レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年02月11日
- 登録日時
- 2010/02/11 15:58
- 更新日時
- 2010/03/04 15:41
- 管理番号
- 山形県-2008-0042
- 質問
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解決
「上杉景勝と鉄砲」「直江兼続と鉄砲」に関しての資料があれば教えてほしい。
- 回答
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直江兼続と鉄砲に関しては、関連して書かれたものがたくさんありますが、ここでは次の資料を御紹介します。
1.「上杉鉄砲物語」著者は越後から米沢に移り与板衆となった家臣の子孫です。景勝と兼続そして鉄砲とのかかわりがよくわかります。「米沢市史近世編1」には、P123からの「家臣団の編成」、「5江戸幕府と米沢藩」の項中『幕府の軍役と大坂の陣』(P174~180)「5武術と鉄砲」(P652~661)をご覧ください。初期の鉄砲術、鉄砲の製造についての記載があります。米沢に伝わる稲富流砲術に関しては「米沢風土記第2集」のP112~117『米沢に伝わる稲富流砲術』の項に載っています。
2.「直江兼続がつくったまち米沢を歩く」では、現在の米沢の地図に、直江兼続の作った城下町の町並みを重ねて表示していますので、白布高湯の『鉄砲細工小屋』『鉄砲鍛造所』鉄砲隊の住んだ『鉄砲町』鉄砲製造に関わる職人の『鍛治町』『鉄砲屋町』などを見ることが出来ます。また、P24には上杉鉄砲隊の説明も載っています。町に関しては「町内めぐり」もご覧ください。P351から「南原」P397から「鍛治町・鉄砲屋町」がそれぞれ載っています。昔から現在までの変遷もご覧になれます。
3.「直江兼続とその時代」ではその鉄砲を使っての上杉兵団の戦いぶりが『大坂の役』P149~154として、記載されています。同様の記載は「上杉家御年譜三」P351~382でもご覧になれます。
4.「直江城州公小傳」P23には『越後の舟井村で銃器を製造していたが、米沢の吾妻山中白布の高湯で銃器の製造をなさしめた」との記載があります。同様の記載は「直江兼続伝」P271~282の『鉄砲の製造』の項でもご覧になれます。「直江兼続傳」P313~339「第3節兼続と砲術」にも同様の記載があります。「上杉景勝伝」のP120~139『第ニ節城下町の造成』でも同様の記載があります。
5.雑誌等については参考資料の欄をご覧ください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 東北地方 (212 9版)
- 兵器.軍事工学 (559 9版)
- 参考資料
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資料①上杉鉄砲物語/近江雅和著/国書刊行会/1976(YK270/オオ)
資料②米沢市史近世編1/米沢市史編さん委員会編/米沢市/1991(K274.1/ヨネ/2)
資料③米沢風土記第2集/米沢市編/1967(K274.1/ヨネ/2)
資料④直江兼続がつくったまち米沢を歩く/遠藤英著/2009(YK297.41/エン)
資料⑤町内めぐり/泉崎清著/米沢新聞社/1978(YK297.41/イズ)
資料⑥直江兼続とその時代/渡辺三省著/野島出版/1980(K289/ナオ)
資料⑦上杉家御年譜三/米沢温故会編/1976(K288.3/ウエ/3)
資料⑧直江城州公小傳/米沢市編/1938(K289/ナオ)
資料⑨直江兼続伝/渡部恵吉〔ほか〕編/米沢信用金庫/1989(YK289/ナオ)
資料⑩直江兼続傳/木村徳衛著/木村益子/1969(YK289/ナオ)
資料⑪上杉景勝伝/小野栄著/米沢信用金庫/2001(YK289/ウエ)
資料⑫歴史読本/新人物往来社/(S205/レキ/199808)1998年8月号「直江兼続の鉄砲製造策」小野栄(P96~101)
資料⑬月刊おきたま/ふるさと出版社/(KS051/オキ/198101~198112)第9号「上杉景勝公、二度の上洛」香坂静子(P52~54)第11号「影勝公・庄内・秋田方面御征伐と『段母衣組(三十匁)』の由来」香坂静子(P48~51)
資料⑭置賜文化/置賜史談会/(KS212/オキ/196400~196900)1969年8月号「直江山城守兼続に関する主な遺跡について」下平才次(P13~20)
資料⑮歴史館だより/最上義光歴史館/(KS212/レキ/10)№10「鉄砲の威力」長谷勘三郎)(P8)
※( )は自館の請求記号です。
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資料①上杉鉄砲物語/近江雅和著/国書刊行会/1976(YK270/オオ)
- キーワード
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- 鉄砲
- 米沢藩(山形県)
- 直江兼続
- 上杉景勝
- 上杉鉄砲隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000063108