやな漁については『岐阜県昭和農業史 上』(岐阜県,1993年発行)に若干の記載がある(p.327)
---(引用始め)--------------------------
揖斐川や長良川の上中流部においては、やな漁業が盛んに行われていた。中でも特に優れたやなは、「運上やな」あるいは「殿様やな」などと呼ばれ、特権的な扱いを受け保護されていたようである。
---(引用終わり)------------------------
市町村史では、『揖斐川町史』(揖斐川町,1971年発行)p.310~312に「鮎簗」の節があり、近世の房島簗や簗にまつわる争論について記載されている。『藤橋村史 上』(藤橋村,1982年発行)p.438~448にも近世の簗漁について比較的詳しい記述があった。
3 現代(戦後以降)のやな、やな漁については以下の資料に記載があった。
・『岐阜県百科事典 下』(岐阜日日新聞社,1968年発行)p.1503「やな」の項
・『岐阜県における漁具・漁法の分類 第5種共同漁業権行使規則から』(岐阜県農政部水産振興課,1998年発行) … やな漁の概要、図示
・『人と魚の知恵くらべ』(和田吉弘著 岐阜新聞社,2000年発行)…「大きな簀を掛け、こして獲る やな漁」p.154~155
やなが観光化した時期については記載のある資料を見つけられなかった。県関係の新聞記事索引を検索したところ観光ヤナについて一番最初に記事を採録しているのは、毎日新聞1972年8月3日p.13の記事だが、この時点で団体客の利用について書かれているなど、すでに観光化が進んでいる様子が窺える。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 漁船.漁具 (665 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 漁撈
- 河漁
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『岐阜県昭和農業史』(上下 岐阜県,1993年発行)には狭義の農業だけでなく、畜産、漁業などに関する記載も多く含まれている。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000177601