レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年04月10日
- 登録日時
- 2025/03/18 19:34
- 更新日時
- 2025/03/18 19:34
- 管理番号
- 9000043729
- 質問
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解決
源実朝の養育係だった「大弐局(だいにのつぼね)」は、加賀美遠光の娘か、妹か。
- 回答
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『角川日本姓氏歴史人物大辞典 19 山梨県』(角川書店 1989年)p.224
『源平合戦事典』(福田 豊彦/編 吉川弘文館 2006年)pp.103-104
『山梨県史 通史編2 中世』(山梨県/編集 山梨日日新聞社 2007年)「放生会と奥州合戦」pp.40-41
『全譯吾妻鏡 第2巻 自巻第八(文治四年) 至巻第十六(正治二年)』(永原 慶二/監修 新人物往来社 2011年)p.54
上記等の資料によると、大弐局は加賀美遠光の娘とある。
詳しくは参考資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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(1)『山梨百科事典』(山梨日日新聞社/編集 山梨日日新聞社 1989年)を調査。
「大弐局」の立項なし。「加賀美遠光」の項には大弐局の記述なし。
(2)『角川日本姓氏歴史人物大辞典 19 山梨県』(角川書店 1989年)を調査。
「加賀美」の項(p.224)に、「吾妻鑑」によると「文治4年7月に遠光の娘は源頼家の世話係に登用され、同年9月1日に頼朝にまみえ、大弐局(だいにのつぼね)の名を与えられ」たとある。
(3)中世史の事典類を調査。
・『「鎌倉・南北朝・室町」を知る本』(日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2009年)立項なし。
・『鎌倉武家事典』(出雲 隆/編 青蛙房 2005年)立項なし。
・『源平合戦事典』(福田 豊彦/編 吉川弘文館 2006年)pp.103-104に「大弐局」の項あり。「信濃守加賀美遠光の娘。近衛局(このえのつぼね)ともいう。(略)文治4年(1188)に頼朝嫡子頼家の養育係として幕府の官女となり、大弐局と名乗る。建久3年(1192)11月、頼朝に二男実朝が産まれると、その養育係となる。(略)建保元年(1213)5月に起こった和田合戦の後、出羽国由利郡を与えられた。」等とある。
・『日本古代中世人名辞典』(平野 邦雄/編 吉川弘文館 2006年)立項なし。
・『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993年)立項なし。
(4)「山梨県史」「甲府市史」「若草町誌」を調査。源頼家、実朝の教育係とのことから、鎌倉時代初期の部分を確認。
・『山梨県史 通史編2 中世』(山梨県/編集 山梨日日新聞社 2007年)「放生会と奥州合戦」pp.40-41に、「(略)存在感を発揮し始めたのが加賀美長清とその父信濃守遠光である。(略)文治3年8月15日、頼朝は初めての鶴岡放生会を開いたが、その際に頼朝に随行した重職の10人のうちに遠光と安田義定がいる。(略)翌4年7月4日、遠光の息女は御所に初参して頼家の教育係(「御介錯(ごかいしゃく)」)になり、7月10日に頼家の甲始めという武家の成人式が行われると、9月1日には頼朝に面会して「大弐局(だいにのつぼね)」という名が与えられ、ここに遠光一家と頼朝・頼家との緊密な関係が成立した。」とある。p.40には、1216(建保4)年に大弐局願主、運慶造立の「大威徳明王坐像(称名寺光明院)」の写真が掲載されている。
また「和田合戦」p.48に、「(略)陸奥の由利郡(秋田県南部)は加賀美遠光の娘大弐局に与えられている。」とある。
・『甲府市史 通史編 第1巻 原始古代中世』(甲府市市史編さん委員会/編集 甲府市 1991年)「遠光一族の発展と挫折」p.368に、「遠光には大弐局と呼ばれた娘がいるが、彼女は文治4年(1188)に頼家の介錯人となり、二男実朝が生まれるとその養育係に変わっている。」とある。また「東山道大将軍」p.373に、1213(建暦3)年の和田義盛の乱後に「論功行賞で長清の姉(あるいは妹)の大弐局が陸奥国由利荘郡を与えられている(略)」とある。
