本文へスキップします。
レファレンス協同データベース
    • 検索条件が入力されていません。
    • 検索キーワードは7単語以内で入力してください。
  • ヘルプ
  • ログイン
  • 検索条件が入力されていません。
  • 検索キーワードは7単語以内で入力してください。
  • 事業について

    • レファ協とは?
    • おすすめ!レファ協データ
    • 事業概要
    • 事業報告・統計
    • 事業フォーラム
    • 企画協力員について
    • サポーターについて
  • 関係者の方へ

    • 事業への参加
    • データの作成・公開
    • システムの使い方
    • レファ協活用術
    • 事業担当者研修会
    • 御礼状・企画協力員賞
  • 参考情報

    • コラム集
    • レファレンス関連情報
    • 刊行物・グッズ
  • レファ協トップページ
  • What's CRD(English)
  • 参加館一覧
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • @crd_tweet
現在位置
  • トップページ
  • 詳細検索
  • 検索結果一覧
  • レファレンス事例詳細
レファレンス協同データベース

レファレンス事例詳細

  • 前のデータへ
  • 次のデータへ
事例作成日
2013/01/16
登録日時
2013/01/23 02:00
更新日時
2013/04/17 13:13
提供館
豊中市立図書館 (2310050)
管理番号
6000010481
質問

解決

国産第一号のビールを造ったのは、豊中市桜井谷の渋谷庄三郎という人だときいた。これについてさらに詳しくわかる資料はないか。
回答
下記の資料に渋谷庄三郎氏について書かれた記事があり。
回答プロセス
大阪の人物ということと、産業に関わる人物ということで各人物事典にあたった。
『大阪人物辞典』(清文堂出版)『事典 近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ)に項目「渋谷庄三郎」あり。
また、豊中市にゆかりの人物なので『新修豊中市史 第8巻 社会経済』(豊中市)をあたると、「桜井谷村出身の実業家 渋谷庄三郎~わが国ビール醸造の創始者」という節がみつかった。「渋谷家の出自」「綿問屋商人・桜井屋」「渋谷庄三郎の活躍」「綿業近代化への貢献」の小節から成る。渋谷ビールの商標収載。当時の製法についても記載あり。

さらにインターネットで検索すると、下記のページがヒットした。
それによると大阪市にもゆかりの人物ということがわかったので、『新修大阪市史』も確認することにした。
『新修大阪市史』第5巻に渋谷ビールについて記述があり、そこで稲垣真美『日本のビール』(中央公論社)が典拠としてあがっていた。
事前調査事項
ビールについて書かれた本で簡単に触れられていた。
NDC
  • 個人伝記 (289 9版)
  • 食品工業 (588 9版)
参考資料
  • 『事典近代日本の先駆者』富田 仁/編(日外アソシエーツ)   (p307)
  • 『大阪人物辞典』三善 貞司/編(清文堂出版)   (p544-545)
  • 『新修豊中市史 第8巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)   (p408-412)
  • 『新修大阪市史 第5巻』新修大阪市史編纂委員会/編集(大阪市)   (p822)
  • 『日本のビール』稲垣 真美/[著](中央公論社)   (p31-35)
  • 『ビール物語』石黒 敬七/著(井上書房)   (p22-26)
  • 『ビールの本』植田 敏郎/著(東京創元社)   (p173)
  • 『ものづくり上方“酒”ばなし』松永 和浩/編著(大阪大学出版会)   (p58-59)
キーワード
  • 酒
  • ビール
  • 渋谷庄三郎(シブヤショウザブロウ)
  • 渋谷庄三郎(シブタニショウザブロウ)
  • 豊中市(トヨナカシ)
  • 桜井谷(サクライダニ)
照会先
寄与者
備考
藤沢英夫「ビール醸造設備発展の系統化調査」(『国立科学博物館 技術の系統化調査報告』第14集)
http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/058.pdf
「日本人として最初に商業用ビールの醸造を手がけたのは渋谷(しぶたに)庄三郎」と紹介。

