レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20231009
- 登録日時
- 2024/07/31 00:30
- 更新日時
- 2024/10/08 16:56
- 管理番号
- 0000202439
- 質問
-
解決
1.佐賀江川の舟運(船による輸送や交通)について知りたい。
2.川沿いに酒屋が多い理由を知りたい。荷物を舟で運びやすいためか。
- 回答
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御質問の件について、次のとおり回答します。
1.「佐賀江川の舟運」については、次の資料に記載がありました。
(1)『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982
p.317 「さがえがわ 佐賀江川 <佐賀市・諸富町>」
明治中期ごろまで千石船が往来し、佐賀市今宿から材木町にかけては回漕問屋や材木店が軒を並べにぎわった。今宿が川港として最も繁栄したのは幕末のころという(蒲原家文書)。
(2)『日本歴史地名大系 42 佐賀県の地名』 平凡社 1980
p.172 「佐賀江」
またこの江湖は川舟による水運の便に恵まれ、江戸時代は米などの運送には欠かせない水路で、佐賀城下と諸富津・寺井津(中略)・早津江津(中略)を結んでいた。高尾(現巨勢町)にあった佐賀藩の米蔵はこの舟運に立地していた。
(3)『佐賀市史 第2巻』 佐賀市史編さん委員会/編 佐賀市 1977
p.261 嘉永末年の当町の竈帳によって、この町の住民の職業を類別してみると、全竈(全世帯)九五のうちで「川舟さし」が一〇を数え最も多い。以上の考察で佐賀江を上下する船がこの下今宿町に集まりこの地がいわば川港の町としての性格をもっていたことがわかるのであろう。
(4)『佐賀市の川と橋』 佐賀市建設部管理課/編 佐賀市建設部管理課 1993
pp.102-103 「思案橋」
pp.141-143 「佐賀江川(佐賀江・佐賀江湖)」 ※p.141-142に佐賀江川の舟運について記載があります
(5)『佐賀平野の水と土』 江口 辰五郎/著 新評社 1977
p.48 佐賀江では、筑後川の蒲田津までは、外洋をはしる舟がはいってくる。そこで上荷舟に積みかえて、佐賀江を佐賀城下今宿までのぼる。
p.65 今宿江湖(佐賀江)を運河として利用し、筑後川から石材や材木等を運ぶことができるようにした。
p.74 佐賀城下経営と舟運のための河川開発として、成富兵庫の佐賀江、本庄江での低水工事が考えられる。
p.134 ※筑後川との関わりや佐賀江の舟運について記載があります
(6)『佐賀城下探訪会 佐賀城下の水系 東めぐり 佐賀江、巨勢川と十間堀 第33回』 徴古館/編 徴古館 2016
※佐賀江について、古地図・絵図・古文書等の参考資料を用いて解説されています
(7)『城下町佐賀の環境遺産 1』 佐賀市教育委員会/編 佐賀市教育委員会 1991
p.45 ※明治中期の『明治銅版画佐賀県独案内』に描かれた下今宿町の川岸の様子について記載があります
(8)『都市空間の近世史研究』 宮本 雅明/著 中央公論美術出版 2005
p.315 水路は城下南東部に掘り込まれた運河佐賀江で、(中略)この水路は、鍋島氏のかつての居城、蓮池城と佐賀城とを結んだ重要な運河で、(中略)舟運による佐賀城下への玄関口の役割を果たし、(中略)今宿橋付近は河港として城下随一の賑わいを見せた。
(9)『ふるさと循誘』 江原 菅雄/編 循誘公民館 1996
p.23 「思案橋」
p.55 私の住む材木町は(中略)佐賀城が、慶長7年から同17年にかけて築造されたことに伴い、(中略)佐賀江川による水運の便を生かして材木橋まで運ばれてきた物資のうち、特に木材の集散地として明治の中期まで大変栄えた町だった。
p.77 昔の柳町は東の入口、思案橋から始まり(中略)神埼や蓮池、兵庫からの出入が多く、又町の玄関である思案橋は、アーチ型で、今宿から来る舟がここを通って、柳町の方へ着いていた。
p.153 この今宿は佐賀城下唯一の河港として栄えたもので、この佐賀江川は、(中略)多くの物資が千石舟で運搬され(中略)陸に鉄道ができるまで、この川が交通運輸の役割を果たしていたのである。
p.155 「下今宿町のかって(原文ママ)の繁栄振り」
pp.161-162 「下今宿の昔あれこれ」
2.「川沿いに酒屋が多い理由」については、当館の調査した資料(古文書等、古地図・絵図等歴史資料を除く)では、確認できませんでした。参考として、下今宿町で酒の製造販売などを取り扱った佐賀藩の御用商人「蒲原家」に関する以下の資料を御紹介します。
(2)『日本歴史地名大系 42 佐賀県の地名』 平凡社 1980
pp.180-181 「下今宿町」
p.181 御用商人の蒲原家の金穀出入控が残されているが、同家は下宿町の東端にあって広大な住居をもち、米・薪炭・雑穀・味噌・醤油・糀・酒などを取り扱い、川舟で商品を動かしていた。
(3)『佐賀市史 第2巻』 佐賀市史編さん委員会/編 佐賀市 1977
pp.260-293 「2蒲原家」 ※pp.274-277に酒についての記載があります
(10)『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983
p.148 「蒲原家文書」「蒲原新作」の項目があります
(11)『橋の歴史とその周辺』 北原 学/著 北原学 1991
p.10 「今宿橋」 ※蒲原家について、(2)と同一内容の記載があります
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・『佐賀県酒造史』 佐賀県酒造組合 1967
p.14 「川っぷちほど酒屋は栄えています。舟便にも助けられていますし、川から酒造用水を取る便にも恵まれていますからね。」という記述があった。
・徴古館HPの連載記事
第5回 「川」は山から 「江」は海から②
https://www.nabeshima.or.jp/main.php/5092(最終アクセス日:2023.10.25)
・『神埼町史』 神埼町史編さん委員会/編 神埼町史編さん委員会 1972
佐賀江川の舟運に関する記載なし。
- NDC
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- 内陸水運.運河交通 (684)
- 参考資料
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(1)『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I10111101910392 -
(2)『日本歴史地名大系 42 佐賀県の地名』 平凡社 1980
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I10111100067872 -
(3)『佐賀市史 第2巻』 佐賀市史編さん委員会/編 佐賀市 1977
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I11121123994331 -
(4)『佐賀市の川と橋』 佐賀市建設部管理課/編 佐賀市建設部管理課 1993
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I41111100077039 -
(5)『佐賀平野の水と土』 江口 辰五郎/著 新評社 1977
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282271522019712 -
(6)『佐賀城下探訪会 佐賀城下の水系 東めぐり 佐賀江、巨勢川と十間堀 第33回』 徴古館/編 徴古館 2016
https://www2.tosyo-saga.jp/kentosyo2/opac/switch-detail.do?idx=1 -
(7)『城下町佐賀の環境遺産 1』 佐賀市教育委員会/編 佐賀市教育委員会 1991
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I41111100150081 -
(8)『都市空間の近世史研究』 宮本 雅明/著 中央公論美術出版 2005
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007669525 -
(9)『ふるさと循誘』 江原 菅雄/編 循誘公民館 1996
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I41111100004752 -
(10)『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001674602 -
(11)『橋の歴史とその周辺』 北原 学/著 北原学 1991
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130003903642815232
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(1)『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982
- キーワード
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- 佐賀江川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000353827