レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年09月26日
- 登録日時
- 2025/05/06 16:46
- 更新日時
- 2025/06/21 10:14
- 管理番号
- 遠野-2016-03
- 質問
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解決
青笹の地名に赤羽根(アカバネ)という所があるが、いつ頃からそうよばれるようになったのか。
- 回答
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赤羽根の地名の由来になった赤い羽根の伝説は、1824年の大洪水の後に起きた伝説がもとになっているため、この後から「赤羽根」と呼ばれるようになったと思われる。
また古地名の「赤埴」は延長元年(923年)ごろから呼ばれていると思われる。
- 回答プロセス
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<所蔵資料からの調査>
1.赤い羽根の伝説
『ものがたり青笹』に「赤羽根」の地名の項がある。
『ものがたり青笹』p112より
「文政七年(一八二四)年八月十五日大洪水のため人馬の死者多数。一面水海となる。(中略)二十七日風雨の強い午後、赤い羽が舞い散るのを見る。永遠の神として消えた。そこを赤羽根と呼ぶ地名の伝説として残っている。」
とあり1824年に起きた洪水から赤羽根の地名の由来になった伝説が書かれている。
『響 青笹の歴史をたずねて』に青笹小学校の児童が地域のお年寄りからきいた昔話のなかに赤羽根の伝説について詳しく書かれている。
『響 青笹の歴史をたずねて』p5~p6より
「赤羽根にはため池が多くあり、そのうち最も古いものを踊鹿の堤と呼んでいる。(中略)踊鹿の堤には昔、ぬしがいるといわれ村人達は神様のように祭っていた。祭りでは、最後に中央の島に若い娘をささげることになっていた。そのささげられた娘は、次の朝には姿が見えなくなっているのが常だった。しかし、このようなことが何年も続くと村人達も人をささげるのがかわいそうになってきた。とはいっても供え物はしなくてはならないので困った村人達はとうとう堤の周りで飼っていたニワトリを米といっしょに木の箱にいれ、島においてくることにした。(中略)ある日、鳴き声が聞こえなくなったのに気がついた男がおそるおそる様子を見に行くと、島の上にはニワトリの姿はなかった。そこで思い切って島に渡ってみたところ、地面に、ニワトリの赤い羽根(地鳥の羽根は赤茶色)が散らばっているのが見えた。ところが、男が島に着いたとたん、その羽根がぱあっと舞い上がり、空へ空へと登っていきとうとう見えなくなってしまった。この話を聞いて、きっとぬしのしわざに違いないと信じた村人達は、それからここの土地を赤羽根と呼ぶようになったそうである。(後略)」
2.赤埴(あかはに)
『ものがたり青笹』に「赤羽根」の地名の項に下記の記述がある。
『ものがたり青笹』p112より
「※古墳上の地名として「赤埴」がある(延長元年)」 (注:原文ママ)
赤埴の由来は『六角牛山物語』p36に書かれている。
『六角牛山物語』p36より
「六○、踊鹿(オドロカ)遠野市青笹町糠前赤羽根(アカバネ) オドロカ→アオドロカ→青泥所-青泥(青粘土)の一杯ある場所の事 アカバネ→アカハニ→赤埴-赤い土(赤粘土)のある地帯を表はす 青泥も赤埴も麻糸を土染めにする染材として使用されたもので、加工職人は京都から招いて指導に当らせたのである。職人達は京を離れるに当り、京都八坂神社の神様を守護神として勧請し、落ち着き先の赤羽根に祀った神社が今天王様と称される八坂神社である。(後略)」
とあるので、青笹八坂神社の創建時期を調べる。
『祭事データブック 神社篇』p43の青笹八坂神社の由緒より
「今から約600年前、この地方で機織りが盛んに行われた時、京都より染色工・機織工の職人共入植し、京都の八坂神社の神霊を勧請して祀るに始まるといわれ、(後略)」
とあるので、今から約600年前の1400年ごろには、赤埴に京都から入植し機織りが盛んに行われたことがわかる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 8版)
- 東北地方 (212 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- ものがたり青笹編集委員会/編. ものがたり青笹. 青笹町地域づくり連絡協議会, 2004.
- 平成元年度卒業文集制作計画委員会. 響 青笹の歴史をたずねて. 青笹小学校, 1990.
- 千葉 正吾. 六角牛山物語. 阿部 健一郎, 2010.
- 遠野市コミュニティマート構想事業プロジェクト委員会/編. 祭事データブック. 遠野市コミュニティマート構想事業プロジェクト委員会, 2003.
- キーワード
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- 遠野市 -- 歴史
- 遠野市 -- 地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000369017