レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2025/01/10
- 登録日時
- 2025/03/28 00:30
- 更新日時
- 2025/03/28 00:30
- 管理番号
- 6001017223
- 質問
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解決
倉敷市の川西遊郭のあった場所、遊郭名などを知りたい。もしできればそれに関する文献、研究論文もあれば見たい。
- 回答
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1.川西遊郭のあった場所の記載と地図、写真の記載のある資料は以下の通りです。
・『おかやま街歩きノオト 第6号』 福田忍/著 福田 忍 p14-17
川西遊郭のあった場所の記載と地図、2009年頃の写真が掲載されています。
・『岡山文化資料 再版 中巻』 桂 又三郎/編 奥山書房 p33
「岡山風俗史(一) 遊郭之部」 桂又三郎/著 に「倉敷市遊郭之図」が掲載されています。昭和四年三月当時のそれぞれの遊郭がどこにあったのか示す地図です。
・『絵図で歩く倉敷のまち』 倉地克直、山本太郎、吉原睦/著 吉備人出版 p24-25、巻末地図「倉敷市新地図」
川西遊郭のあった場所の記載と地図、昭和26年、30年頃の写真が掲載されています。
p24 「昭和3年(1928)の「倉敷市新地図」(巻末)では、「川西町北通」「川西町本通」「川西町南通り」が記されている。北通は倉敷用水に沿っており、本通りと南通の間に「遊郭」の記述がある。」
p24 「川西町は明治4年(1871)に宿場から遊郭になり、昭和5年(1930)には貸座敷が17軒、娼妓は113人で、九州の女性が多かった」とあります。
2.遊郭名について
「国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp)」の下記資料に記載がありました。下記資料はインターネット公開されており、ご自宅でご覧いただけます。
・『全国遊郭案内』 日本遊覧社 昭和5年 p370 永続的識別子:1453000 コマ番号:190-191
「倉敷市遊郭」の項目に、「倉敷市川西町に在って…目下貸座敷は十七軒あり、…娼楼には、岩井楼、月見楼、いろは楼、入船楼、日之出本店、朝日楼、恵比寿楼、日進楼、内美(うちみ)楼、日之出支店、登記和楼、第二日進楼、平和楼、末廣楼、観月楼、明月(めいけつ)楼、富士月楼がある。」との記載があります。
・『岡山民報縮刷版:オール読物 昭和11年度版』 岡山民報社/編 岡山民報社 p194 永続的識別子:1054949 コマ番号:22
「…倉敷市川西遊郭の師走心中…月岡山縣都窪郡中洲村の林某というふ青年は、かねて馴染の川西遊郭登喜和樓抱娼妓と今朝ブロモラールを嚥下して合意の心中を遂げたー」
という記述より「登喜和樓」という名前が挙げられています。
また当館所蔵資料で遊郭名の記載のある資料は、以下の通りです。
・『倉敷・過去・現在Ⅱ』 内田錬太郎/著
p11 昭和26年頃の「川西町えびす楼前」という写真が掲載されています。
3.川西遊郭に関する文献について
以下資料にも川西遊郭についての記載がありました。
・『色街ものがたり』 岡長平/著 日本文教出版株式会社 p55-319 「中島の娼妓と川西の町芸者」
・『倉敷 昭和から平成Ⅱ』 内田廉太郎/著 p59、p62-63 昭和24、38年、平成11年の写真
参考までに、以下岡山県内の遊郭について記載されている資料です。
・『岡山の女性と暮らし 「戦前・戦中」の歩み』 岡山女性史研究会/編 山陽出版社/出版
p29-30 「廃娼運動の進展」昭和3年の貸し座敷及び娼妓数の記載あり。
・『新修倉敷市史 5』 倉敷市史研究会/編集 山陽新聞社
p717-718 「貸座敷と検梅」の項目に記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- おかやま街歩きノオト第6号福田 忍/著福田 忍 (p14-17)
- 絵図で歩く倉敷のまち倉地克直/著吉備人出版 (p24-25、巻末地図「倉敷市新地図」)
- 倉敷・過去・現在2内田 錬太郎/著〔内田 錬太郎〕 (p11)
- 色街ものがたり岡 長平/著日本文教出版 (p55-319)
- 新修倉敷市史5倉敷市史研究会/編集山陽新聞社 (p717)
- 倉敷内田 錬太郎/著 (p59、p62-63)
- 岡山文化資料 再版中巻桂 又三郎/編奥山書房 (p33)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000365313