レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年04月16日
- 登録日時
- 2018/04/16 18:12
- 更新日時
- 2018/05/24 13:51
- 管理番号
- 秋田-2058
- 質問
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解決
1.佐竹家の婚姻関係に関する資料はあるか。
2.「御家門様御取扱」、「国典類抄」の現代語訳はあるか。
3.佐竹壱岐守家初代・佐竹義長の継室「聖相院」についての資料はあるか。
- 回答
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下記資料を案内。
①『秋田市史、第3巻』(秋田市/編、2003、214.5/アア/3郷)124314980
②『家の存続戦略と婚姻、日本・アジア・ヨーロッパ、國方』(敬司/編、2009、362/クイ)122938012
③『日本家族史論集、8』(佐々木潤之助/〔ほか〕編、2002、361.6/サニ/8)121929897
④『佐竹氏をめぐる女たち、なぞを秘めるその生涯』(伊藤武美/著、A288/49)112004825
⑤『歴史読本、54巻4号』(2009年4月号、雑誌)130949712
⑥『中世東国大名常陸国佐竹』(江原忠昭/著、1970、210.3/エチ)124030511
⑦『佐竹氏を支えた女たち』(伊藤武美/著、2006、288/イサ/郷)124368978
⑧『叢園 118号〜129号』(叢園社/編、1982.03、A914/52/118-129)110711371
- 回答プロセス
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1.「佐竹」、「婚姻」、「婚礼」をキーワード検索
①『秋田市史、第3巻』(秋田市/編、2003、214.5/アア/3郷)124314980
p595-603第二章「女性の暮らし」の箇所に〝佐竹家の女性たち〟についての記載あり。
※婚姻や家督の継承についての記載あり。
表として佐竹宗家代々の婚姻と、誕生した女子についての掲載もあり。
第五代義峯の娘、栄姫と常姫の輿入れについての記載あり。
②『家の存続戦略と婚姻、日本・アジア・ヨーロッパ、國方』(敬司/編、2009、362/クイ)122938012
p17-28第一部「日本の家と婚姻戦略」〝近世大名における家存続戦略〟の箇所に、出羽久保田藩佐竹氏と陸奥中村藩相馬氏との重縁関係についての記載あり。
p19 佐竹義睦と前高知藩主山内豊資の娘於悦との結婚の記載あり。
p22 佐竹義核の婿養子の経緯の記載あり。
p23 佐竹義諶と熊谷長基の娘於広の結婚の記載あり。
p25 義諶の佐竹壱岐守家への夫婦養子入りが子連れで実現した旨の記載あり。
p33 佐竹義堯の娘雅姫と佐竹義脩の婿養子になった経緯の記載あり。
p34 佐竹義理の妻についての記載あり。(十二代目久保田藩主義堯の娘鐶子と記載あり)
p34 戦国大名相馬義胤の娘(慶雲院)の養子、婚姻についての記載あり。
p35 佐竹壱岐守家の初代義長と三代中村藩相馬多忠胤の長女於品を正室に迎える旨の記載あり。(於品と於比の不縁の記載もあり)
③『日本家族史論集、8』(佐々木潤之助/〔ほか〕編、2002、361.6/サニ/8)121929897
p220「婚姻の諸相」の〝武家〟の伊達氏の箇所に、佐竹氏の婚姻関係に関する記載あり。
④『佐竹氏をめぐる女たち、なぞを秘めるその生涯』(伊藤武美/著、A288/49)112004825
※秋田魁新聞の記事
昭和62年1月27日~昭和62年1月28日 掲載回数2回
佐竹氏の婚姻関係のことに触れている。(特に初代藩主義宣について多く割かれている)
⑤『歴史読本、54巻4号』(2009年4月号、雑誌)130949712
p62-65「戦国大名 血縁・血脈関係録」〝佐竹氏三代の閨閥〟の箇所に、婚姻・養子入れの記載あり。
佐竹氏の婚姻や家督の継承についての記載あり。
佐竹義昭⇔岩城重隆の娘
佐竹義重⇔伊達晴宗の娘
佐竹義宣⇔那須資胤の娘
特にこの3組の婚姻について詳しく記載されていた。
p58-61〝伊達氏三大の閨閥〟の箇所にも佐竹と伊達の婚姻についての記載あり。
p170-175「松東院メンシア一すじの信仰の力で戦乱を生き抜いた大名夫人」
聖相院についての記載があればと思い調査したが、養父鎮信の名前の記載はあったが、聖相院についての記載はなし。
⑥『中世東国大名常陸国佐竹』(江原忠昭/著、1970、210.3/エチ)124030511
※こちらの資料は常陸北部に勢力を築いた佐竹氏の歴史をまとめた資料
婚姻についての記載あり。
⑦『佐竹氏を支えた女たち』(伊藤武美/著、2006、288/イサ/郷)124368978
※婚姻についての記載あり。
☓⑨『あなたの知らない秋田県の歴史』(山本博文/監修、2013、210/ヤア/郷)124490657
☓⑩『諒鏡院・佐竹悦子の生涯 土佐女の見た秋田の幕末明治維新』(伊藤武美/著、無明舎出版、1993.6、289/サリ/郷)128121514
質問2
※当館所蔵で出版が一番新しい『国典類抄』が、第6巻の1988年だった。内容を確認
したが現代語訳ではなかった。全巻現代語訳になった資料は確認できず。
資料の一部に『国典類抄』からの引用で現代訳になっている資料は確認できたが
『御家門様御取扱』については確認できず。
☓⑪『近世前中期における秋田藩藩庁機構について、「国典類抄」の分析を中心に』(伊藤成孝/著、2004、212/イキ/郷)128986932
質問3
※<質問1>での調査資料①~⑧に聖相院についての記載は確認できず
以下の資料も調査
☓⑫『秋田県史、〔通史編〕第2巻』(秋田県/編、1977、210/アア/2)111327292
☓⑬『秋田県史、〔通史編〕第3巻』(秋田県/編、1965、210/アア/3)129064457
聖相院の出自である平戸藩・松浦家から以下の資料も調査
☓⑭『戦国九州三国志、島津・大友・龍造寺の戦い』(学研、2008、219/ガセ)122782675
※松浦氏の記載はあるが、聖相院につながる資料なし。
☓⑮『図説長崎県の歴史』(外山幹夫/責任編集、1996、219.3/カズ)121121834
※松浦氏の婚姻に関する記載あり。ただし、聖相院につながる資料なし。
☓⑯『長崎県史、対外交渉編』(長崎県史編集委員会/編集、1986、219.3/ナナ)120483854
☓聖相院の養父が武家茶〝鎮信流〟を創始した人だったので調査してみたが、当館には該当の資料なし。
☓佐竹義長・義峯の資料検索もしたが、二人に関する資料が少なく聖相院につながる資料につながらず。
☓依頼者が確認中の論文の著者・大藤修氏の著書も確認したが、今回の調査につながる資料みつからず。
※当館データベース『デジタルアーカイブ』にて「聖相院」で検索。
下記資料に論文が掲載されていることがわかる。
⑧『叢園 118号〜129号』(叢園社/編、1982.03、A914/52/118-129)110711371
125号p44-52『徹丹と聖相院のこと 1』
126号p35-43『徹丹と聖相院のこと 2』
127号p42-50『徹丹と聖相院のこと 3』
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212)
- 社会史.社会体制 (362)
- 社会学 (361)
- 参考資料
- キーワード
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- 佐竹
- 婚礼
- 婚姻
- 国典類抄
- 聖相院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 受付方法:メール、3/12
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000234776