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レファレンス事例詳細

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事例作成日
2024年07月04日
登録日時
2025/03/15 15:48
更新日時
2025/03/28 17:24
提供館
山形県立図書館 (2110039)
管理番号
2024-20
質問

解決

●山形県の幕末から大正にかけての洋食の普及について調べている。当時の洋食屋(レストラン)について調査してほしい。
○屋号 場所(分る範囲で)
○時期(開店から閉店まで、分る範囲で)
    ※精養軒の様に現在も営業してしている店は多い。
○店主・オーナー(プロフィールなど、分る範囲で)
○売り物(料理・サービスなど、分る範囲で)
○客層(庶民・高級・接待用など、分る範囲で)
    ※官庁の接待用に作られ、それが切っ掛けで洋食が広まった地方もある。
○客の評価・反応(分る範囲で)
    ※その店でテーブルマナーを覚えたり、特定のグループの溜まり場になった例もある。
○範囲は地域別でも県庁所在地だけでも、分る範囲でよい。
回答
県庁所在地山形市の中心街である七日町を中心に、大正時代前後の洋食屋(洋食を提供している店)について調べた結果、以下のとおり記載があったことから、相互貸借と複写サービスも含めご案内した。

資料1『やまがた街角』(2008年8・9月号) 「特集/まちかど食堂」
・「街角食堂」(編集部)P4~11
「食堂とは」、「日本の食堂の歩み」、「蕎麦屋が食堂だった?」、「山形の食堂の歩み」について掲載あり。
・「ホットケーキとアイスクリーム」(榎森康一)P12~13
筆者の幼い頃(昭和10~20年代頃)の食堂での思い出が掲載されており、当時七日町にあった食堂についての記載あり。
・「黄昏食堂」(花野秀治)P20~22
筆者の食堂での思い出が掲載されており、七日町にある食堂について、店主の人柄等記載あり。

資料2『街の履歴、人の記憶』
「興味津々・やまがた雑学 食べ物&飲み物」P57~58
カツレツ 明治の初期、ベストセラーになった『東京新繁昌記』(服部誠一著)に、カツレツはイギリスの原産料理で、牛・豚肉の油揚げとある。材料によってそれぞれ、ビーフカツレツ、ポークカツレツだが、略してカツと称した。昭和に入って“ポークカツレツ”では言いにくいというので“トンカツ”といった。宮内省大膳職の島田信二郎の命名だという。
カツレツが山形に伝来したのは明治の四十年前後からである。山形市七日町(四山楼北隣)に、明治二十年ごろから営業している蕎麦屋「美や古」がある。現当主の曾祖母イネが開いたものだが、その子都築正三が、日本郵船の客船天洋丸のコックを辞して帰形、洋食部を付設した。メニューにはカツレツのほかオムレツなどがあって、そのころ使ったコーヒー豆ひき、ひき肉器などが現存している。
明治四十四(一九一一)年の山形市大火で焼失し、現在の店の西隣にモルタル造りの洋食部を新装した。当時としてはまことにハイカラな店であった。現在は旗屋になっているが、モルタル造りの建物は残っている。
昭和二年山形市で全国産業博覧会が開催されたときは、すし、バー、ビヤホールなども兼営したが、やがて大不況の世になって、本業の蕎麦屋に戻った。(平成元年三月二十九日)

資料3『物語七日町』
P23『繁華街の誕生』
市北大火(※)で焼野原となった県庁周辺から七日町・旭銀座の東隣り地区が開発され、旭座の再建や霞城館などの活動写真館ができた。そのうえ、料亭の四山楼・千歳館・のの村・八千代などを核として飲食店が軒を並べる繁華街が誕生した。そして七日町から旅籠町にかけての商店では、ショーウインドーに新商品を飾ったり店頭照明をするようになった。また関東大震災による被災者のUターン組もあって、新しい商売も移入された。カツレツ・ライスカレーなどの洋食店や支那そば屋などが出来たり、街頭でのバナナのたたき売りという新風俗が見られるようになった。(後略)
※「市北大火」・・・明治44年5月8日

P57『七日町グラフティー』
(「都バー」の写真)?若人を魅了したレストラン(大正12年ごろ)
※「都バー」(美や古)については、資料1「街角食堂」、資料2に記載あり。

資料4『写真集 やまがた100年』P387
(写真)洋食専門の店(大正時代) 上山温泉の三嶋丁通りにあった西洋料理店「アヅマ軒」。温泉宿が軒を並べるようになると、湯治客をねらっていち早くオープン、大々的に宣伝に努めた。ウエートレスの大きいエプロンが当時の流行だった。

(写真)若人を魅了した県都のレストラン(大正12年ごろ) 山形市旭銀座の角に出現した都バーは、新しい酒と西洋料理で若い人びとを集めた。店主は体重150kgの巨漢で外航船天洋丸のコックだった人。腕と味に定評があり、長女が色白の美人とあって、通いつめる若者が続出した。
回答プロセス
事前調査事項
 今まで、国会図書館、都立中央図書館、川崎市立図書館、渋谷区立図書館、ネットで調べましたが、明治十七年に旭座通りに開店した「ちとせ亭」一軒を見つけたのみ。
NDC
参考資料
  • 大久保 義彦/編. やまがた街角. やまがた街角編集室 .
  • やまがた街角編集室/編. 街の履歴、人の記憶 田中邦太郎の仕事 . 講談社, 200807.
  • 七日町商店街振興組合. 物語七日町 七日町商店街振興組合三十周年記念誌  199404  189p 27cm . 七日町商店街振興組合, 199404.
  • 山形新聞社/編. 写真集 やまがた100年 . 山形新聞社, 198804.
キーワード
照会先
寄与者
備考
調査種別
文献紹介
内容種別
郷土
質問者区分
社会人
登録番号
1000364498
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000364498 コピーしました。
アクセス数 463
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