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事例作成日
登録日時
2025/03/15 17:43
更新日時
2025/03/28 17:23
提供館
山形県立図書館 (2110039)
管理番号
2024-23
質問

解決

奈良県生駒郡安堵町東安堵には極楽寺という寺院があり、通称「広島大仏」と呼ばれる阿弥陀如来坐像が祀られている。これは原爆ドーム近くに祀られていたことに起因する呼称であるが、以下について調査してほしい。
1.明治以前、恐らく近世の新庄町福昌寺またはその周辺の寺院において、大仏と呼べる大きさの阿弥陀如来坐像を安置している寺院はあったか。もしくは、それのヒントとなるべき「什物帳」のようなものがあるのか。
2.福昌寺について、『最上郡誌』等では海巌山福昌寺として記載があり、領主の娘の菩提のため開基し、明治初年に衰退し英照院に合併したことが分かる。『山形郡巡り道中記』では越後に移転したとするが、そのような歴史を本当に辿ったか、元ネタとなるような似た話があるのか。
3.福昌寺移転後、広島大仏は上記の今泉氏により首は東京、胴体は山形に分けられたとする(なお、今泉氏は山形市横町の呉服商今泉吉之助、横町は彼の原籍、東京は骨董商としての現住所と思われる)が、分けた理由として廃仏毀釈から守るためと言われるのを耳にしたことがある。それが事実と仮定した上で、山形での廃仏毀釈運動が起こる(分けて保存しなければならないほど激化する)およその時期と、新庄市周辺での廃仏毀釈の被害について知りたい。
回答
①大仏と呼べる大きさの阿弥陀如来坐像を安置している寺院はあったか。もしくは、「什物帳」のようなものがあるのか。
県内の寺社、神社などの資料を確認したが、新庄市を含めた最上地域に大仏と呼べるようなものがあったという記録は見つけることができなかった。また、「什物帳」なども所蔵なし。

②福昌寺について
資料1「出羽の黄檗廃絶寺院について」には、福昌寺について以下のように記載あり。『この寺は藩主正誠が長女の菩提の為に建立したもので、当初、寺は海巌山常光院福聖寺であったものを木庵禅師の法を継いで松代象山恵明寺を開いた良寂道明(一六二二~一六八九)を藩主が寺の開山に請い、寺号は福昌寺と改められた。それは貞享三年秋のことであった。(略)この時、大眉禅師から普門寺時代に贈られていた中国将来の観音像をこの寺に安置した。明治維新のあと、しばらくは寺には住職として早坂鳳淵権訓導が住み、明治十一年八月付けで「僧尼現員表」が本山宛に出されている。(略)しかし、住職は高齢であって、その後を継ぐ僧はなく、寺は藩の菩提所の一つであった曹洞宗英照院に合寺された。(略)福昌寺は、今では英照院の観音堂として嘗てのお堂だけが残されていて、その横に多くの墓碑もそのままに残されている』
資料2「新庄市史第4巻」には、明治十二年調べの「社寺明細簿」に「福昌寺」の記載があることが記されている。
資料3「新庄市史第3巻」には、新庄市・最上地方の寺院についての記載があり、福昌寺については由緒のほか安置されている「観音像」に関しても詳しく記載されている。
資料4「出羽国最上郡新庄古老覚書」には福昌寺三代仙門和尚について『隱居の後は下野宇都宮に住居先年遷化也』と記載あり。
なお、これらを含め、大仏について記載のある資料は見つけることができなかった。

③山形での廃仏毀釈運動が起こる(分けて保存しなければならないほど激化する)およその時期と、新庄市周辺での廃仏毀釈の被害について
資料5「山形県史 通史編第4巻」には『廃仏はすでに幕末に、いくつかの藩で実行されていたが、神仏判然令・神道国教化策に刺激されて、神官や平田流国学者らを中心に、寺院を襲ったり、神社の仏堂・仏像・仏具の類を破壊するなどの排仏行動が各地でおこなわれた。』とある。また、出羽三山の状況として『一八七三(明治六)年三月羽黒神社の社号が出羽神社と改められ、ついで国弊小社に列した。そして八月、教部省から西川須賀雄が出羽神社宮司に就任すると、平田篤胤門下の熱烈な国学者であったかれは激烈な廃仏に着手した。石仏・石碑類を破壊して谷や池に投げ棄て、木彫の仏像・仏具類は焼却し、山内の堂塔一一三棟のうち八五棟は破壊または焼却した。』とある。また、その他の地域の状況として『平塩の二王は熊野権現が神社となったので山地に隠されて損傷を生じ、庄内荒倉山の聖観音が山地に埋められて小指を損じ、高畠安久津八幡の仏体が亀岡大聖寺の倉庫に移され、吹浦大物忌神社の弥陀・薬師が女鹿の薬師寺に移され、山形六日町熊野神社の仏体が行方不明になり、八幡神社の弥陀像が宝光院に移された(川崎浩良『山形の歴史』下)。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈の混乱の跡は多く、寺社領の上知もともなって廃寺となったものも多い』とあり。ただし、これらの行動が激化した明確な時期について記されていなかった。また、新庄市史のほか最上地方の町村史を確認したが、廃寺や合祀、改名などの解説のほかに特に大きな被害があったといった記載は見つからなかった。

