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レファレンス事例詳細

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事例作成日
2023年10月30日
登録日時
2024/03/06 10:10
更新日時
2024/03/28 11:33
提供館
さいたま市立中央図書館 (2210012)
管理番号
中央-1-0021720
質問

解決

武蔵浦和駅が1985年に駅開業時に田島信号所から改名したことはほかの資料などからわかっているが、どういう経緯でこの駅名を決めたかを記した資料を見つけることができない。駅名由来について、当時の検討、決定過程がわかるものを教えて欲しい。
回答
参考になりそうな回答プロセスの〇印をつけた資料を紹介した。
回答プロセス
●所蔵資料を「駅名」「武蔵野線」で検索する。

〇『武蔵野線まるごと探見』三好好三/著 垣本泰宏/著 JTBパブリッシング 2010年
 p56 「武蔵浦和駅到着前に大宮方面からの線と合流したところがかつて田島信号場と言っていたが、武蔵浦和駅の開業により駅構内扱いとなり、信号場としては廃止されている。」
  「駅名は、浦和の名前がすでに東西南北使われており、武蔵野線と接続する浦和なので「武蔵浦和」になったという。」とある。

〇『武蔵野線 街と駅の半世紀』山下ルミコ/著 アルファベータブックス 2017年
 p36 「駅名に「武蔵」が付いているのは、武蔵野線と接続する、という意味があったが、実際は「東西南北」など、浦和に付ける冠名がすでに飽和状態であった、という事情もある。」

〇『京浜東北線<東京〜大宮>、埼京線<赤羽〜大宮>街と鉄道の歴史探訪』生田誠/著 フォト・パブリッシング 2017年
 p116 「1973(昭和48)年、武蔵野線の府中本町~新松戸間が開通したとき、この場所には駅ではなく、田島信号場が置かれた。その後、1985年9月、武蔵野線を跨ぐ形で開業した、埼京線に武蔵浦和駅が設置され、田島信号場は統合された。」とある。

〇『この駅名に問題あり』楠原佑介/著 草思社 2005年
 p219-223「武蔵浦和」「中浦和」
 2駅の駅名が市民からの公募であったこと、その経緯や、著者が想像する裏事情などが書かれている。

×『JR・第三セクター全駅名ルーツ事典』村石利夫/著 東京堂出版 2004年
×『停車場変遷大事典 国鉄・JR編2』JTB 1998年
×『駅名来歴事典 国鉄・JR・第三セクター編』石野哲/著 JTBパブリッシング 2022年
×『うらわ文化(特集) 発会60周年記念号 第16号』浦和郷土文化会 2017年
×『日本の地誌 5』朝倉書店 2009年

●念のため市史も確認する
×『さいたま市史 鉄道編』さいたま市 2017年
×『浦和市史 通史編4』浦和市総務部行政管理課/編 浦和市 2001年
 武蔵浦和駅について触れているが、開発の事しか記載がない。
×『浦和市史 第5巻[2]』浦和市総務部行政管理課/編 浦和市 2000年

●過去の中浦和駅レファレンスを参考に、以下を見る。
〇『市民と市政 No.389〜No.412 1984年4月〜1986年3月』浦和市 1986年
 No.397(昭和59年12月10日発行)のp3に、「名案をお寄せください!-通勤新線の駅名-」というタイトルで、来年10月開業を目指す通勤新線の「仮称 通6駅・通7駅」の名称を市民から募集する記事がある。浦和市役所企画部交通対策室宛、昭和60年1月31日(木)期限で、はがきで募集。

 その後の号も追って見たが、駅名決定の記事はなく、No.406(昭和60年9月10日発行)のp4-5「放置自転車特集」やNo.407(昭和60年10月10日発行)のp6-7「開業した通勤新線埼京線」の記事ではもう「武蔵浦和駅」という駅名で書かれている。

