レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025/03/20
- 登録日時
- 2025/03/28 00:30
- 更新日時
- 2025/03/28 00:30
- 管理番号
- 6001016822
- 質問
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解決
庭瀬藩を領した戸川家は後に五家に分かれそれぞれに知行所(陣屋)が築かれたが、
うち倉敷市内には帯江と中庄に陣屋の跡が残っている。
戸川達安四男安利が帯江村など三千三百石を分知され旗本となった帯江陣屋は倉敷
製帽敷地に碑が建っているが、詳細な縄張図(絵図)は伝わっているのだろうか。
また、戸川安通が早島知行地のうち中島村の一部四百石を分知され独立した中島陣屋
に至っては場所も不明確である。かつて中庄の伯備線と旧2号が交差する箇所の丘が
その跡と聞いたことがあるが、現地に痕跡や記念碑は見当たらない。
帯江と併せこちらについても詳細がわかる絵図などがないかご教示願います。
- 回答
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1.帯江陣屋の詳細がわかる絵図について
当館の資料を確認したところ、以下資料に「帯江陣屋絵図」の掲載がありました。
・『戸川家』 早島町戸川家記念館 p8
「戸川家ゆかりの地」の「帯江陣屋跡」に「帯江陣屋絵図」(白黒・小さい)あり。
ただし、上記絵図はかなり小さく、記載されている文字を確認できなかったため、拡大した絵図が掲載された資料があるかどうか早島町に問い合わせました。
早島町の回答は、「当該絵図は個人所蔵の資料を撮影したものと思われるが、作成から時間がたっていることもあり、現在は所蔵者不明で、詳しいことは不明です」でした。
そこで、倉敷市総務課歴史資料整備室に当該絵図を確認してもらったところ、「陣屋にしては大きすぎることから、江戸屋敷の図である可能性が高いと思われる」との回答でした。あわせて、「倉敷市総務課歴史資料整備室のホームページにアップされている下記絵図に、詳細がわかる絵図ではないが、帯江陣屋の様子も描かれている」とのことでしたので以下紹介します。
・倉敷市総務課歴史資料整備室HP(https://www.city.kurashiki.okayama.jp/1438.htm)>倉敷市域の災害に関する歴史資料>嘉永3年の水害>資料1「(嘉永三年水難絵図)」
●詳細な絵図ではないと思われるが、外観の絵図が以下資料に掲載されている。
・『備中領主戸川の時代』 戸川時代研究会編集委員会/編 戸川時代研究会
カラーページに「帯江戸川氏陣屋絵図」あり。
p67 「中庄知行所には陣屋はなく、領地は早島知行所が管理しました。」との記載あり。
・『帯江村史』 帯江村史刊行会/編 日本文教出版
p78 「帯江陣屋の図」(白黒・かなり不鮮明)あり。上記資料の「帯江戸川氏陣屋絵図」と同じ絵図と思われる。
p422 「戸川家宗族、五家に分れ三十八村を有し、邸を撫川、早島(中島を含む)、妹尾・帯江に置く。」との記載あり。
2.中島陣屋の詳細がわかる絵図について
当館所蔵の資料によると、中島陣屋は置かれていなかったようです。
・『新修倉敷市史 3』 倉敷市史研究会/編集 山陽新聞社 p179
「早島の分家である中島戸川家は、陣屋を置かず、早島が管理した。」との記載あり。
・『角川日本地名大辞典 33』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 p793
「中島村」の項目に「『備中村鑑』は、戸川播磨守領分として当村1か村のみを掲げるが、ただし『御陣屋なし、早島へ御頼』と見え…」との記載あり。
・『備中村鑑 上・下』 渡邉 正利/編 内外印刷株式会社出版部 p55
「戸川播磨守様 御陣屋なし早島へ御頼』との記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 戸川家早島町戸川家記念館 (p8)
- 備中領主戸川の時代戸川時代研究会編集委員会/編戸川時代研究会 (p67)
- 帯江村史帯江村史刊行会/編日本文教出版 (p78、p422)
- 角川日本地名大辞典33「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編角川書店 (p793)
- 備中村鑑 上・下渡邉 正利/編内外印刷株式会社出版部 (p55)
- 新修倉敷市史3倉敷市史研究会/編集山陽新聞社 (p179)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000365329