レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/11/30
- 登録日時
- 2025/01/24 00:31
- 更新日時
- 2025/01/24 00:31
- 管理番号
- R1015036
- 質問
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解決
天岡均一の経歴について知りたい。
- 回答
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天岡均一について、以下の資料に記載がありました。
・『大阪人物辞典』(三善貞司/編 清文堂出版 2000.11)
p.32-33「天岡均一」の項に「明治8(1875)三田藩家老職天岡源六の長男に生まれた。字は天真、幼時から彫刻に異才を見せ、親の反対を押し切って東京美術学校に入学、専心勉励し同30年卒業後和歌山に移り、国宝修復事業に従事した」等の記載があります。
・『天岡均一没後九十年回顧展:兵庫県三田市生まれの豪気な天才彫刻家』(天岡均一/[作] [七曜会] [2013])
p.2にプロフィール、p.8に「天岡均一の作品年譜」がまとめられており、明治8年10月に生まれ、大正13年10月に49歳で急逝したとあります。また、本人や作品の写真が多数掲載されています。
・『大阪の文化財(毎日放送文化双書)』(毎日放送 1973.11)
p.273に、天岡均一について「彼は明治八年兵庫県三田で生まれ、東京美術学校の彫刻科に入学し、竹内久一に師事した。卒業後は久一に従って全国の古社寺をめぐり宝物の調査や保存の仕事に従事した。難波橋の橋詰にライオンを作り、また神戸湊川神社の大楠公騎馬像を造っている。大正13年に享年50で没した」とあります。
・『新修大阪市史 第6巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.12)
「第4章 社会生活と文化の諸相」「文展の成立」の項(p.904-908)に、黒岩淡哉の後に洋風彫刻を本格的に制作したのが天岡均一であり、「兵庫県三田市の出身で東京美術学校彫刻科に入学」「[明治]33年ごろ結婚して大阪に居を構えた」等の記載があります。
・『大阪人物誌 正編』(石田誠太郎/著 臨川書店 1974)
p.702「天岡均一」の項に、経歴について簡潔に記されています。
・山脇佐江子「難波橋ライオン像の作者 天岡均一」『大阪春秋 15(3)<48>』(新風書房 1986)p.106-109
天岡均一の経歴や写真が掲載されています。
・浅井允晶「天岡均一作「老婆像」をめぐって」『心 31(2)』(向日書館 1978)p.137-141
老婆像が中心ですが、「天岡均一(1875-1924)が、東京美術学校に進み、彫刻への途を歩みはじめたのは、明治25(1892)のことであった」等、天岡自身についての記載も少しあります。
[事例作成日:2024年11月30日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝記 (280)
- 参考資料
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- B10987763 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版 2000.11 281.63 4-7924-0499-1 (p.32-33)
- B16974967 天岡均一没後九十年回顧展 天岡均一/[作] [七曜会] [2013] 710.87
- B10409415 大阪の文化財 毎日放送 1973.11 709.163 (p.273)
- B10060173 新修大阪市史 第6巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1994.12 216.3 (p.904-908)
- B10466833 大阪人物誌 正編 石田/誠太郎∥著 臨川書店 1974 281.63 (p.702)
- B14473986 大阪春秋 1986 15(1-3)<46-48> 新風書房 大阪春秋社 1986.01.01
- B14488844 心 1978/01-1978/04 31(1-4) 心編輯所 向日書館 1978.01.01
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000362099