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レファレンス事例詳細

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事例作成日
2024年05月23日
登録日時
2025/01/21 15:34
更新日時
2025/02/11 11:46
提供館
さいたま市立中央図書館 (2210012)
管理番号
中央-1-0021790
質問

解決

歌謡曲「南国土佐を後にして」の原曲は大東亜戦争中に陸軍朝倉歩兵236連隊で作られたものが元になっているとされているが、敗戦後、武政英策が採譜して歌詞の中で戦争を想起させる部分を変更して現在のものになったということを知った。武政英策が変更する前の歌詞を知りたい。できれば武政英策が採譜したものを見たい。
回答
変更前の歌詞については、下記の資料に掲載があることを確認できた。曲についての解説もある。
・『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』門田隆将/著 小学館 2017年
p31-33「南国土佐を後にして」の原曲である『南国節』の1~3番の歌詞が掲載されている。

・『日本民謡全集 4 近畿・中国・四国編』雄山閣 1976年
p278「南国土佐を後にして(新民謡) 第二次世界大戦中に中支に出征した土佐鯨部隊の兵隊が、望郷のおもいをこめてうたいだしたもの。作詞、作曲者は不詳である。戦後復員軍人によってもちかえられ、宴席でのお座敷歌となって全県下的にうたわれている。」
p283「南国土佐を後にして」の1~3番の歌詞(変更前)が載っている。

・『四国民謡全集』桜楓社 1986年
p142「南国土佐を後にして」の1~3番の歌詞(変更前)と曲についての説明が載っている。

・『戦争が遺した歌 歌が明かす戦争の背景』長田暁二/著 全音楽譜出版社 2015年
p283-285「南国土佐を後にして」の楽譜、1~3番の歌詞(変更前)と、曲についての解説あり。解説部分に「原曲の作者が不明なため、武政英策の作詞・作曲と著作権登録され認知された」とある。

武政英策が採譜したものについては、見つからなかった。
元歌が土佐の部隊が歌っていたもののため、オーテピア高知図書館に調査協力を依頼し、所蔵資料を確認していただいた。
オーテピア高知図書館所蔵の以下の資料に、譜面はなかったが、採譜の経緯が記されていたことが分かった。

・『歌ありてこそ』武政英策/著 武政春子 2000年
p75-76
「この”原曲”を耳にしたのは戦後まもないころ。酒の入った席で兵隊帰りの人が時々歌っていた。歌詞を聞いていると、中支派遣鯨部隊(四国混成部隊)の兵隊さんたちの苦労がしのばれるものでした。ただ、曲となると人によって少しずつ違う。昔あった歌謡曲を焼き直したと思われるもの、あるいは軍歌というか、寮歌というか、勇ましいバンカラ調のものなど、さまざまです。そんな風だから、曲に統一がなく、あっさりと言えば節はウロウロし、音痴の歌みたいだった。曲の名も「南国節」とか適当につけていた。そんなわけで最初は特に興味を引かれなかったが、そのうちどうもあまりバラバラなのが気になりだしました。そこでいろんな人から採譜したが、やっぱり節が違いすぎる。結局、ちょいちょい行ってた料亭「浜長」のおやじさんが、「うちの仲居がなかなかうまい」と言うので呼んでみた。年増のおばちゃんで、三味線もこなして歌ってくれた。さすがに音痴の歌じゃない。「これなら節らしい節」と思ったので、今までに採譜した節も一部生かし私の曲に作り直した。もちろん、そのままでは演奏できる曲にはならぬので前奏や間奏も入れます。 ~中略~ 曲名もあれこれいうよりも「南国土佐を後にして」の出のところをそのまま題名にした。だれに頼まれた仕事でもないので、最終的に仕上げたのは昭和二十七年ごろでした。」
p78
「歌詞はラジオ発表の時と同じく、日中関係へのおもんぱかりもあって、一番の「中支へきてから」を「都へ―」に、二番の「月の露営で」を「-浜辺で」、三番の「手柄をたてて」を「励んだ後で」というように直し、戦時色を消した。」

オーテピア高知図書館で所蔵している資料の中でも、採譜した譜面は見つからなかったそうだが、上記のとおり、武政氏は色々な人の歌っていたものを採譜していたようだ。
回答プロセス
●書架を見る
・『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』門田隆将/著 小学館 2017年(回答に記載)

・『<海外進出文学>論・序説』池田浩士/著 インパクト出版会 1997年
p328「よさこいと兵隊(土佐出身の「鯨」部隊兵士たちが作詞作曲して歌った。戦後にペギー葉山が歌ってヒットした「南国土佐を後にして」の原歌)。」とある。

・『日本民謡全集 4 近畿・中国・四国編』雄山閣 1976年(回答に記載)