〇『埼玉県浦和市議会会議録 昭和60年3月定例会』浦和市議会 1985年
 p202 3月14日(木)一般質問への市長回答として、以下の発言あり。
「通勤新線の駅名につきましてはもちろん国鉄が決定をするわけでございますが、国鉄は地元からの要望があれば尊重するということでございますので、市といたしましても要望したいと考えて、昨年の十二月に市の広報紙を通じて市民から駅名案を募りました。本年の十二月二十二日には市内の文化団体など各界代表者にお集まりをいただきまして、駅名について検討をしていただきましたが、大勢の意見は、通六駅は武蔵浦和、通七駅は新浦和ということでございました。通六駅を新浦和にしたいと、そういう少数意見もあったわけでございますが、この結果を踏まえまして国鉄に対し、通六駅は武蔵浦和、通七駅は新浦和と要望したいと今考えておる段階でございますが、また、慎重に検討のうえに国鉄側に要望をしたいと考えております。」

●埼玉関係データベースで「武蔵浦和」や「通勤新線」で検索する。

〇「話題ズームアップ 通勤新線 駅名問題が浮上」埼玉新聞 1984年10月22日 1面
 通勤新線の駅名予測表があり、後の武蔵浦和駅にあたる第6駅は、「地元要望の駅名」は「なし」、「予想される駅名」は「新浦和」となっている。
 また、「頭悩ます『浦和』」という小見出しで、周辺住民からの駅名に関する陳情などは全然ないこと、プロジェクトチームが6月29日に「駅名を考える」のテーマで打ち出した方針は「①浦和の二文字を使う②地区の名などにこだわらないで市全体の中で考える」であること、「ところで、市内の第6駅の場合、武蔵野線に設けられる新駅の乗換駅になる。このため、武蔵野線各駅とのバランスの取れた駅名が採用される可能性が大きいという。」との記述がある。

〇「駅名線名 通勤新線 関心にわかに高まる 県も沿線3市まとめ要望へ」埼玉新聞 1984年10月24日 13面
 通勤新線の線名と駅名に関する記事。
 「駅名決定に関しては、線名と違い「地元重視」というのが国鉄の方針であり、こちらはむしろ地元住民間の調整が、最大の難関となりそうだ。」

〇「通勤新線 新駅名は地元の声で 浦和・戸田両市もアンケート実施 国鉄要望へ」埼玉新聞 1984年12月5日 1面
 新駅名について、市民の声などを取りまとめたうえで、4月までに国鉄に要望する方針を固め、12月10日発行の市広報12月号で市民の意見を公募することになったことを報じる記事。浦和市の駅名選定作業はかなりのんびりしており、プロジェクトチームでたまに話題になる程度だったが、ここへ来て市民の声を集約し、地元としても国鉄に要望をすべきという意見が大勢を占めるようになったとのこと。企画部交通対策室の職員が新駅付近の自治会関係者などと接する機会に、新駅名を話題にすると、第6駅については「新浦和」という答えが多いという。市民アンケートの結果を参考に、審査委員会の選考、市議会への報告などを経た上で、3月から4月にかけて国鉄に要望する予定としている。

〇「何にしようか新駅の名前 通勤新線 6駅「新浦和」7駅「別所…」など 公募に意見さまざま」埼玉新聞 1984年12月28日 6面
 市広報で実施した新駅名案公募に、12月27日までに市民40人余りから手紙、はがき、電話などで意見が寄せられたことを報じる記事。第6駅については、最も多いのは「新浦和」の12人、次いで「大里」の5人、「武蔵浦和」の4人、ほかに二人以上の意見として「田島」「浦和白幡」「浦和沼影」、一人だけの意見は「本浦和」「中浦和」「下浦和」「東田島」「別所台」などがあったとのこと。市民のほか、浦和青年会議所からは「さくらそうヶ丘」「さくらそう浦和」「文教中央」とする案が寄せられたとのこと。

