レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/06/23
- 登録日時
- 2009/11/11 02:11
- 更新日時
- 2009/12/02 11:07
- 管理番号
- 埼熊-2009-031
- 質問
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解決
民謡「おてもやん」について以下のことが知りたい。①「おてもやん」はどこの民謡か。②曲の生まれた背景について知りたい。③歌詞の意味を知りたい。
- 回答
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①「おてもやん」はどこの民謡か
熊本県の民謡(お座敷唄) 出典:『熊本県大百科事典』『日本民謡大事典』『日本大百科全書 4』
②曲の生まれた背景
いくつかの説があり、記述のあった資料を紹介する。(回答プロセス参照)
③歌詞の意味
歌詞の意味が掲載されていた以下の資料とWeb情報を紹介する。
『民謡手帖』(竹内勉 駸々堂出版 1989)p48〈おてもやん〉 歌詞の意味あり。
『日本民謡大事典』(浅野建二 雄山閣出版 1983)p110簡単な歌意あり。
Web情報
「週刊メールマガジン 気になる!くまもと」で1番の歌詞と現代標準語訳を閲覧できる。
(http://www.kininaru-.jp/bns/back_doc/09142001/hakken.html 2009/7/18最終確認)
- 回答プロセス
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①「おてもやん」はどこの民謡か 所蔵資料を調査し回答する。
②曲の生まれた背景
所蔵資料
『熊本県大百科事典』(熊本日日新聞社 1982)
p121〈おてもやん〉 解説とおてもやん踊りの写真あり。「唄が完成したのは幕末の頃というのが一応の定説となっている。「玄白なすび」というはやし言葉によって、わかるように幕末の蘭学者・杉田玄白以降のことである。(略)その動機については諸説があり、作家の荒木精之は「勤王党の忍び唄ではないか」と言い、あるいは単なる「ぜれ唄」説をとる学者もいるが定かではない。」
『日本民謡大事典』(雄山閣出版 1983)
p109-110〈おてもやん〉「内容については、幕末勤皇党の忍び唄であるとか、その至情をざれ歌に託したもの、あるいはモデルのある農村の恋唄説など、さまざまあるが不詳。」
『民謡手帖』(駸々堂出版 1989)
p48〈おてもやん〉「明治維新によって、かつての藩領内への出入りが自由になったことと、新政府の役人の移動が激しくなったので、花柳界で他国からの客用に、国訛り集の歌を作るのは当然である。今でも観光地に、方言づくしの手拭いが売られているのと同じだろう。」
『日本民謡民踊銘鑑 1983年版』(日本伝承芸能文化振興会 1983)
p470〈熊本県〉に「[おてもやん]というのは俗称で、正しくは[熊本甚区]といい(略)昭和十年、赤坂小梅によってレコードに吹き込まれ、世に知られるようになったが、小梅自身小倉の旭券番から出る前、熊本の料亭にいたことがあり、その頃、先輩芸者から教わったものだという。」
③歌詞の意味 所蔵資料を調査し回答する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 『熊本県大百科事典』(熊本日日新聞社 1982)
- 『日本民謡大事典』(雄山閣出版 1983)
- 『民謡手帖』(駸々堂出版 1989)
- 『日本民謡民踊銘鑑 1983年版』(日本伝承芸能文化振興会 1983)
- キーワード
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- 民謡-熊本県
- おてもやん-熊本甚句
- 歌詞
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 《レファ協DB》の管理番号「9000002388」(山梨県立図書館)が類似の調査事例である。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000059391