レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/08/31
- 登録日時
- 2016/09/03 00:30
- 更新日時
- 2016/09/03 00:30
- 管理番号
- 1000000866
- 質問
-
解決
戦後、日本復帰前(1945-1972)までの沖縄における結婚式の料理について知りたい。
- 回答
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調査の結果、下記の資料に記述があるので紹介する。
①
『沖縄女性史研究 第3号』(沖縄県女性史研究会 [編]・刊、1980.8)
p51-52 「落下傘で作った結婚衣装 伊波絢子」で、p52 「当時のほとんどの結婚式のご馳走は、“銀盆”と呼ばれていたステンレス製の米軍野戦用食器に盛りつけていました。…料理の方は、親戚の琉球料理の専門のおばさんが腕をふるって下さいました。クーブイリチー、中身の吸物、ドゥルワカシーなど懐かしい味でみんなに喜ばれました。会場は、私の姉の洋裁学校を借り、テーブルには放送局の真白なテーブルカバーをかけ、二、三ヵ所に大皿に盛った小さめのサーターアンダギーと果物が飾られ、なかなかいい雰囲気でした。さらにみなさんを喜ばせたのは、二段重ねのウエディングケーキでした。これは、伊波が結婚することを聞きつけて嘉手納基地の黒人コックが、お祝いにと、内緒で作ってくれたものでした。」の記述がある。
②
『momoto Vol.9』(編集工房東洋企画、2012.1)
p22-35 「琉球・沖縄 結婚・婚礼の歴史」で、p32 「昭和22年(1947年)、中国大陸から復員したばかりの夫と結婚した中山きくさんは、当時の結婚式をこう振り返る。…どこの家でもドラム缶でお酒を作っていたから、ごちそうはなかったけど、お酒だけはありました(笑)」の記述がある。
③
『0からの時代 戦後沖縄写真集』(那覇出版社編集部 編、那覇出版社、1979.2)
p131 「職場の同僚だろうか、結婚式に招待されたアメリカ人。サーターアンダギーにケーキにコーラ、花嫁は和装で…このアンバランスもさほど奇異に感じない沖縄の戦後」の写真がある。
④
『宜野湾市史 別冊 写真集「ぎのわん」』(宜野湾市史編集委員会 編、宜野湾市教育委員会、1991.10)
p158 「国際結婚(キャンプズケラン)1963(昭和38)年 フルーツポンチやケーキなどのアメリカ風パーティにみなびっくりした。」の写真がある。
⑤
『ワンダー(Wander) 第2号』(新城 和博 編、ボーダーインク、1991.3)
p14-15 「おきなわん結婚式グラフティー 宮里千里」で、p15 「会場狭しと、まるで菊畑のようにぎっしり並べられたテーブルの上には、祝、と朱色で縁取られた泡盛一合瓶とベストソーダがセットで、そして折り箱に入った料理がそれぞれ既に配置されている。…重箱の隅をつつくようにして、折り箱の中身をのぞいてみよう。シシ(豚の赤肉)二枚・カマブク(朱色の蒲鉾とカステラと称される黄身色蒲鉾)・合成着色料たっぷりの海苔巻きずし二個・鯛風あくまでもいわゆる魚フライ・クーブ巻ち・紅い紅いギザギザ寒天などがぎっしり、と詰められていた。」の記述がある。
→ 1965年の様子
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会史.社会体制 (362 8版)
- 参考資料
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- 1 沖縄女性史研究 第3号 沖縄県女性史研究会∥[編] 沖縄県女性史研究会 1980.8 K367/O52/3 p51-52
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2 momoto Vol.9 今月のテーマ ニービチ 男と女のものがたり 編集工房東洋企画 2012.1 K05/MO28/9 p22-35 -
3 0からの時代 那覇出版社編集部∥編 那覇出版社 1979.2 K207/N27 p131 -
4 宜野湾市史 別冊 宜野湾市史編集委員会∥編 宜野湾市教育委員会 1991.10 K22/G46/9 p158 -
5 ワンダー(Wander) 第2号 新城 和博∥編 ボーダーインク 1991.3 K05/W37/2 p14-15
- キーワード
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- 沖縄 婚礼 料理 婚姻 冠婚葬祭 復帰前
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000196568