レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/09/27
- 登録日時
- 2009/04/01 02:10
- 更新日時
- 2009/04/12 02:10
- 管理番号
- 千県中参考-2008-0005
- 質問
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解決
ドストエフスキー『地下室の手記』(新潮社)のあとがきに1864年4月16日の「日記」についての記述があった。
その全文(日本語訳)を見たい
- 回答
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『ドストエフスキー未公刊ノート』(ドストエフスキー[著] 小沼 文彦訳 筑摩書房 1997)p20-24
『ドストエフスキー 生と死の感覚(』中村健之介著
岩波書店 1984)p294-300
に記載あり。
- 回答プロセス
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1ドストエフスキーの著作年譜をあたる。
手記の表現は、『ドストエフスキー全集 決定版 別巻』(新潮社)「手帖」
『人類の知的遺産 51ドストエフスキー』(内村剛介著 講談社 1978)「手帳」となっているが、本文についての記述はなし。
2 ドストエフスキーの書誌をあたる。
『日本におけるドストエフスキー書誌 論題付 著者索引編』( 佐藤徹夫編 ド翁文庫 2002)
「ドストイエフスキイ文献考」木寺黎二[著] 『ドストエフスキイ文献集成22』(大空社 1996)
「日本のドストエフスキイ文献解題」(『ソヴェート文学』78号)
上記資料に該当なし。
参考までに、Google を検索語「ドストエフスキー」×「1864年4月16日」で検索。
「ドストエフ好きーのページ」中の「中村健之介氏の論文集の細目」
(http://www.coara.or.jp/~dost/5-2-3-1.htm)
より、『ドストエフスキー・生と死の感覚』 (中村 健之介著 岩波書店 1984)に“妻マリヤが病気で亡くなった際に、ドスト氏が妻の病床の横で1864年4月16日付けで書き残した有名な「四月十六日の断章」全文の訳を冒頭に載せ、その断章の内容に関する中村氏の感想や注釈を述べている。『未刊だったドストエフスキー』は、この断章を初め、ドスト氏が書き残した断章やメモ等を集めて旧ソビエトで1971年に刊行された本。”とあった。
3 「未完」を手がかりに、ドストエフスキーの著作を自館OPACで検索すると、『ドストエフスキー未公刊ノート』(ドストエフスキー[著]小沼文彦訳 筑摩書房 1997)に、「妻マーシャの死」の記載があった。
凡例に、”本訳書はわが国ではこれまで完全なものが刊行されたことのない、ドストエフスキーの『雑記帳』、つまり「メモ・ノート」の類であり、筑摩書房刊「ドストエフスキー全集」の補完となるべきものである。(中略)テキストとしては、一九七一年、モスクワのソ連邦科学アカデミー世界文学研究所刊、「文学遺産」シリーズ第八十三巻『未完のドストエフスキー』(中略)を使用(後略)”とあった。
(インターネットの最終アクセス:2008年12月10日)
- 事前調査事項
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『地下室の手記』(新潮社)のあとがき
- NDC
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- 評論.エッセイ.随筆 (984 9版)
- 参考資料
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『ドストエフスキー未公刊ノート』(ドストエフスキー[著]小沼文彦訳 筑摩書房 1997)
(
0105264908) -
『ドストエフスキー 生と死の感覚』(中村 健之介著 岩波書店 1984) (9100064938)
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『ドストエフスキー未公刊ノート』(ドストエフスキー[著]小沼文彦訳 筑摩書房 1997)
(
- キーワード
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- 地下室の手記
- ドストエフスキー
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000053274