レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/07/02
- 登録日時
- 2021/05/01 00:30
- 更新日時
- 2021/05/01 09:13
- 管理番号
- 所沢本-2021-003
- 質問
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解決
第二次世界大戦時に、ドイツがイギリスを爆撃したことを知っているが、そのミサイルがどこから発射されたものなのか知りたい。
- 回答
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1944年のロンドン爆撃に使用されたV-1およびV-2兵器の発射地点は、おおむねフランス北部の海岸線に沿って、複数あったようです。
次の資料に記載があります。
〇『大図解世界のミサイル・ロケット兵器』 坂本明/著 グリーンアロー出版社 2001年
〇『第三帝国の要塞』 J.E.カウフマン/著 大日本絵画 2006年
〇『西部戦線全史』 山崎雅弘/著 朝日新聞出版 2018年
〇『アルデンヌ攻勢』 学研 1999年
〇『ドイツ軍の秘密兵器1939-45』 ロジャー・フォード/著 創元社 2018年
また、国立国会図書館デジタルコレクションの以下の資料にも記載があります。
〇『第2次大戦ドイツ軍用機の全貌』 航空情報/編 酣燈社 1965年
- 回答プロセス
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《所蔵資料の内容確認》
〇『大図解世界のミサイル・ロケット兵器』 坂本明/著 グリーンアロー出版社 2001年
p.6-10「ミサイルのルーツ ナチス・ドイツのV兵器と発射基地」の項あり。
p.6「A4(V2)の特徴のひとつとして、移動式の発射台から打ち上げることができたことがあげられる。(中略)敵に発見されにくい移動式発射台での運用は、戦術的に大いに有利であったからだ。(後略)」とあり。
p.9「●V1/V2両用発射基地」の図と解説あり。
「シェルブールの西方約5kmの地点に実際に建設された発射基地。建設された施設としては最大規模を誇り(ミサイル運用のために約1,000人余りの将兵・軍属が駐屯する施設や発射用設備が置かれた)、V1とV2の両方のミサイルが発射できるようになっていた。(中略)しかし、完成直後の1944年6月にはノルマンディー上陸作戦により連合軍に占領されてしまい、わずか数発のV1を発射したにすぎなかった。」とあり。
〇『第三帝国の要塞』 J.E.カウフマン/著 大日本絵画 2006年
p.285-293「驚愕兵器とV兵器基地」の項あり。
p.285「(前略)V-1およびV-2発射基地を建設する段階になると、攻撃目標がイングランドだったため、位置は必然的にフランス北部になった。(後略)」とあり。
p.286「フランス国内のV兵器基地配置図」の地図あり。
p.288「(前略)1943年夏の時点ではV-1基地は建設中だったが、12月になると第一陣の64箇所の大部分が作戦可能になった。(中略)すべての基地はフランスの海岸線から25km以内に位置していた。(中略)RAFはサントメールにあった大型基地をトールボーイ爆弾(Tallboy Bomb)で爆撃したが、大した損害を与えられなかった。もう一方の基地は、シェルブール郊外のエケードヴィルにあった。いずれもノルマンディー侵攻までには完成しなかった。(後略)」とあり。
p.288-289「(前略)2箇所のV-2大規模発射基地がカレー近郊のワタン(Watten)とウィザーヌ(Wizernes)に建設されたが、いずれもサントメールにあった空軍の主力基地の近くだった。(後略)」とあり。
〇『西部戦線全史』 山崎雅弘/著 朝日新聞出版 2018年
p.461-463「ドイツ軍の「報復兵器」V1型とV2型」の項あり。
p.461-462「(前略)一九四四年六月十三日、最初のV1型「飛行爆弾」が、北フランスの発射基地からロンドンに向けて発射された。(後略)」とあり。
p.463「(前略)V1型とV2型の発射施設は移動可能式のため、沿海地域を前進する英第21軍集団は、施設そのものの破壊をほとんど行えず、ドイツ軍はフランスとベルギー北部に展開していたV1型とV2型を、急いでオランダおよびドイツ本国に移動させた。(後略)」とあり。
〇『アルデンヌ攻勢』 学研 1999年
p.92-93「固定式発射基地と移動発射部隊」の項あり。
