レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年03月21日
- 登録日時
- 2025/05/28 16:48
- 更新日時
- 2025/06/21 10:14
- 管理番号
- 遠野-2015-02
- 質問
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解決
遠野の地名について下記のことを知りたい。
1.「閉伊地名考」に書かれている「茶臼館」はどこにあるのか。
2.「とおぬっぷ」から「とおの」への地名の変遷をしりたい。
3.『遠野物語』第12話、第13話に書かれている「乙爺」について、乙爺の子供が北海道に移住したそうだがどこに行ったのかわかる資料はないか。(北海道の釧路郡釧路町に遠野という地名があるが、なにか関係あるのか)
- 回答
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1.茶臼館(ちゃうすだて)は遠野市青笹町にある。
2.「トーヌップ」→「トーペ(遠閉)」→「トホノ(遠野)≪遠野十二郷≫→≪遠野四十二村≫」 『遠野くさぐさ』より
「トーヌップ」→「トーヘイ(遠閉伊)」→「トホノ(遠野)、トヲヘ(十戸)」 『遠野物語小事典』より
3.乙爺(新田乙蔵)の子供寅之助が北海道へ行ったこと、遠野出身者が北海道の名寄盆地の開拓に行ったことは確認できるが、乙爺の子供が北海道のどこへ行ったかわかる資料はなかった。
また、釧路郡釧路町の遠野は、遠野市と同じく、アイヌ語の意味である「湖水」と「丘野」が合わさったトー・ヌップと推測される地名なので、乙爺の話とつながりはないと思われる。
- 回答プロセス
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<所蔵資料からの調査>
1.『日本民俗文化資料集成 第15巻』p92~p93の「遠野くさぐさ 第二束 二十五 茶臼館」の項があり、茶臼館のことが書かれている。
『日本民俗文化資料集成 第15巻』p92より
「上閉伊郡青笹村なるウヤウス(茶臼)館は、蓋しアイヌ語のチャシコツの転ならんか。(後略)」とある。
また『ものがたり青笹』p5に「閉伊地名考」(伊能嘉矩)に現れる青笹の項に茶臼館が青笹町にあることが書かれているので、遠野市青笹町に茶臼館があることがわかる。
『ものがたり青笹』p5より
「●『閉伊地名考』(伊能嘉矩)に現れる青笹 日本の各地に存在する茶臼(チアウス)を冠する山又は舘の名が、多くは夷語のChashiを訳せる転訛に、この文字を擬せしなるべき事、既に前来の見解あり。現に陸中国遠野町東郊なる茶臼舘(○青笹町臼舘)のごときは、立派なるチヤシの形式を存しつつある。(「Chashiより導かれし地名」)
青笹 An(唯一の意味を表す)Chashi(砦)即ち茶臼舘の所在 (後略)」
2.『日本民俗文化資料集成 第15巻』p119~p121の「遠野くさぐさ 第二束 七十七 遠野の古き三地名」の項に「とおぬっぷ」から「とおの」に変わっていく過程が書かれている。
『日本民俗文化資料集成 第15巻』p119~p120より
「一 遠野 遠野(トホノ)といへる地名は、遠閉の語源たるTopeと同因に誘起せられし訳字にして、素とアイヌ語の「トー」(To)即ち「湖水」の義と「ヌプ」(Nup)即ち「丘野」の義の合成より出づ。(中略)次ぎて沖積変遷、即ち陸土の題出を見らるゝに及ぶや、一帯茫々の叢原之に代はりしは事実なるべくして、今を距る約一千余年を起点とせる移殖日本民族により、「トーヌップ」なる原始地名を宛つるに、「遠野」の文字を以てせられしもの、啻に近音の字訳たるのみならず、其の当時に於けりし実在の地形の言ひあらはしとしても適当なりしを認めらる。されば、原始地名たる「トーヌップ」及び音訳字名なる最初の「遠野」は、限られたる遠野盆地を指せる普関地名に過ぎざりしが、後降りて文治年間、今の上閉伊地方が、初めて阿曾沼氏なる一城主の下に統轄せらるゝに及び、之を遠野十二郷と総称せり。蓋し当時置城の位置は、遠野盆地の中に在りしを以て、遠野の地名を採りて代表称呼となせしものにして、遠野なる代表地名の外延はその固有地名に比すれば著しく拡大したりしなり。阿曾沼氏の滅亡と共に遠野十二郷の名は消滅せしが、次で南部氏の領治する所亦遠野四十二村(旧西閉伊郡の大半)と称せられ、之を阿曾沼時代に比すれば外延の半ばを狭めたり。今日広義の遠野といへるは、即ち此の南部氏の領知の一方域を指示するものとして因襲せらる。また同時代領主南部氏の居城を遠野城とも称せしより、狭義の遠野といへば、其の城下町即ち今の遠野町の名称として認められしなり。」
『遠野物語小事典』p168~p169の「遠野郷」の欄に遠野の地名の変遷が書かれている。
『遠野物語小事典』p168~p169より
「遠野という地名は、アイヌ語のTo(湖)-Nup(高原)からできたと解釈したのは、遠野出身の人類学者伊能嘉矩であった。遠野は、この北上山地にありながら、気仙・稗貫・和賀・下閉伊の諸郡に通ずる交通の要所の地であった。早くからエゾの集落があり、多賀国府に貢献の昆布・馬・皮革・砂金などはここを経由して気仙・東山・江刺に分散して行った。遠野は北の辺境と南の新開地のターミナルの役割を果たしていた。遠野が歴史の波間にちらりと顔をのぞかせるのは、「続日本後紀」に出てくる遠閉伊村だというのが定説となっている。(中略)この遠閉伊の地名は、後世近音の転訛して十戸「トヲヘ」とか、遠野「トホノ」とも書かれたといわれる。」
