レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20250220
- 登録日時
- 2025/02/20 12:59
- 更新日時
- 2025/02/26 11:29
- 管理番号
- 2024-02
- 質問
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鶉木(うずらぎ)(現広島県山県郡北広島町戸谷にある小字)の歴史が知りたい。鉄山関連でできた集落と聞いている。
- 回答
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資料1『山県郡巡り道中記』名田富太郎
p325
「こわやねむたや鶉木峠、かけのすみやがなけにやよい
加計のすみ屋はあつてもよいがこわい宇津羅木なけにやよい」
という歌らしきものを引用して、加計(現広島県山県郡安芸太田町)との往来があったことを説明している。
資料2『加計町史 民俗編』
p463 加計と鉄
「山県郡の有力鉄師に成長した加計村八右衛門(隅屋)経営の鉄山を通して太田川上流域の経済・生活文化が活発にくりひろげていくのであった。それは石見国那賀郡の鉄穴から採取された砂鉄(小鉄)が中国山脈を越えて山県郡の芸北の村々、戸河内加計両村まで運ばれ、そこで焼かれた木炭を燃料に砂鉄を炉の中で融解させ(後略)」
資料1の歌の中に登場する「すみや」「すみ屋」は、上記引用に登場する加計村八右衛門(隅屋)のことと考えられる。
p480 表3-6 享保12年山県郡鉄山の経営者数
「戸谷村 平左衛門
三郎助・助次郎」
戸谷は現在も北広島町戸谷として字が残っている。鶉木はこの戸谷村の範囲に含まれる。
資料3『豊平町の伝説と民話』第一集
p59~68-2 琴谷 庄原 共盛 安中 の伝説と民話
鶉木を舞台にした伝説・民話、お堂や地名由来などが収録されている。写真もあり。
p65 鶉木路
「こわやなんぎや鶉木峠は、鶉木峠がなけりやよい。
鶉木峠はあってもよいが、加計の隅屋がなけりやよい。
加計の隅屋はあってもよいが、鶉木峠がなけりやよい。」
馬子歌として資料1とは少し違う歌を掲載。千代田方面の米を馬で加計の隅屋に運ぶ苦労を歌ったものとして紹介されている。
資料4『豊平町の伝説と民話』第二集
p102 (二)製炭のこと
「戸谷村、民農餘紙炭他に駄賃あるのみ」
上記の出典は資料6『藝藩通志』第三巻 p900上段「戸谷村」
農業以外に紙や製炭、荷物の運搬を仕事としていたことがわかる。
資料5『豊平町の伝説と民話』第三集
p11 一、ムラの変革
豊平町域に江戸時代存在した12の村の名をあげて、明治期の自治体統合の流れを書いている。
- 回答プロセス
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鶉木にあたる地域の郷土資料として資料1、3~5をまずあたった。また鉄山関連という点から製鉄が盛んであった隣接自治体の郷土資料として資料2を参照した。
通史的な記述は発見できなかったので、鉄山との関連がうかがえる記述を探して紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 10版)
- 鉄鋼 (564 10版)
- 参考資料
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資料1『山県郡巡り道中記 再版』名田富太郎著,名田朔郎, 1974.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282269514682368 -
資料2『加計町史 民俗編』 加計町 編,加計町, 2000.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002925724 -
資料3『豊平町の伝説と民話 第1集』豊平町史研究会 編,豊平町史研究会, 1970.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I34211100059834 -
資料4『豊平町の伝説と民話 第2集』豊平町史研究会 編,豊平町史研究会, 1973.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I34211100059835 -
資料5『豊平町の伝説と民話 第3集』豊平町史研究会 編,豊平町史研究会, 1978.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I34211100242620 - 資料6『芸藩通志』3巻,芸備郷土誌刊行会,1973
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資料1『山県郡巡り道中記 再版』名田富太郎著,名田朔郎, 1974.
- キーワード
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- たたら
- 豊平町
- 鉄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人 団体
- 登録番号
- 1000363181