このほか、福昌寺と広島大仏について調査した論文を紹介。
資料6「最上地域史 第25号」太田の福昌寺について
資料7「最上地域史 第42号」続・太田の福昌寺の大仏について
資料6には福昌寺の由緒を中心に、資料7は大仏の所在と広島大仏を中心に詳しくまとめられており、この中には調査した資料として「広島の大仏殿安置の聖像は、新庄・福昌寺の本尊」という見出しの「山形新聞」(昭和39年9月18日付)と「広島大仏お引越~明日、花車で爆心地供養殿へ~」という見出しの新聞記事(昭和25年8月3日)が紹介されている。

また、当館資料ではないが、国立国会図書館デジライブラリーで調査した資料を2点紹介。
広島県山県郡芸北町発行の「八幡村史」には以下の記載あり。
『第三節 旧社寺・堂宇その他 大仏と釈迦像 建仁のころ(一二〇一年)出羽国最上郡新庄の福昌寺に奉請安置されていた大仏像を本村樽床部落に移徒讃仰されていた。(略)樽床貯水池建設のとき村外に移徒された。』(P397)
また、広島市編「広島新史 年表編」には以下の記載あり。
『1949年9.27 原爆死没者などあらゆる戦争犠牲者を弔う広島供養塔の本尊(広島大仏)として山県郡の三段峡から仏像が舟入用口町の唯信時に移され安置される。』(P64)
回答プロセス
事前調査事項
・『山形郡巡り道中記』(1931年初版発行、1971年再版、名田朔郎発行)によれば、「建仁元年出羽国最上郡新庄山城主戸沢経義公姫君の祈願に依り、日本美術工芸史を賑はした京都の仏師安阿弥が、畢生の心血を注いで、五葉松一本にて、此大仏を作り、新庄町福昌寺に安置した、ところが福昌寺は、明治二年越後国に移転することゝなり、大仏は取残されて土地の素封家今泉氏が、譲り受けて守護し来つた、後故ありて、お首だけは、東京麻布飯倉三丁目に保安し、胴体は、山形県山形市横町に安置せられてゐたのを、大正十四年三段峡保勝会の尽力により、こゝに安置され、身首目出たく邂逅し、広く諸人の奉賽を受くるに至つた。」ものであるらしい。
・『郷土資料叢書 第5輯』(1970年、新庄図書館発行)
・『最上郡誌』(1908年)
・『最上郡誌 増訂』(最上郡教育会編、1929年)
・『京浜山形県出身者要覧』(山形県人協会編、1926年)
・Wikipedia「広島大仏」(2024年7月2日閲覧)
最新のwiki(2023年5月17日更新版)でも指摘されているとおり、戸沢経義なる人物は「戸沢記」等では確認できず、平安時代の建仁年間に安阿弥(=快慶)が大仏を作ったという記述は到底鵜呑みにできない。
NDC
参考資料
  • 石渡 吉彦/著 . 出羽の黄檗廃絶寺院について. 黄檗山萬福寺文華殿, 201607.P93.94. 『黄檗文華』 第135号
  • 新庄市/編. 新庄市史 第4巻 近現代 上 . 新庄市, 199603.p.P695
  • 新庄市/編. 新庄市史 第3巻 近世 下 . 新庄市, 199403.p.P767-779
  • 田口 五左衛門/著,常葉 金太郎/校訂. 出羽国最上郡新庄古老覚書. 臨川書店, 199812. p. P294-295、この他P189.220にも福昌寺関連あり
  • 山形県/編. 山形県史 通史編 第4巻 近現代編 上 . 山形県, 198403. p. P150-156
  • 最上地域史研究会/編. 最上地域史 第25号. 最上地域史研究会, 200303. p. P50-56
  • 最上地域史研究会/編. 最上地域史 第42号. 最上地域史研究会, 202107. p. P30-34
キーワード
照会先
寄与者
備考
調査種別
内容種別
質問者区分
登録番号
1000364508
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000364508 コピーしました。
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