×「「通勤新線」の名称に頭脳ます討議チーム 県側、結論に時間かかりそう」埼玉新聞 1985年2月15日 11面
 線名についての話なので駅名は関係なし。

〇「通勤新線第6、第7駅の駅名 「武蔵浦和」と「新浦和」に 浦和市、国鉄に要望へ」埼玉新聞 1985年3月15日 7面
 3月14日の定例議会で中川健吉市長が、第6駅を「武蔵浦和」、第7駅を「新浦和」という候補名で国鉄側に要望することを明らかにしたという記事。
 12月広報による公募で70件の回答が寄せられ、第6駅については①新浦和(31通)②浦和中央(5通)②武蔵浦和(同)②大里(同)の順で市民の声が集まり、この回答を文化団体などが組織する「駅名要望検討会」に諮って協議した。市が「浦和」と折り込んだ名称にしたいとの基本的立場を説明したうえで意見を求めたところ、武蔵野線に近く、しかも「武蔵野」のイメージが浦和周辺にありながら同市を通る武蔵野線の中にも「武蔵」の名を持つ駅名がないとして「武蔵浦和」とすることで一致したとのこと。

〇「反射鏡 通勤新線 駅名出そろう 予想外の「武蔵浦和」も」埼玉新聞 1985年3月25日 8面
「第6駅については、武蔵野線各駅名との整合性から「新浦和」が有力とみられていたのが、ふたを開けてみたら、アンケート少数派の「武蔵浦和」。新浦和は第7駅の要望駅名に化けていた。第7駅の駅名案をどうするかが、キーポイントだっただけに、仕方がないともいえるが、国鉄側がどう出るか注目されるところ。」

〇「モタつく通勤新線第6駅名「新浦和」だ、いや「武蔵浦和」 住民(対立)市側 国鉄への要望書タナ上げ」埼玉新聞 1985年5月20日 11面
 市は「武蔵浦和」で駅名案を決定したが、沼影、内谷、曲本などの周辺地区の住民は「新浦和」の方が実情に合っていると主張しており、国鉄側からも、「武蔵を頭に使うと、ローカルのイメージが強調されて、県都の駅にふさわしいとは言えない」というアドバイスがあって、駅名要望書の提出が遅れている、という記事。国鉄東京北局企画室長のコメントとして、「地元の方に末永く愛されることを前提に駅名を考えたい。そこで地元の要望する駅名が最も参考になるわけだ。しかし、あくまでも参考程度である。」とある。

×「第6駅「武蔵浦和」、第7駅「中浦和」 浦和市ようやく要望書 通勤新線駅名案」埼玉新聞 1985年6月22日 8面
新浦和から中浦和に変更した経緯について記載あり。武蔵浦和駅については特に記述がなく、6月21日までに、第7駅「中浦和駅」とあわせて、第6駅「武蔵浦和駅」という駅名案で、国鉄に要望書を提出した、ということが分かるのみ。

〇「県内はすべて要望通り 新線駅名 第6駅は「武蔵浦和」に 立ち消えの「新浦和」」埼玉新聞 1985年7月12日 16面
 新駅名が国鉄に提出した要望書のとおり決まったことを報じる記事。
「もっとも、どんじりの今年の6月になって要望した浦和市の「武蔵浦和」と「中浦和」も、形の上から見れば、スンナリ。要望までにごたごたがあったものの、要望書提出の段階ですでに国鉄とのコンセンサスが整っていたとみられるだけに、決まるのは早かった。」
「ところで、要望に先立って三市とともに、地元市民とのコンセンサスを得るための駅名アンケートを実施した。しかし、その集票結果を重んじてストレートに、国鉄に要望した市は、残念ながら皆無だった。(中略)浦和市に至っては、第6駅のアンケートトップの「新浦和」を第7駅の要望駅名にすり替えたあと、市民の反発をかわすためか、最終的に要望駅名から抹殺してしまった。」
事前調査事項
NDC
  • 鉄道運輸 (686 10版)
  • 地方自治.地方行政 (318 10版)
参考資料
キーワード
  • 武蔵浦和駅
  • 田島信号所
  • 駅名
照会先
寄与者
備考
調査種別
文献紹介
内容種別
郷土
質問者区分
社会人
登録番号
1000347060
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000347060 コピーしました。
アクセス数 3321
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