レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年12月14日
- 登録日時
- 2009/02/14 14:30
- 更新日時
- 2009/03/05 13:20
- 管理番号
- 山形県-2007-0046
- 質問
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解決
米沢市の西蓮寺に、シーボルトの弟子「吉雄忠次郎」の墓があるということですが、吉雄忠次郎の履歴や、お墓がなぜ米沢にあるのか知りたい。
- 回答
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参考資料の①~③までは略歴等記載があります。
シーボルトの通訳として勤めていた吉雄忠次郎は、シーボルト事件を受けて、天保元年(1830)閏3月25日に審判が終わるとともに、江戸町奉行に引き渡され、その後永禁を申し渡され、米沢新田上杉佐渡守勝義にお預けとなり、流人の取扱を受けた。米沢で最初代官小島家の座敷牢に入れられたが、その後2箇所ほど移され、天保4年2月29日死亡したとあります。
さらに、死亡までの2年8ヶ月の間の処遇の状況やなぜ米沢の西蓮寺に葬られたかなどの記載もあります。
また、資料④は、忠次郎の死後、塩漬けにされたことから、自然ミイラになっているかもしれないとの事で、昭和54年に西蓮寺の墓に眠る吉雄忠次郎を掘り起こすことになった事業について、記載があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- ①「米沢市史編集資料-米沢人国記」10号 米沢市発行 K274.1/ヨネ/10 P169-172
- ②「シーボルト先生」呉 秀三著 1926年 吐鳳堂 289.3/シボ P832-834
- ③「西蓮寺史」伊藤龍豊著 S54.4月 YK188.6/イト P180-186
- ④「新西蓮寺史」伊藤龍豊著 S60.5月 YK188.6/イト P71-73
- キーワード
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- 吉野忠次郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000051623