・『ジャンボ日本の詩情 流行歌2570曲集』阿部 徳二郎 今井 巌/共編 全音楽譜出版社 1985年
これはペギー葉山の歌の歌詞だった。
p492 ペギー氏が歌う、配慮の成された後の歌詞が掲載。

・『四国民謡全集』桜楓社 1986年(回答に記載)

・『歌と戦争 みんなが軍歌をうたっていた』櫻本富雄/著 アテネ書房 2005年
p115「南国土佐を後にして」について書かれているが、触れた程度。

・『戦争が遺した歌 歌が明かす戦争の背景』長田暁二/著 全音楽譜出版社 2015年(回答に記載)

●インターネットで検索する
・「青山学院資料センターだより17号」 青山学院資料センター編・発行 2017年
https://www.aoyamagakuin.jp/wp-content/uploads/2018/05/agal_17.pdf(最終確認2025.1.28)
p4 もう一つの「南国土佐を後にして」(同大学文学部史学科教授 飯島 渉)によると、
この歌にはいくつかのバージョンがあるが、「南国土佐を後にして 都へ来てから幾歳ぞ」は、「南国土佐を後にして、中支へ来てから幾年ぞ」というのがもともとの歌詞で、「月の浜辺でたき火を囲み しばし娯楽のひとときを」も、「月の露営でたき火を囲み しばし娯楽のひとときを」であったという。鯨部隊が中国大陸での戦闘の中で、望郷の念に駆られながら歌ったのが「南国土佐を後にして」だったのである。ちなみに、YouTubeなどで、戦時歌謡版を聴くことが出来る。
(上記の『日本民謡全集 4 近畿・中国・四国編』でも同じく確認できる)

●オーテピア高知図書館に協力レファレンスを依頼
オーテピア高知図書館より次のとおり回答あり

・『土佐ふるさとのうた:武政英策作品集』武政英策/著 高知新聞社 1983年
pp.102-104に「南国土佐を後にして」が掲載されていましたが、これは原曲ではなく、武政氏が編曲したものでした。

・『歌ありてこそ』武政英策/著 武政春子 2000年(回答に記載)

当館で所蔵している資料のなかには採譜した譜面は見つからなかったのですが、上記のとおり、武政氏は色々な人の歌っていたものを採譜していたようです。

次のような資料が見つかりましたので、参考までにご紹介いたします。
・『昭和の防人の歌』浜田幸吉/著 ヘンゼの森集伝舎 1994年
元鯨部隊の隊員の方が書かれた本で、原作者騒動について詳細にまとめられています。
また、元隊員の方が記憶していた歌詞なども出ていました(p.68、p.134など)。

・高知新聞記事「「南国土佐を後にして」兵士の記憶 生死のはざま 泣いて合唱 戦地に望郷の調べ」2017(平成29)年5月20日付 夕刊 1p
元・鯨部隊隊員の渡辺盛男さんという方が語っているもので、戦場で歌っていたという歌詞が掲載されていました。
メロディについては、武政さんの採譜したものについて「戦時下に歌ったものとメロディーもほとんど変わらない」とあります。

このほか「南国土佐を後にして」の原作者騒動に関する高知新聞記事もいくつか見つかりましたので、念のためご紹介いたします。
・「芸能『私のこの一曲』久米滋三(74)土佐電鉄社長 「南国土佐を後にして」(武政英策編曲)」1988(昭和63)年6月17日 夕刊 4p
・「武政氏の補作編曲認む ”南国土佐を後にして”の著作権問題 協会で決定」1959(昭和34)年8月30日 朝刊 5p
・「武政英策の嘆き ”ブーム最大の被害者 世に出したい土佐の歌”」1959(昭和34)年8月23日 夕刊 3p
・「碑に佇む(浜田幸吉)」1992(平成4)年11月9日 朝刊 18p
・「『四国音楽散歩(2)』南国土佐を後にして(中)」2005(平成17)年4月14日 朝刊 12p
・「声ひろば」1993(平成5)年1月7日 朝刊 19p
読者投稿欄ですが、「南国土佐を後にして」に関連した投書が3つ(「再び「歌の運命」」(佐々木克己)、「「南国土佐―」は昭和の防人歌」(浜田幸吉)、「作詞と作曲」(森久敬))掲載されていました。
事前調査事項
NDC
  • 声楽 (767 10版)
  • 伝説.民話[昔話] (388 10版)
  • 日本文学 (910 10版)
参考資料
キーワード
  • 高知県
  • 土佐
  • 南国土佐を後にして
  • 歌謡曲
  • 原曲
  • 歌詞
  • 戦争
  • 武政英策
  • 採譜
照会先
寄与者
備考
調査種別
文献紹介
内容種別
質問者区分
社会人
登録番号
1000361930
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000361930 コピーしました。
アクセス数 629
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