レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/03/31
- 登録日時
- 2024/07/19 11:51
- 更新日時
- 2024/08/08 15:03
- 管理番号
- 2024-030
- 質問
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解決
仙台藩が取り組んでいた薬草栽培について、どんな種類の薬草をどのあたりで栽培していたのかなどを知りたい。
- 回答
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『宮城県史』や『仙台市史』によると、慶長12(1607)年、伊達政宗は徳川家康より朝鮮人参の栽培を命じられ、領内に朝鮮人参の種子を蒔いたという記録があり、その後の調査によると、仙台でも朝鮮人参が薬品として生産されていたことが判明したとある。
仙台藩内における和薬の生産は、1684(貞享元)年が大きな転換点となったとされ、場所として国分生(こくぶいけ)巣原(すはら)(国分寺薬師堂北)と宮城郡小泉村で薬種が栽培され、この薬園が仙台藩最初の薬園といわれている。また、文政時代(1800年代)には青葉区花京院付近(元寺小路)に医学校が開設され、付属農園として御薬園があったと記載されていた。
当時の資料(『仙台産和薬作出高留扣』1789年‐1802年)によると、薬草の種類は、当帰(とうき)・川芎(せんきゅう)・大黄(だいおう)・荊三陵(けいさんりょう)・白芷(びゃくし)・土木香(どもっこう)・沢瀉(たくしゃ)などで、仙台城下の村々は薬種の名産地でもあった。特に川芎は大量に生産されていて、仙台産は全国的にも名品だったとされている。
また、若林城跡でも栽培が行われていた(若林御薬園)ようで、河北新報データベースで調べると、2013年10月26日(朝刊)に「若林城跡に堀跡と薬園建物跡発見」という記事があり、若林城跡で城内に水を引き込んだとみられる堀跡と廃城後に造られた薬草を栽培する御薬園内の建物跡が見つかったという記事があった。
- 回答プロセス
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『仙台市史』と『宮城県史』の薬草・薬園に関する項目を調べ、郷土資料でも薬学や植物に関する資料を確認した。新聞や国立国会図書館のオンラインデータベースで「若林城、薬草、御薬園」などのキーワードで検索を行った。
- 事前調査事項
- NDC
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- 薬学 (499)
- 東北地方 (212)
- 参考資料
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仙台市史編さん委員会 編. 仙台市史 通史編 4. 仙台市, 2003.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004126107 -
仙台市史編さん委員会 編. 仙台市史 通史編 5. 仙台市, 2004.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007730967 -
宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 第18巻. 宮城県史刊行会, 1987.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I04115910011235 -
菅野正道 著. 伊達の国の物語 : 政宗からはじまる仙台藩二七〇年. プレスアート, 2021.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I031457742 , ISBN 978-4-9908190-6-4 -
ヒキノヒロシ 著. くすり風土記. 曳野靖子, 1989.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002117673 - 宮城県考古学会/編. 宮城県遺跡調査成果発表会 平成25年度. 東北大学大学院文学研究科考古学研究室,宮城県考古学会, 2013.3.
- 「河北新報」 2013.10/26(朝刊)「仙台・若林城跡/堀跡と薬園建物跡発見」
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仙台市史編さん委員会 編. 仙台市史 通史編 4. 仙台市, 2003.
- キーワード
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- 薬草
- 御薬園
- 薬種
- 和薬
- 仙台藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000353410