レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/11/25
- 登録日時
- 2014/05/22 15:14
- 更新日時
- 2014/07/30 15:19
- 管理番号
- 埼久-2014-037
- 質問
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解決
義経記に「高野川」(現在の古利根川)「高野渡」が記述されているか知りたい。
- 回答
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『義経記』に高野川や高野渡の記述は見つからなかった。
下野(下総)国の高野(現杉戸町)や利根川の記述は見つかったので、参考のため紹介する。
- 回答プロセス
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《Googlebooks》(http://books.google.co.jp/ Google 2012/11/24最終確認)を〈義経記 & 高野川〉〈義経記 & 高野渡〉で検索する。
『信濃 33 3号』(信濃史學會 1981)
文中に『義経記』は出てくるが、「高野渡」の記述は『吾妻鏡』からの引用部分である。
『葛西用水史 資料 上』(葛西用水路土地改良区編 春日部 1988)
「高野渡」は『吾妻鏡』からの引用部分のみである。
義経記を調査する。
『新編日本古典文学全集 62 義経記』(小学館 2000)
底本は「田中本義経記」である。
「地名索引」には「高野川」「高野渡」なし。
「地名索引」の「下総国」内に「下総の国の庄高野といふ所に着き給ふ。」との記載あり。
『義経記』(島津久基校訂 岩波書店 1939)
底本は校訂者蔵の古写本(八巻、無画、胡蝶装、江戸時代初期頃の書写)とのこと。
P36「下総國〔の(ヨ)〕庄高野と云ふ所に著き給ふ。」とあり。
『義経記 1 東洋文庫』(佐藤謙三訳 平凡社 1982)
底本は流布本の一つ、平仮名整版本である。
P69「足柄の宿を通り過ぎ、武蔵の名所堀兼の井をよそながら見て、その昔在原業平が眺めて歌に詠んだという由緒の深い土地を懐かしみ、下野(下総)国の高野というところに着いた。」とある。
『義經記 校訂 上』(木梨信彦校訂 雄山閣 1938)
P29「下野國荘たかのと云ふ所に著きたまふ。」とある。
地名から調べる。
『埼玉大百科事典 3』(埼玉新聞社 1974)
「たかののわたし 高野の渡し」の項目あり。引用されているのは『吾妻鏡』治承五年(1181)閏二月の記事である。
『吾妻鏡地名索引』(国学院大学日本史研究会編 村田書店 1977)
「高野渡 養和一・閏ニ・ニ三」とあり。
『吾妻鏡総索引』(及川大渓著 日本学術振興会 1975)
「高野(下野) 養和元・閏ニ・ニ三 (2巻)」とあり。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店 1980)
「たかののわたし 高野の渡し<杉戸町>」の項目あり。引用されているのは『吾妻鏡』養和元年閏2月の条である。
『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』(平凡社 1993)
「杉戸町」の項目に、「古代から中世にかけては下総国に属し、下河辺庄に含まれていた。鎌倉街道中道が通り、利根川を渡る高野渡もあった。」とある。
「古利根川」の項目に、「(略)…古利根川は高野川と称し、宮代町の万願寺橋付近は鎌倉街道中道の高野渡のあった所と推測されている。」とある。
『埼玉県地名誌 名義の研究』(韮塚一三郎著 北辰図書 1977)
「高野(たかの)旧高野村」の項目では、『吾妻鏡』のみ言及している。
その他調査済資料
『義経記文節索引』(清文堂出版 1982)
『日本古典鑑賞講座 12 曾我物語・義経記』(角川書店 1960)
『日本文学研究大成 義経記・曾我物語』(村上学編 国書刊行会 1993.5)
『義経記 2 東洋文庫』(佐藤謙三訳 平凡社 1968)
- 事前調査事項
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調査済資料『日本古典文学大系37 義経記』(岩波書店 1959)
- NDC
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- 小説.物語 (913 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 義経記
- 杉戸町(埼玉県)-地名
- 高野川
- 高野渡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000153646