レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005/06/11
- 登録日時
- 2005/09/10 02:10
- 更新日時
- 2009/07/08 11:35
- 管理番号
- 埼久-2005-046
- 質問
-
未解決
戦後、地方巡業をしていた歌舞伎役者から、地方のどの芝居小屋の楽屋にも石川五右衛門ゆかりの日付を書いた泥棒よけがあった聞いたが、その裏付けとなる資料はないか。
- 回答
-
十二月十二日あるいは十二月二十五日と書いた紙をさかさまにして入口の上に貼る、泥棒よけの風習に関する資料は見つかった。この日は、石川五右衛門が大きな泥棒仕事をした日、または釜茹でになった日など諸説ある。以下、石川五右衛門にかかわらず記述のある資料を紹介する。
①十二月十二日説
『近代庶民生活誌 19』p391 五右衛門との関係の記述はない。
『暮らしの伝承』p217-218 五右衛門との関係の記述はない。
大阪市立住まいのミュージアムへ問い合わせをしていただいた回答。
大阪の伝承および実資料から十二月十二日と書いた札を入口の上に貼り付けている。五右衛門が大きな泥棒仕事をした日または釜茹でになった日という伝承がある。
②十二月二十五日説
『心棒ひとすじ 嘉穂劇場とともに伊藤英子聞書』p80 五右衛門が京都で釜茹でにされた命日で、張り紙は泥棒よけ。父が正統歌舞伎役者から教えてもらって始めたようだ。
Webページ《まつばらの民話》 民話39話「泥棒除けの呪いと石川五右衛門」が掲載されており、大阪市や松原市の数箇所から貼ったものがあったという記述がある。
(http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa39.html 大阪府松原市 2005/07/12最終確認)
③石川五右衛門の処刑の日付
歴史的事実とは違う。『歴史への招待 3』によると、典拠として『山科言経日記』に8月23日(新暦では10月7日)とある。
- 回答プロセス
-
《Google》を〈石川五右衛門 & 泥棒よけ〉で検索すると、以下のWebサイトがヒットした。
《嘉穂劇場の新聞記事》から「読売新聞筑豊版 2003.12.26」「毎日新聞筑豊版 2003.12.26」「毎日新聞夕刊 2003.8.5」
(http://www.kahogekijyo.com/rekishi/scrapbook-3.html 嘉穂劇場 2005/07/13最終確認)
《まつばらの民話》
(http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa39.html 大阪府松原市 2005/07/13最終確認)
これらを参考に〈嘉穂劇場〉関係資料の調査および、大阪市立住まいのミュージアムへ問い合わせをする。
また、各種歴史事典、民俗学関係書、五右衛門関連書、歌舞伎関連書にあたる。
追記:上記《嘉穂劇場の新聞記事》は接続できないようである。また、《まつばらの民話》のWebページは以下のように変わっている。
(http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,943,53,267.html 2009/07/08最終確認)
- 事前調査事項
- NDC
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- 歌舞伎 (774 9版)
- 原始宗教.宗教民族学 (163 9版)
- 伝説.民話[昔話] (388 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 石川 五右衛門(イシカワ ゴエモン)
- 歌舞伎
- 護符
- 伝説-民俗-日本
- 照会先
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- 大阪市立住まいのミュージアム
- 寄与者
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- 大阪市立住まいのミュージアム
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000023808