・『若草町誌』(若草町誌編纂委員会/編 若草町 1990年)pp.264-265「大弐局」に、「文治4年(1188)7月4日、遠光は、最愛の娘を頼朝の嫡男頼家(当時7歳)の介錯人(養育係)として参内させた。」「系図では、和田義盛の娘が遠光の妻となっており、長清・光行らの母親とされているが、事実とは認め難く、この乱でも遠光・長清らが吉森の行動に加担した様子はみられない。」等の記述あり。
(5)「吾妻鏡」を調査。
『吾妻鏡総索引』(及川 大渓/著 日本学術振興会 1975年)にて「吾妻鏡」の掲載箇所を確認。
『全譯吾妻鏡 第2巻 自巻第八(文治四年) 至巻第十六(正治二年)』(永原 慶二/監修 新人物往来社 2011年)にて掲載箇所を確認。『現代語訳吾妻鏡 4 奥州合戦』(吉川弘文館 2008年)『現代語訳吾妻鏡 5 征夷大将軍』(吉川弘文館 2009年)にて該当箇所の現代語訳を確認。
・文治4年7月4日「信濃守遠光鐘愛の息女、営中に初参す。若公の御介錯たるべきの由、定め仰せらると云々」(p.54)
→「信濃守(加賀美)遠光が特にかわいがっている息女が、初めて御所に参上した。若公(のちの頼家)のお世話をするようにと、(頼朝)が定められたという」(p.30)
・文治4年9月1日「信濃守遠光が息女、官任のために、始めて二品に謁し申す。その名大貮局となすべきの由仰せらると云々。信州盃酒を献ずるところなり」(p.59)
→「信濃守(加賀美)遠光の息女が幕府に仕えるため、初めて二品(源頼朝)に拝謁した。(頼朝は)名を大弐局とするようにと仰せられたという。信州(遠光)は盃酒を献じた」(P.38)
『現代語訳吾妻鏡 4 奥州合戦』大弐局の注(p.163)には「加賀美遠光の娘。母は和田義盛の娘。頼家・実朝の養育に当たった。」とある。
・建久3年8月9日「(略)巳の剋、男子御産なり。(略)次に阿野上総の妻室阿波局御乳付として参上す。女房大弐局・上野局・下総局等、御介錯たるべきなり。(略)」(p.254)
→「(略)巳の刻に男子(のちの実朝)を出産された。(略)次に阿野上総(全成)の室である阿波局が御乳付として参上した。女房大弐局・上野局・下総局らが介添えとなった。(略)」(p.159)
・建久3年11月5日「卯の剋、新誕の若公御行始なり。(略)女房大弐局・阿波局等これを扶持したてまつる。(略)」(p.259)
→「卯の刻に、お生まれになったばかりの若公(のちの実朝)の御行始が行われた。(略)女房の大弐局・阿波局らが介添えをした。(略)」
・建久3年12月5日「(略)将軍家みづから新誕の若公を懐きたてまつりて出御す。(略)女房大弐局近衛局杓を取り盃を持つと云々。(略)」(p.263)
→「(略)将軍家(源頼朝)自ら、生まれて間もない若公(のちの実朝)を抱いてお出ましになった。(略)女房の大弐局〔近衛局〕が酌を取って盃を持ったという。(略)」近衛局の注(p.263)は「生没年未詳。頼朝の御所に仕える女房。」とある。
『全譯吾妻鏡 第3巻 自巻第十七(正治三年) 至巻第二十六(元仁元年)』(永原 慶二/監修 新人物往来社 2011年)にて掲載箇所を確認。『現代語訳吾妻鏡 7 頼家と実朝』(吉川弘文館 2009年)にて該当箇所の現代語訳を確認。
・建保元年5月7日「勲功の事、宗たる分、今日まづこれを定めらる。(略)同國由利郡 大弐局(略)」
→「勲功について主な分が今日まず定められた。(略)同国由利郡〔大弐局〕(略)」大弐局の注(p.326)には「生没年未詳。加々美遠光の娘。将軍御所の女房。」とある。
(6)インターネットで「大弐局」をキーワードに検索。
「広報南アルプスNo.128」(南アルプス市 2018年3月発行)p.12(https://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/fs/8/1/2/7/3/_/__2018_3__No128____________________________12.pdf)に、「南アルプス市ゆかりの女性と運慶作大威徳明王像」の記事あり。大弐局が加賀美遠光の娘で鎌倉幕府二代将軍頼家、三代将軍実朝の養育係となり、権力を持ったことが書かれている。
※Webサイトは2025.2.7最終確認
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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山梨県 編集. 山梨県史 通史編2. 山梨日日新聞社, 2007.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I10111101483764 , ISBN 978-4-89710-835-3 (pp.40-41, 請求記号K20/ヤマ/, 資料番号0104225008) -
竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 19. 角川書店, 1989.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001991873 , ISBN 4-04-002190-8 (p.224, 請求記号K288/ヤマ/19, 資料番号0102028909) -
及川大渓 著. 吾妻鏡総索引. 日本学術振興会, 1975.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001331858 (p.844, 請求記号210.42/オイ/, 資料番号0101447167) -
貴志正造 訳注 , 永原慶二 監修. 全譯吾妻鏡 第2巻 (自巻第八(文治四年)/至巻第十六(正治二年)) 新版. 新人物往来社, 2011.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I023159443 , ISBN 978-4-404-04106-7 (p.54,59, 請求記号210.42/ゼン/2, 資料番号0105713119) -
貴志正造 訳注 , 永原慶二 監修. 全譯吾妻鏡 第3巻 (自巻第十七(正治三年)/至巻第二十六(元仁元年)) 新版. 新人物往来社, 2011.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I023159444 , ISBN 978-4-404-04107-4 (p.222, 請求記号210.42/ゼン/3, 資料番号0105713127) -
五味文彦, 本郷和人 編. 吾妻鏡 : 現代語訳 4 (奥州合戦). 吉川弘文館, 2008.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009544279 , ISBN 978-4-642-02711-3 (p.30,38,163, 請求記号210.42/ゲン/4, 資料番号0105336630) -
五味文彦, 本郷和人 編. 吾妻鏡 : 現代語訳 5 (征夷大将軍). 吉川弘文館, 2009.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010054208 , ISBN 978-4-642-02712-0 (p.159,165,171,263, 請求記号210.42/ゲン/5, 資料番号0105378269) -
五味文彦, 本郷和人 編. 吾妻鏡 : 現代語訳 7 (頼家と実朝). 吉川弘文館, 2009.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010605330 , ISBN 978-4-642-02714-4 (p.206,326, 請求記号210.42/ゲン/7, 資料番号0105446728)
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山梨県 編集. 山梨県史 通史編2. 山梨日日新聞社, 2007.
- キーワード
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- 大弐局
- 加賀美遠光
- 源頼家
- 源実朝
- 「吾妻鏡」
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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大弐局は、加賀美遠光の娘で、兄弟には小笠原長清や秋山光朝、南部光行等がいる。
1188(文治4)年7月4日に鎌倉幕府に出仕し、同年9月1日に源頼朝から「大弐局」の名前を与えられた。はじめ二代将軍頼家、次いで三代将軍実朝の介錯人(養育係)となった。
1213(建保元)年に起きた和田義盛の乱に際しては、勲功として同年5月7日に陸奥国(出羽国の誤りと思われる)由利郡(現在の秋田県南部)を与えられた。
名称寺光明院には、1216(建保4)年に大弐局願主、運慶造立の「大威徳明王像」がある。
・「広報南アルプスNo.128」(南アルプス市 2018年3月発行)p.12
https://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/fs/8/1/2/7/3/_/__2018_3__No128____________________________12.pdf
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000364659