生涯学習情報誌「いちょう並木」2009.12・1月号おおさか歴史探訪31
http://www.manabi.city.osaka.jp/contents/lll/ityou12/buckup/200912_p30.pdf
渋谷庄三郎氏の略歴とその事跡を顕彰した石碑(国産ビール発祥の地)と解説板について書かれたコラム。石碑の場所は北区堂島浜1丁目とある。地図あり。

『大阪人物辞典』(清文堂出版)
しぶやしょうざぶろうの項に「ビール製造業者。日本で始めてビールを作ったのは、幕末の蘭医川本幸民だという。(中略)明治二年(一八六九)横浜の米人コプランドとウェガンドは本国から機械を取り寄せ製造したが、単なる試供品に過ぎない。(中略)明治五年庄三郎はフルストの指導で、北区堂島中町の大きな土蔵に、『渋谷ビール製造所』の大看板を建てる。これが日本ビール工場の第一号であった」とある。

『新修豊中市史』第8巻 社会経済
「わが国において本格的にビールの醸造をしたのは、明治3年(1870)に横浜居留地でアメリカ人(もとノルウェー人)ウィリアム・コープランドが設立したスプリング・バレー・ブルーワリーが最初であった。日本人としては、明治2年(1869)に設置された開拓史がビール醸造の研究を行っていた。しかし、実際に日本人として最初にビール醸造に成功したのは、大阪の渋谷庄三郎であった。(中略)庄三郎は、酒の醸造が家業でもあったことから、番頭の金沢嘉蔵にフルストから麦酒製造技術を習得させた。そして、堂島中町9番地にあった自己所有の蔵を改造して渋谷ビール製造所の看板を上げ、ビール醸造に乗り出したのである。」

稲垣眞美『日本のビール』(中央公論社)
「渋谷ビールの発足」という小節で、渋谷氏とそのビールについて書かれている。「日本人としては最初のビールの製造・販売者たるの業績をのこした」p34と紹介されている。

石黒敬七『ビール物語』(井上書房)
「関西の渋谷庄三郎(渋谷ビール)」という小節で、渋谷氏とそのビールについて書かれている。近影収載。「甲府の野口正章が関東のビール醸造の元祖とするならば、(中略)わが国におけるビール醸造の元祖ということができる」p26と渋谷氏を紹介している。

『ものづくり上方酒ばなし』(大阪大学出版会)
「日本人による初の商業的ビール製造」p58として渋谷氏の事業を紹介している。

*『新修豊中市史』第8巻、『日本のビール』、『ビール物語』、『ものづくり上方酒ばなし』に収載されている商標にはアルファベットで「SHIBUTANI.」とある。『新修大阪市史』第5巻と『事典 近代日本の先駆者』はヨミ「シブタニ」を採用。
調査種別
文献紹介
内容種別
郷土
質問者区分
一般
登録番号
1000127052
転記用URL
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000127052 コピーしました。
アクセス数 10003
拍手! 2
  • Xでポストする
  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る
  • はてなブックマークに登録する
  • メールで送る
  • 前のデータへ
  • 次のデータへ
◀検索結果一覧へ戻る
  • レファ協トップページ
  • What's CRD(English)
  • 参加館一覧
  • サイトポリシー
  • お問い合わせ
  • @crd_tweet
  • 事業について
  • レファ協とは?
  • おすすめ!レファ協データ
  • 事業概要
  • 事業報告・統計
  • 事業フォーラム
  • 企画協力員について
  • サポーターについて
  • 関係者の方へ
  • 事業への参加
  • データの作成・公開
  • システムの使い方
  • レファ協活用術
  • 事業担当者研修会
  • 御礼状・企画協力員賞
  • 参考情報
  • コラム集
  • レファレンス関連情報
  • 刊行物・グッズ
  • 国立国会図書館ホームページ
  • 国立国会図書館サーチ
  • リサーチ・ナビ
Copyright © 2024- National Diet Library. All Rights Reserved.
ページの先頭へ