レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年11月16日
- 登録日時
- 2013/03/16 16:41
- 更新日時
- 2013/05/16 10:24
- 管理番号
- 埼浦-2012-114
- 質問
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解決
埼玉県下の入会地(入会権)に関する資料、情報または土地の共同利用(共同使用)の存在、実態、状況があれば調べたい。
- 回答
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埼玉県下の入会地についての資料は、近世期の資料および入会地のひとつである「秣場」(まぐさば)についての資料を紹介した。
『新編埼玉県史 通史編 3 近世』(埼玉県 1988)p443-483 第3章第3節 「山林・秣場と総論」
p461「秣場利用の実態」「(略)百姓が共同で山野を利用することを、「入会」と呼んでいる。その代表的なものは、(中略)秣場である。」『新編埼玉県史 通史編 5 近代』(埼玉県 1988)p428-429「官民有林区分」
『新編埼玉県史 資料編 21(近代・現代 3) 産業・経済』(埼玉県 1982)p514-516 「部落有林野入会権解除の状況(抄)」『新編埼玉県史 資料編 14(近世 5) 村落・都市』(埼玉県 1991)p524-526 男衾郡御正領入会地出入
『埼玉県史料叢書 8 明治期産業土木史料』(埼玉県 1996)p206 入会地ノ整理大舘右喜「幕末期における評定所「論所地改出役」の裁許について-比企郡玉川郷・鎌形村と竹本村境入会総論を中心に」(『近世史藁 6号』 p48-79 近世村落史研究会 2012)
「秣場」についての資料
田村説三「まぐさ場(秣場)の植生とまぐさ場起源の二次林」(『埼玉県立自然史博物館研究報告 12』 p73-82 埼玉県立自然史博物館 1994)まとめとして以下の記述あり。「現在の里山の景観として最も普通な二次林には、まぐさ場という、かつての採草地に起源するものがあること、(以下略)」豊田浩二「資料による秣場植生の分布調査」(『嵐山町博物誌調査報告 6』79-116 嵐山町教育委員会 2001)嵐山町内に分布する秣場跡地の解明を目的に調査した論文。参考文献あり。p79「(略)昭和初期ごろまでは秣場的な環境が各地に残っていたようである。現在では生活習慣や農業様式の変化、特に化学肥料や農耕機器の普及に伴い、秣場はその必要性を完全に失ってしまった。」とあり。
上記資料の参考文献より下記の資料を紹介した。
『埼玉叢書 6』(稲村坦元編 国書刊行会 1992)p336-339「鬼神宮別当に関する訴訟」廣野村字川嶋(嵐山町)は入会地で秣場であると言う内容の記述がある。
『武蔵国郡村誌 6』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1954)p299「鎌形村」「税地 秣場ニ十ニ町一反一畝十ニ歩」
『絵図で見る小川町 小川町の歴史』(小川町 1998)p98「上古寺村を描いた絵図(延宝3年)」「入会草場」「入会馬草場」等の記載あり。p102-103「秣場」「山々の尾根に拓かれた秣場」「村明細帳から見た秣場(草刈場)と刈敷草」「これらの秣場は、永く農民の共同利用・管理の入会地であったが、明治末年から大正にかけて分け地となった。」とあり。p116「江戸時代の村むら(現大字)と秣場の分布」明治初頭の旧土地登記簿台帳の抜粋とそれに基づいた図あり。p145「山の境界の争い -秣場-」
『玉川村植物誌』(玉川村 1995)
p143「草山(秣場)に広がる-林を草山に変えた先人の知恵-」p150-151「生活に欠かせない秣場と村持山のひろがり」p154「草山(秣場)が再び森林に戻る」「かつて広く広がっていた秣場(入会の採草地)も明治になって、次第に個人に払い下げられ、草地は薪炭林に変わっていきました。(以下略)」とあり。 p170「秣場の利用」「後世になって、秣場のうち草地はアカマツ林などに、また撲草地は雑木林へと姿を変えました。」とあり。p214「2.秣場起源の二次林」p232-233「切畑・刈敷・秣場」『鶴ヶ島町史 自然編 2 鶴ヶ島の植物』(鶴ヶ島町 1990)p80-90「江戸時代初期の村の実態-原野に生きる人々の生活」〈広大な原野〉に入会地、秣場等に関する記述あり。
大友一雄「享保期北武蔵野開発と秣場騒動」(『所沢市史研究 4』p30-60 所沢市史編さん室 1980)
「官有秣場下戻運動」(『名栗村史研究─那栗郷 6号』p6-9 飯能市郷土館 2007)
「〈資料〉官有秣場下戻運動」(『名栗村史研究─那栗郷 6号』p33-57 飯能市郷土館 2007)『三芳町史 通史編』(三芳町 1986)p143-152「第二節 武蔵野秣場出入」(近世)
『坂戸市史調査資料 4号 坂戸風土記』(坂戸市教育委員会 1979)p51-64「石坂野秣場出入について」(青木美智子)(近世)
『北本市史 3下 古代・中世資料編』(北本市教育委員会 1990)付図 元禄九年秣場論所裁許状裏絵図(石戸宿周辺)(近世)
『埼玉県農地改革の実態』(不二出版 1990)農地委員会埼玉県協議会 昭和24年刊行の復刻版)p246-284「第4章 山村における農地改革と山林解放の意義-秩父郡長若村の山林使用権の問題を中心とする実態調査-」「入会地」についての内容ではないが、埼玉県内の農地改革等についての記述あり。
また、《埼玉県立文書館収蔵資料検索システム》を〈入会権〉〈入会地〉〈秣場〉で検索し関連文書があったため紹介した。
(http://www.pref.saitama.lg.jp/soshiki/s28/ 埼玉県立文書館 2012/11/16 最終確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 民法.民事法 (324 9版)
- 林業経済.行政.経営 (651 9版)
- 参考資料
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- 『新編埼玉県史 通史編 3 近世』(埼玉県 1988)
- 『新編埼玉県史 通史編 5 近代』(埼玉県 1988)
- 『新編埼玉県史 資料編 14(近世 5) 村落・都市』(埼玉県 1991)
- 『新編埼玉県史 資料編 21(近代・現代 3) 産業・経済』(埼玉県 1982)
- 『埼玉県史料叢書 8 明治期産業土木史料』(埼玉県 1996)
- 『近世史藁 6号』(近世村落史研究会 2012)
- 『埼玉県立自然史博物館研究報告 12』(埼玉県立自然史博物館 1994)
- 『嵐山町博物誌調査報告 6』(嵐山町教育委員会 2001)
- 『埼玉叢書 6』(稲村坦元編 国書刊行会 1992)
- 『武蔵国郡村誌 6』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1954)
- 『絵図で見る小川町 小川町の歴史』(小川町 1998)
- 『玉川村植物誌』(玉川村 1995)
- 『鶴ヶ島町史 自然編 2 鶴ヶ島の植物』(鶴ヶ島町 1990)
- 『所沢市史研究 4』(所沢市史編さん室 1980)
- 『名栗村史研究─那栗郷 6号』(飯能市郷土館 2007)
- 『三芳町史 通史編』(三芳町 1986)
- 『坂戸市史調査資料 4 坂戸風土記』(坂戸市教育委員会 1979)
- 『北本市史 3下 古代・中世資料編』(北本市教育委員会 1990)
- 『埼玉県農地改革の実態』(不二出版 1990)
- キーワード
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- 入会地-埼玉県
- 農地-埼玉県
- 秣場(まぐさば)-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000129050