3.『注釈遠野物語』p79~p80に乙爺(新田乙蔵)の子供寅之助が北海道へ行ったこと、遠野出身者が北海道の名寄盆地の開拓に行ったことの内容が説明されているが、乙爺の子供がどこに行ったまでは書かれていない。
『注釈遠野物語』p79より
「4 子供はすべて北海道へ行き 新田乙蔵の子供寅之助は、大洞時蔵と瀬川某と三人で北海道へ行ったという。(田尻ミサコ[中略]の話)明治時代の中ころは北海道移住者が多かった商品経済が浸透するに従って、地主層が成長して小作の生活が苦しくなる。多くの人が釜石の鉱山や製鉄所に働きに行き、あるいは北海道へ出て行った。」
『注釈遠野物語』p80より
「二 北海道の移住者について 明治時代の北海道移住は、ニシン漁・鉄道建設その他があるが、名寄盆地のタヨロマ原野の開拓に入った遠野出身の新里農場の例があるので紹介する。蝦夷地の開拓は当時の国策でもあり、開拓に成功すると一人宛て五町歩が与えられた。新里庄十郎(一八四九~一九一九)は、明治三四(一九〇一)年に天塩川左岸百四町歩を二三戸で開拓する新里農場を結成し、入植を始めた。(後略)」
『遠野物語研究 第2号』の「注釈遠野物語」を読む」(赤坂憲雄)p5~p6に乙爺についての解説が記述されていて、その中にも乙爺の子供が北海道へ行った話が書かれているが、どこへ行ったまでは書かれていない。
『遠野物語研究 第2号』p6より
「(前略)琴畑のある老爺が、発心して家を出て境木峠の頂上に住んでいた。発心したということは『遠野物語』にはでてきません。「そのうちに熊と仲よしになり、熊から甘酒の造り方を教えられた。この甘酒はとてもおいしく口の中がとろけてしまうような気がした。乙爺さんは毎日この甘酒を造って、旅に疲れて峠を通う人々に分けてやり人助けをしたそうだ。」とある。『土淵村誌』に出てくる話です。『遠野物語』には語られていない乙爺の背景が少しずつ見えてくる気がします。乙爺の家はカマドを返して、子どもらはみな北海道に行ってしまった、という記述が『遠野物語』にはありました。ぼくは一般的に東北でよく聞く、家が破産して落ちぶれて逃げてゆくことだと漠然と思っていたのですが、もう少し具体的に注釈の方では、明治中頃の北海道移住者について触れられています。八〇ページを見ると、遠野出身の人たちがたくさん北海道の開拓に入っている、そのひとつの例である風連町の新里農場の例が出てきます。これは風連町の広報からとった資料だといいます。乙爺の十二、十三話の背後にもさまざまな歴史が隠されていて、北海道に息子たちが行ったという、その一行の裏側にも遠野の埋もれた歴史を感じさせる、そういう注釈になっていると思います。(後略)」
釧路郡釧路町の遠野について
『日本民俗文化資料集成 第15巻』p119~p121の「遠野くさぐさ 第二束 七十七 遠野の古き三地名」の項に下記の記述がある。
『日本民俗文化資料集成 第15巻』p120より
「是に於いて、其の土着民族たる蝦夷によりて「湖水の丘野」を意味する「トーヌップ」なる地名を与へられたるものゝ如く、現に北海道釧路国釧路町に属する天寧の北約二里の山駅にして、釧路川の左岸に在る所遠野と名づく。而かもその東北方にタプコプ沼あり、水は川に通ずれば往古の地形に溯りて亦トオ・ヌップの義に出づるを推さる。」
とあるので、釧路郡釧路町の遠野も地名の成り立ちは同じ「トーヌップ」(湖水)+(丘野)であると推測される。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 伝説.民話[昔話] (388 8版)
- 参考資料
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谷川健一 責任編集. 日本民俗文化資料集成 第15巻. 三一書房, 1994.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002377500 , ISBN 4-380-94529-4 - ものがたり青笹編集委員会/編. ものがたり青笹. 青笹町地域づくり連絡協議会, 2004.
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野村純一 [ほか]編著. 遠野物語小事典. ぎょうせい, 1992.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002173636 , ISBN 4-324-03058-8 -
後藤総一郎 監修 , 遠野常民大学 編著. 注釈遠野物語. 筑摩書房, 1997.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002628132 , ISBN 4-480-85754-0 -
遠野物語研究 (通号2) 1998年3月. 遠野物語研究所, 1998.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000099838-i10264889
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谷川健一 責任編集. 日本民俗文化資料集成 第15巻. 三一書房, 1994.
- キーワード
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- 伊能, 嘉矩, 1867-1925
- 遠野市-- 地名
- 遠野物語
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000369856