p.92「最大射程三〇〇キロあまりのV2ロケットでイギリス、特に首都ロンドンとその周辺を効果的に攻撃するため、一九四二~四四年の間に、フランスの、主に大西洋岸のパ・ド・カレーやノルマンディー一帯に集中して一五あまりの大小様々なV2固定式発射基地が建設された。(中略)それらの基地はほとんど使われることはなく、V2は、ほとんどが移動基地のみの運用となってしまった。(後略)」とあり。
p.129「ペーネミュンデ実験場」の図あり。
p.133「ロンドンを襲うV1」の項あり。
「(前略)一九四四年六月六日、連合軍がノルマンディーに上陸した。V1が初めて北フランスからロンドンに向け発射されたのは、それから一週間後の六月十三日である。(中略)V2の実戦使用は、V1に三か月遅れて一九四四年九月に始まった。九月六日、第四四四中隊がベルギーのアルデンヌ地方から、八月二十五日に連合軍が解放したばかりのパリに向けて二発のV2を発射した。(中略)同じ日、オランダのハーグ近郊から第四八五砲兵大隊もロンドンに向けて二発のV2を発射し、ロンドン市内に落下させた。(後略)」とあり。
〇『ドイツ軍の秘密兵器1939-45』 ロジャー・フォード/著 創元社 2018年
p.90-94「V1作戦開始」の項あり。
p.90「最初の実戦発射は1944年6月13日早朝である。10発が発射され、4発はすぐに墜落、2発は海上に落下、4発がイギリス本土に到達した(中略)パ・ド・カレーの発射基地からの発射は、連合軍が接近した8月末まで続いた。(後略)」とあり。
p.106-108「目標パリ」の項あり。
p.106「オランダのハーグ近辺には第444砲兵大隊から1個中隊、第485および第836砲兵大隊から各2個中隊、計5個中隊がおかれていた。第444および第836砲兵大隊の部隊が南部グループを形成し、フランスとベルギーの目標に対して作戦を実施した。一方、第485砲兵大隊の部隊は北部グループを形成し、イギリスを目標としていた。最初に実戦用V2を発射したのは第444砲兵大隊で、1944年9月5日パリに向けて発射した。この3日後、第485砲兵大隊がロンドンに向けて2発を発射した。(後略)」とあり。
p.108「V2発射地点と目標」の地図あり。
△『第二次世界大戦事典』 エリザベス・アン・ホイール/ほか著 朝日ソノラマ 1991年
p.354-356「ドイツ空軍」の項あり。
p.355「(前略)1944年末には大規模連続爆撃(北西ヨーロッパへの連合軍の進攻)による大混乱の中(後略)」と記載あり。
p.670-671「付録Ⅵ《1944~45年、北西ヨーロッパにおける連合軍の戦い》」あり。
p.670「1944年6月13日 最初のV-1号、ロンドンに落下。」とあり。
p.670「1944年9月8日 最初のV-2号ロンドンに落下。(後略)」とあり。
兵器名「V-1」および「V-2」を確認。
p.477-478「V-1ミサイル」の項あり。
p.477「(前略)1943年半ばには、正確な写真偵察機情報によって、連合軍はドイツ戦略爆撃から目標を転じ、V-1の生産基地と発射基地の破壊をおこなった(クロスボー作戦)。8月のペーネミュンデのロケット工場爆撃を皮切りに、主として英仏海峡沿いのV-1基地と認められた地点に3万6,000トンの爆弾を投下した。(中略)1944年6月半ばからは、V-1は移動式の発射基地からロンドンを攻撃しはじめた。連合国地上軍が沿岸の発射基地に侵入した後でも、V-1ミサイルは改造型ハインケルHe111爆撃機から発射された。(後略)」とあり。
△『第2次大戦事典 2 兵器・人名』 ピーター・ヤング/編 原書房 1985年
p.222「最初に実戦に登場(1944年6月のロンドン攻撃)したV1号は、(中略)バルト海にあるウゼドム島のペーネミュンデの研究施設で開発され、1942年に実験されたV1号はラムジェットの原理で飛行した。(後略)」とあり。
△『20世紀世界紛争事典』 浦野起央/編著 三省堂 2000年
p.907「ドイツの英国ミサイル攻撃」の項あり。
p.907「ドイツは1931年に世界最初の軍用ロケット開発のためのペーネミュンデ研究所をクンマードフに設立した。1936年、同研究所はペーネミュンデ島に移され、(中略)1942年にA4(V2)号が完成し、1944年9月から1945年3月にかけてV2号がロンドンに向けて発射された。1945年5月ドイツの降伏とともに、ペーネミュンデ研究所は米国・ソ連に接収された。」とあり。
△『比べてわかる第二次大戦兵器図鑑』 マイケル・E.ハスキュー/著 学研パブリッシング 2014年
p.132-133「報復兵器」の項に「V-1飛行爆弾」「V-2ロケット」の記載あり。
