レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年03月11日
- 登録日時
- 2023/02/14 16:17
- 更新日時
- 2023/02/17 17:17
- 管理番号
- 新県図-01518
- 質問
-
解決
温古談話会発行『温古の栞』と大瀬庄左衛門の手記『温古の栞』との関連について
- 回答
-
当館所蔵資料を調査したところ、(1)(2)に大瀬庄左衛門の手記に関するものと推測される記述が見つかりました。ただし、手記の名前は「新潟覚書」とあります。
また(3)(4)の資料に、『温古の栞』と大瀬庄左衛門の手記との関連に関する記述が見つかりました。
(1)『近世地方経済史料』第6巻(小野武夫/編 近世地方経済史料刊行会 1932)
p167に「長岡家中にて往年新潟奉行勤務ありし大瀬家(大瀬庄右衛門と云)に蔵する新潟覚書の内要文、明治二年四月書抜。(天明四年辰年八月と有之) 1.天正の度には今の赤塚村邊に新潟港有之、(後略)」とあります。名前が庄左衛門ではなく、庄右衛門となっています。
(2)『新潟港史』上巻(風間正太郎/編 桜井市作 1917)
p23に「天明四年新潟覚書に「蒲原郡新潟港は天正之年度には今の赤塚村邊に湊町あり(後略)」とあります。大瀬庄左衛門の名は確認できませんでした。
(3)『知っておきたい新潟県の歴史』(新潟県の歴史編集委員会/編 田村裕/監修 伊藤充/監修 田中聡/編集統括 新潟日報事業社 2010)
p112に「一九三四(昭和九)年刊行の『新潟市史』(以下『旧版市史』)は、この『温古の栞』の文章を一七八四(天明四)年の長岡藩士大瀬庄左衛門の手記を基に書かれたものとした上で、「杜撰で古記に合わない」として全面否定しています。」とあります。
(4)『新潟市史』上巻(新潟市/編 新潟市 1934)
p6~7に「天明四年長岡藩士大瀬庄左衛門の手記に成れるものとして温古の栞の記載するところによれば、永正のころまで、赤塚村邊に湊あり。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000328964