レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年11月08日
- 登録日時
- 2024/01/24 15:41
- 更新日時
- 2024/03/26 11:29
- 管理番号
- 埼熊-2023-083
- 質問
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解決
1872年1月から3月にかけて、出獄後の榎本武揚が謹慎のため身を寄せていた親類が、笠幡(現川越市)の發智家だったのか知りたい。
『写真が語る川越市の100年 川越市市制施行100周年記念』(しなのき書房編 いき出版 2023)のp31には「この建物は、箱館(現函館)五稜郭で倒幕軍と戦った旧幕臣榎本武揚が謹慎した建物であり、發智家では、「武揚館」と呼んだ」と記述があった。
- 回答
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下記の資料と情報を紹介した。
1 図書
『愛する心とこしえに 社会福祉法人埼玉育児院創立100周年記念誌 埼玉育児院100年のあゆみ』(埼玉育児院100年のあゆみ編集委員会編 埼玉育児院 2012)
p37「発智正平宅への移転」に、「親類宅で謹慎処分を受けたときに一時居所としていたと言われており、」とあり。
『豊岡町史』(古谷喜十郎編 豊岡町 1925)
p70-73「明治天皇の御駐蹕」に、「繁田家の姻戚たる榎本武揚氏がその長官となつたから發智氏は該掛幅の献納を願出て」とあり。
2 インターネット情報
《国立国会図書館デジタルコレクション》(https://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館)『靄渓遺響』(繁田満義[ほか]著 繁田武平 1922)(https://dl.ndl.go.jp/pid/962490 国立国会図書館)50コマ、124コマ 国立国会図書館内/図書館・個人送信限定
p24-25 繁田家に関する記述中に「親戚なる榎本武揚子及び」とあり。
p160-161 繁田家に関する記述中に「親戚の發智家に」とあり。
《国立国会図書館デジタルコレクション》(https://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館)『人格の糧』(深作安文著 日本青年館 1924)105コマ (https://dl.ndl.go.jp/pid/981700 国立国会図書館)インターネット公開
p192-246「第十六 典型的企業家繁田滿義翁」に、「恰も翁の親戚榎本武揚子と」とあり。
- 回答プロセス
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1 地域資料〈221〉の棚にあたる。
2 《埼玉関係データベース》(https://www.lib.pref.saitama.jp/local/opac/search-detail.do?lang=ja 埼玉県立図書館)を〈榎本武揚〉〈発智家〉〈武揚館〉〈埼玉育児院〉で検索する。
3 『写真が語る川越市の100年 川越市市制施行100周年記念』の参考文献『愛する心とこしえに 社会福祉法人埼玉育児院創立100周年記念誌 埼玉育児院100年のあゆみ』を確認する。
4 自館目録を〈埼玉育児院〉〈発智〉で検索する。
5 《国立国会図書館デジタルコレクション》(https://dl.ndl.go.jp/ja/ 国立国会図書館)を〈榎本武揚 & 発智家〉で検索する。
〈その他調査済み資料〉
『笠幡発智家文書目録』(川越市立博物館〔編〕 川越市立博物館 2020)
『川越歴史こぼれ話』(安齊祥造著 安齊祥造 2014)
『川越の歴史散歩』(川越民報編集委員会編 川越民報編集委員会 1999)
『人づくり風土記 江戸時代 11』(石川松太郎〔ほか〕編 農山漁村文化協会 1995)
『川越市史 史料編 近世3』(川越市総務部市史編纂室編 川越市 1972)
『新編埼玉県史 通史編 5 近代』(埼玉県編 埼玉県 1988)
『新編埼玉県史 資料編 25(近代・現代 7) 教育・文化』(埼玉県編 埼玉県 1984)
『埼玉育児院史 草創時代を中心に』(矢島浩著 むさしの書房 1979)
『霞ヶ関カンツリー倶楽部と発智庄平 川越にオリンピックがやってくるまで』(川越市立博物館編集 川越市立博物館 2021)
『笠幡発智家文書目録』(川越市立博物館〔編〕 川越市立博物館 2020)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2023年11月8日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『愛する心とこしえに 社会福祉法人埼玉育児院創立100周年記念誌 埼玉育児院100年のあゆみ』(埼玉育児院100年のあゆみ編集委員会編 埼玉育児院 2012)
- 『豊岡町史』(古谷喜十郎編 豊岡町 1925)
- キーワード
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- 榎本 武揚(エノモト タケアキ)
- 埼玉県-川越市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000345404