レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年3月31日
- 登録日時
- 2018/03/27 17:59
- 更新日時
- 2025/11/07 11:35
- 管理番号
- 県立長野-17-158
- 質問
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解決
須坂藩の御殿医だった板倉雄碩と子孫について知りたい。
- 回答
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以下の資料に板倉雄碩について掲載あり。
・『須坂人物誌』須坂市人物誌編集委員会編 須坂市 1966【N214/31】
p.206-207「板倉雄碩」の項
末尾に「雄碩は嗣子なく中野町の医師西川家より養嗣子信哉を迎えたが、孫信二・曽孫信一郎ともに医業を継ぎ現在に至っている。」とあり。(この項の参考文献は『三峰紀聞』『筆塚竝先人冢墓調』・外)
・『筆塚竝先人冢墓調』上高井郡教育会編 上高井郡教育会 1933【N214/22】
須坂町の項目のうち、「板倉雄碩墓」2丁表・裏(頁付けはなし)
この文章の末尾に「法事入用諸懸帳文久二年ヨリ」とあり
・『三峰紀聞』丸山辰政著 信濃教育会上高井部会 1936【N214/1】
p.102-105「雄碩國手並佐久間之名士」
・『須坂市史』須坂市史編纂委員会編 須坂市 1981【N214/50】
「須坂市内の寺子屋と私塾」p500表に「板倉雄碩」あり
・『須坂市誌 第4巻 歴史編2 近世』須坂市誌編さん室編 須坂市 2015【N214/119/4】
「須坂市域の筆塚と寺子屋師匠」p.453表に「板倉雄碩」あり
・『高井』第21号 上高井地方史研究会 1972.6
p.22-30 西川玄著「御殿医板倉雄碩と西川東玄;医術家としての象山をめぐる」
板倉雄碩については主にp.22-23に掲載があるが、1の資料で紹介した雄碩の養嗣は西川東玄の長男であり、西川東玄についてはp.23-24に主に掲載がある。p.25からも雄碩の名前が散見できる。
- 回答プロセス
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1 当館OPACで「板倉雄碩」検索。『高井』がヒットし、該当の論文を確認。出典資料の内、『筆塚竝先人冢墓調』『三峰紀聞』『須坂人物誌』を確認。(『須坂人物誌』については当館で所蔵している『須坂市人物誌』を確認する。(書名は奥付・背による.標題紙の書名:長野県須坂人物誌))
2 『筆塚竝先人冢墓調』により寺子屋の師匠をしていたことがわかり、『須坂市史』『須坂市誌』などで寺子屋の箇所を調査する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 板倉雄碩
- 須坂藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000233333