△『図説世界史を変えた50の武器』 ジョエル・レヴィ/著 原書房 2015年
p.154-159「報復兵器」の項あり。
p.157「(前略)連合軍の爆撃機がバルト海沿岸ペーネミュンデにあるロケット研究センターを攻撃したが、効果は限定的だった。しかし、(中略)V-1用に建設された96個所の発射場のうち73個所を破壊した。(後略)」とあり。
△『トコトンやさしいミサイルの本』 久保田浪之介/著 2004年
p.20-21「世界最初のミサイルは無人飛行機V-1号」の項あり。
p.20「試験飛行は1942年12月24日に行われ、(中略)初弾は1944年6月23日にドーバー海峡を越えてロンドンへ向けて発射されました。(後略)」とあり。
p.22-23「戦略ミサイルV-2号の誕生」の項あり。
p.22「(前略)V-2号の初弾は1944年9月にドーバー海峡を越えてロンドンめがけて発射されました。(後略)」とあり。
×『最新軍事用語集』 金森國臣/編 日外アソシエーツ 2019年
×『戦争の世界史大図鑑』 R.G.グラント/編著 河出書房新社 2008年
×『世界戦争事典』 ジョージ・C.コーン/著 河出書房新社 2014年
×『ロケットの科学』 谷合稔/著 SBクリエイティブ 2019年
×『宇宙ロケットなるほど読本』 阿施光南/著 2003年
×『ビジュアル博物館 第88巻 第二次世界大戦』 同朋舎 2002年
×『幻の作戦・兵器』 マイケル・ケリガン/著 創元社 2013年
×『第二次世界大戦ヨーロッパ戦線ガイド』 青木茂/著 新紀元社 1994年
×『第二次世界大戦欧州(ヨーロッパ)海戦ガイド』 青木茂/著 新紀元社 1996年
×『第二次世界大戦1939-45 下』 アントニー・ビーヴァー/著 白水社 2015年
《国立国会図書館《NDL ONLINE》にて検索》
「第二次世界大戦」と「ドイツ」の関連用語で検索。以下の資料が見つかったため、国立国会図書館デジタルコレクションにて内容を確認。
〇『第2次大戦ドイツ軍用機の全貌』 航空情報/編 酣燈社 1965年 国立国会図書館内及び図書館送信参加館で閲覧可能
p.116-122「第2次大戦中のドイツのミサイル」の項あり。
p.117「(前略)連合軍が9月5日北仏に上陸し、カレー南方地区にあった発射基地が使用しえなくなったので、ドイツはV-1を空中から発射した(後略)」とあり。
p.118「(前略)A-4が報復兵器第2号(V-2)として初めて戦場に姿を現わしたのは1944年9月8日、V-1の攻撃がしばらく途絶えて、ロンドン市民がホッと一息ついていた頃であった。発射基地はオランダのヘーグ附近であり、初めはロンドン或いは英東海岸地方を攻撃していたが、後には、アントワープに対しても行われた。(後略)」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
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- ヨーロッパ史.西洋史 (230 9版)
- 兵器.軍事工学 (559 9版)
- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 9版)
- 参考資料
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- 大図解世界のミサイル・ロケット兵器 坂本明/著 グリーンアロー出版社 2001.6 559.5 4-7663-3327-6
- 第三帝国の要塞 J.E.カウフマン/著 大日本絵画 2006.8 392.34 4-499-22913-8
- 西部戦線全史 山崎雅弘/著 朝日新聞出版 2018.2 391.2074 978-4-02-261920-4
- アルデンヌ攻勢 学研 1999.6 230.7 4-05-602059-0
- ドイツ軍の秘密兵器1939-45 ロジャー・フォード/著 創元社 2018.2 559.0234 978-4-422-21529-7
- キーワード
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- 第二次世界大戦
- ドイツ
- ミサイル
- V1
- V2
- 基地
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地図・地名
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000297749