下記資料を案内した。
資料1『昔話の時代』P65に「山形県最上地方小国郷の、夜宮、堂籠りでも、鎮守祭のなおらいに、うそ話や大口が持ち出される。この夜氏子たちは他集落の親戚を招いて、お堂に籠り、酒をくみかわしながら語り、歌い、踊って夜を明かした。現に存続する、富沢観音の堂籠りは、旧十二月十六日夜、サンゲサンゲの夜籠りは旧十二月はじめに、およそ次の形式を以て行われる語りの部がある。 (1)初めに、その祭(神仏)に関した話・伝説(神主か和尚、または年長者、話上手が語る)。 (2)村内の伝説・事実譚(特に化け物、幽霊、狐狸にだまされた話など怪奇なもの)、昔話(トント昔コ。ダンダン語りとて各自が一話ずつ語る。または、一話を数人が語りついでまとめる)、謎かけ・うそ話(ほらふき)。 (3)終りに、性の話。」と記載されています。
宵宮や堂籠りの際の嘘の言い合いについての記載はありませんが、堂籠りについて記載のある資料を参考までご案内します。
資料2『最上町文化財資料 第11集』P32に「一月十七日 馬頭観世音の堂籠り」という題名で、「月々の十七日は馬頭観世音の縁日である。正月のこの日、小国(現最上町)の村々は、それぞれ祀っている馬頭観音堂とか当前の家に宿をとって前夜から「堂籠り」をやって夜を明かす。この仕来は、馬産地であり、富沢に富山馬頭観世音が祀られているからで、古くから行われていたものである。向町の場合は、元産馬組合事務所の裏に、組合が建立した馬頭観音堂があった。そのお堂で向町の馬飼う人たちが堂籠りをした。「俺らも若いうち仲間とお詣りいって籠った。だがだんだん人数も少なくなった。」というのは六十代の人の話である。この宵は御神酒と持重箱でお詣りに行く。堂が手狭なのでその足で、馬丁さんの家か、「べっとう」と呼んでいた種牡馬の管理人の家に引き上げ、その家を宿にして一晩、直会の宴をやるのであった。信者たちのうち気の合った同志が、酒を交しながら馬作りの話で夜を明かすのであったろう。」と記載されています。
資料3『最上町史 下巻』P509~510に「三月 一七日 お観音春まつり」という題名で「富沢の富山観音、若宮の太郎田観音、東法田の若松観音などは一七日が春の縁日で、のぼりを立てお堂は参詣者でにぎわった。この日餅をついたり、赤飯を作るが、それとご神酒を持っていくのであった。若宮では、一六日の夜からおぶくといって小さく丸めた餅を重箱に詰め、おみき(ご神酒)とともに持って堂籠りした。一般の参詣者は参拝がすむと帰ったが、堂籠りの信者たちは、一晩お堂に籠り明け方帰るのであった。」と記載されています。