レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年12月15日
- 登録日時
- 2012/05/16 11:17
- 更新日時
- 2012/07/25 14:58
- 管理番号
- 埼熊-2012-010
- 質問
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解決
尾高惇忠(オダカ アツタダ 号は藍香 ランコウ)が書いた漢詩が見たい。尾高惇忠(1830-1901)は渋沢栄一の師。深谷の人。
- 回答
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尾高惇忠(藍香)の書いた漢詩を収録する以下の所蔵資料を紹介した。
漢詩が収録されている資料
『藍香翁』(塚原蓼州(ツカハラ リョウシュウ 別号 塚原渋柿園 ツカハラ ジュウシエン)〔著〕 高橋波太郎 1909) 『新藍香翁』の元版。原文を収録。
「巡信記詩」(序文。詩は「内山峡」を収録)「送家弟東寧遊両毛」「賦示家弟東寧」「五絶八首の四首」「伊香保客中」「吊澁澤平九郎」「六自之作」「富岡」
『新藍香翁 』(塚原蓼州著 青淵渋沢栄一記念事業協賛会 1979)
p15-「巡信記詩」序文の書き下し文。詩は「内山峡」の書き下し文あり。
以下、文中に詩の書き下し文・口語訳あり。
p42「家弟東寧の両毛に遊ぶを送る」
p83-85「無題」
p120-121「伊香保客中」
p130-131「渋沢平九郎を吊す」
p133-137「自ら遣る」「自ら憐む」「自ら笑う」「自ら慰む」「自ら嘲る」「自ら期す」
p152-153「富岡」
p166「秋蚕の詩」
『青淵詩歌集』(渋沢栄一著 渋沢敬三編 角川書店 1963)
p17-22「金洞紀行」
「金洞紀行」は安政三年十一月、栄一と栄一の父市郎右衛門及び尾高惇忠の三人が信州へ旅行した折の紀行文。
著者は尾高淑慎となっている。淑慎は惇忠のこと。全文漢文で随処に栄一及び他の二人の作詩が挿入してある。
尾高惇忠の詩は、p19-20等にあり。
p26「巡信紀詩」(こちらの表記は「紀」)も収録されているが、本書に収録されているのは、渋沢栄一の詩のもの。
『尾高惇忠』(荻野勝正著 さきたま出版会 1984)
p37「巡信紀詩」(こちらの表記は「紀」)に、「内山峡」(藍香(作))の漢詩及び訳文あり。
p191「尾高惇忠は明治三二年(一八九九)黒山を訪れ、実弟平九郎自刃の蹟を弔い、その墓に香華を献げたのである。その際、尾高惇忠は次の七言絶句を賦し(後略)」とあり、七言絶句一編あり。
p199-202「飯能戦争終了直後に、新五郎は「六自之作」と称して六首の七言絶句を作ったが、当時の感懐を察することができる。以下読みと大意を示す。」とあり、六首あり。
p241(富岡製糸場の)「完成の喜びを惇忠は次のように表現している。」とあり、「富岡」の詩あり。
- 回答プロセス
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尾高惇忠について調査する
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p221尾高惇忠 オダカ アツタダ(1830-1901)の項あり。「幼名 新五郎、号藍香(ランコウ)、通称惇忠(ジュンチュウ)」
『埼玉県人物誌 上』(埼玉県立文化会館編 埼玉県立文化会館 1963)
p50 飯能戦争の際に詠んだ詩あり。
『幕末維新埼玉人物列伝』(小高旭之著 さきたま出版会 2008)
従兄の渋沢栄一とも、藍玉の商売で各地を旅行しており、安政5年(1858)の十月、二人で信州方面を巡回した際に作った漢詩を集めた『巡信紀詩』などが残されている」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 漢詩文.日本漢文学 (919 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『藍香翁』(塚原蓼州〔著〕 高橋波太郎 1909)
- 『新藍香翁 』(塚原蓼州著 青淵渋沢栄一記念事業協賛会 1979)
- 『青淵詩歌集』(渋沢栄一著 渋沢敬三編 角川書店 1963)
- 『尾高惇忠』(荻野勝正著 さきたま出版会 1984)
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『幕末維新埼玉人物列伝』(小高旭之著 さきたま出版会 2008)
- キーワード
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- 尾高 惇忠(オダカ アツタダ)
- 漢詩(日本)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000105939