レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/03/09
- 登録日時
- 2024/05/02 00:30
- 更新日時
- 2024/05/02 09:56
- 管理番号
- 所沢本-2024-001
- 質問
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解決
新光寺で行われていた「馬の祭り」について知りたい。できれば写真を見たい。
- 回答
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以下の資料に記載がありました。
〇『写真集 所沢』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1986年
〇『所沢市史 民俗』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1989年
〇『むかしのところざわ百景』 峯岸正雄/著 所沢市企画部秘書広報課 1983年
〇『所沢の文化財と風土』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1977年
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『写真集 所沢』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1986年
p197「412馬のまち」に写真と説明文あり。「宮本町の新光寺では、かつて二月一八日、観音祭りが行われ、馬の慰安・交通安全を祈願したので、「馬のまち」とも呼ばれている。この日には、馬は労働から解き放たれ、紅白の布で飾られ、鈴の音とともに参詣にやってきた。境内にも出店が並び、参詣にくる人で賑やかであった。(後略)」と記述あり。
〇『所沢市史 民俗』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1989年
p257-259「(九)宮本町新光寺の馬のまち」の項目に日時、起源・由来等の記載あり。写真あり。
〇『むかしのところざわ百景』 峯岸正雄/著 所沢市企画部秘書広報課 1983年
p21-22「馬のまち」に記述あり。馬のまちの様子を描いた絵あり。
〇『所沢の文化財と風土』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1977年
p100-101「(3)初午と馬祭り」の項目あり。「(前略)新光寺の観音様は聖観音ですが観音様の仲間である馬頭観音は頭に馬の顔を目印につけています。こうしたことから馬頭観音は昔から馬の守り神として信仰されてきました。馬が唯一の交通機関であったころの馬に対する尊敬心は現代の人には想像できないぐらいに強烈でした。ですから昔の人は年の初めの午の日に初午を祝い、また初観音の縁日を馬の町にしたのでした。(後略)」と記述あり。
△『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2020年
p154「新光寺の観音まつり(宮本町)」の項目あり。「(前略)かつては「馬のまち」と呼ばれ、馬持ちや馬方が飾り立てた馬を連れて集まった。現在では地区の世話人が中心となり、護摩が焚かれお札が配られる。」と記述あり。写真はなし。
2.後日調査の追加事項
△『こども広報ところざわ No4』 所沢市企画部秘書広報課/編 所沢市企画部秘書広報課 1972年
p3「(4)新光寺」の項目あり。「昔は河原宿(今の宮本町)の観音様と呼ばれ、毎年二月十八日は「馬のまち」といって、きれいにかざった馬が観音様におまいりした。そしてたくさんの露店が出て、とてもにぎやかだった。」と記述あり。写真はなし。
調査したが記載のなかった資料
×『ふるさと所沢』 郷土出版社 2010年
×『所沢漫遊』 越阪部 三郎/案内 所沢織物文化研究会 2012年
×『目で見る所沢・狭山・入間の100年』 林 佳孝(他)/編集 郷土出版社 2002年
×『所沢市の昭和』 いき出版 2016年
×『所沢-魅力・不思議発見』 さいたま民俗文化研究所/企画・編集 さいたま民俗文化研究所 2022
×『西武蔵の歴史民俗』 栗原 仲道 郷土の歴史刊行会 1971年
p41-42「新光寺-所沢観音-」の項目があるが、「馬のまち」の記述はなし。
×『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
×『新編ところざわ史話』 根岸茂夫[ほか]/執筆 所沢市 1992年
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 参考資料
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- 写真集 所沢 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1986.3 213.4
- 所沢市史 民俗 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1989 213.4
- むかしのところざわ百景 峯岸正雄/著 所沢市企画部秘書広報課 1983 213.4
- 所沢の文化財と風土 内野弘/著 所沢市教育委員会 1977.2 709.2
- キーワード
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- 新光寺
- 観音まつり
- 馬まつり
- 馬のまち
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000349665