レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月23日
- 登録日時
- 2017/03/09 15:47
- 更新日時
- 2017/06/02 13:55
- 管理番号
- 埼熊-2016-130
- 質問
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解決
イースター島のモアイ像は同方向を向いていると聞いたが、どの方角なのか知りたい。
- 回答
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具体的な方位(東西南北)は確認できなかった。モアイは内陸を向いている旨(例外あり)の記述が確認できたので、下記の関連資料を紹介した。
『イースター島の悲劇』(鈴木篤夫著 新評論 1999)
p72 「この島には、約三百基のアフがある。ポリネシアの島々にある、マラエと呼ばれる神殿と同じであるといわれる。アフはモアイを乗せている台座だが、死者の埋葬のために何回も改装されている。(中略)背面は海に面し、前面は島の内部に向かっており、石畳のスロープがついている。」
『イースター島』(柳谷杞一郎著 王様出版 1998)
p12「イースター島に散在する1,000対を超えるモアイのうち、アフの上に立てられているものはわずかに40数体しかない。」
p61「ほとんどのアフが海岸線に造られ、しかも海に背を向けているのに対し、アフ・アキヴィの7体は島野中央部の広々とした草原に立てられている。しかも、海を見つめるように」
p162-163 「イースター島の手書地図」に島の周囲の沿岸部にモアイの図あり。方角は一定ではない。
『文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの 上巻』(ジャレド・ダイアモンド著 草思社 2005)
p151「石像(モアイ)と台座(アフ)の謎」
「モアイが載ったアフのほとんどは海岸にあり、アフもモアイも領地越しに内陸を向くよう設置されているので、石像は海のほうを向いていないことになる。」
p152「モアイは、身分の高い先祖の象徴だ。(中略)八百八十七体のモアイが彫られていて、およそ半数近くが、いまだラノ・ララクの採石場に残されたままだが、採石場の外に搬出されたものは、その大部分がアフの上に据えられた。」
- 回答プロセス
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1 参考図書を確認する
『オセアニアを知る事典』(平凡社 2010)
p37-38 「イースター[島]」
モアイの方角の記述はなし。
p25-26 「アフ」
「イースター島のアフは(略)巨石人像(モアイ)が上部に立てられた。」
方角の記述はなし。
『太平洋諸島百科事典』(太平洋学会編 原書房 1989)
p546 「モアイ」
方角の記述はなし。
2 自館目録を〈イースター島〉で検索する
『アク・アク 上』(トール・ヘイエルダール著 社会思想社 1975)
p129-176 「4 巨像の神秘」
モアイの方角の記述はなし。
『イースター島の悲劇』(鈴木篤夫著 新評論 1999)(回答資料)
『イースター島』(柳谷杞一郎著 王様出版 1998)
3 《Google》(https://www.google.co.jp/ Google)を〈モアイ〉で検索する
《ウィキペディア》「モアイ」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%82%A4 ウィキメディア財団)
「島の海に面したアフと呼ばれる高台に、多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を取り囲むように多数建てられている。」とあり。
参考文献として『文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻)』(ジャレド・ダイアモンド著 草思社 2005)(回答資料)あり。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2016年4月17日。
- 事前調査事項
- NDC
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- オセアニア.両極地方 (297 9版)
- ポリネシア (275 9版)
- 参考資料
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- 『イースター島の悲劇』(鈴木篤夫著 新評論 1999) , ISBN 4-7948-0470-9
- 『イースター島』(柳谷杞一郎著 王様出版 1998) , ISBN 4-7952-1818-8
- 『文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの 上巻』(ジャレド・ダイアモンド著 草思社 2005) , ISBN 4-7942-1464-2
- キーワード
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- イースター島
- モアイ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 文化遺産 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000211352