レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年09月14日
- 登録日時
- 2018/09/17 13:44
- 更新日時
- 2024/12/25 15:24
- 管理番号
- 島根郷2018-09-002
- 質問
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解決
油絵画家青山襄(じょう)について知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料を紹介し、回答とした。
〇資料1: p.37「青山襄(あおやま のぼる)」には、次のプロフィールがある。
・明治34年4月24日松江市出身
・通称:襄(じょう)
・大正10年旧松江中学(現松江北高)卒、昭和2年旧東京美術学校(現芸術大)卒
・昭和12年出征、戦地応召3回
・終戦後、美術団体旺玄会委員や新世紀委員を経て、資料1出版当時は新協美術委員、青山デザイン研究所取締役
・近作として、「女体百態」シリーズ、静物「りんご」が挙げられている
そのほか、趣味や妻の情報がある。
〇資料2 :p.485「青山襄 洋画家」には、次の情報がある。
・青山家は出雲藩の御船方(※出雲藩は松江藩の意味だと思われる)
・昭和8年院展に入選、昭和10年第一回二科展、昭和11年京城で個展、昭和12年北支に画旅行
・昭和22年、島根県洋画展審査委員となり、松江美術工芸研究所の講師を兼ねる
・昭和23年、大社高校教諭
・昭和24年、再び上京し、旺玄会の委員になる
ほか、家族についての情報がある。
〇資料3
p.7「松江美術高額研究所の様子」によると、戦争で松江に疎開していた、「一流の芸術家たちに活動の場を提供するとともに、郷土の若い人たちにその貴重な知識や技術を伝えてもらう狙い」で、当時の飯石郡吉田村村長、田部長右衛門氏によって、昭和21年に設立されたとのこと。
・p.12講師陣の紹介として「青山襄」の項目がある。
これによれば、東京美術学校油絵科卒業後、藤島武二、岡田三郎助などに師事したとのこと。
また、昭和33年には、島根新協美術会の創立とともに会員になったとある。
モノクロ写真で作品が3点紹介されている。
・p.35研究所で学んでいた片寄氏の寄稿。青山襄先生は「愉快な方であった」、「油絵の基礎をしっかり教え込まれた」と回想している。
〇資料4 :p16-23 「松江美術工芸研究所へようこそ」平本映子/著
資料3を参考資料として書かれているため、内容は資料3と重複している。
青山氏に関する、ほかの資料にない情報として、「松江市東本町出身」とある(p.20)。
〇資料5:第11巻9号p.89「慶び」
青山氏による文章。昭和15年8月付で、戦中の混乱をうかがうことができる、短いエッセイである。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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【資料1】山陰中央新報社 編 , 山陰中央新報社. 島根県人名鑑 1992. 山陰中央新報社, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069471152-00 (当館請求記号 092.8D/903※貸出禁止資料) -
【資料2】市原成臣 編 , 市原成臣. 新日本人物大観. 人事調査通信社, 1957.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069341419-00 (当館請求記号 092.80/116※貸出禁止資料) -
【資料3】知られざる「松江美術工芸研究所」の世界. 島根県文化振興財団, 2003.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069513872-00 (当館請求記号 郷貸出 700/シ03) - 【資料4】松江文化情報誌 湖都松江 第9号 (当館請求記号 郷貸出 SZ05/コ/9)
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【資料5】島根タイムス 第6巻7号,第11巻8号-11号 複写. 島根タイムス社, 1935.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I32111110368182 (当館請求記号 C2/2760 ※貸出禁止資料)
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【資料1】山陰中央新報社 編 , 山陰中央新報社. 島根県人名鑑 1992. 山陰中央新報社, 1992.
- キーワード
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- 青山蘘
- 油絵画家
- 松江
- 島根県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000242610