レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年07月12日
- 登録日時
- 2023/11/17 12:29
- 更新日時
- 2024/01/04 14:20
- 管理番号
- 相-230005
- 質問
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解決
「杉浦梅潭 箱館奉行日記」(貴館所蔵、p.323慶応二年12月16日、p.301慶応三年5月19日)によれば幕末期に日本人が上海に渡航していますが、当時、幕府は上海等、海外に対外的な公式機関を置いていたでしょうか?
- 回答
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・『大使館国際関係史 在外公館の分布で読み解く世界情勢』木下郁夫著 社会評論社 2009
「第8章 中国の復活」の「半植民地化-広州・上海・北京・天津・満州」p.188に「南京条約の締結を余儀なくされ、新たにアモイ(厦門)、福州、寧波、上海を開港し、領事官を受け入れた」(p.188)とありますが、天津条約以前の日本について記載はありません。
「第10章 日本の挑戦」の「攘夷-開国・維新・文明開化」p.244に「鎖国時代における外交関係は、正式には朝鮮としか存在しなかった」「通信使の訪日と対馬の宗氏を通じた釜山貿易だけ」「オランダとの関係は(中略)国家間のものとは呼びがたかった」等の記述があります。「大使交換-日露戦争の一戦果」p.252に「それまで大使と呼ばれた者はない訳ではなかった」「彼らは常駐使節でなく特使」「有名なのは岩倉使節団」「北京に特派された副島種臣」「外交使節の官制は1870年に定められた」等の記述があります。
・『上海に生きた日本人 幕末から敗戦まで』陳祖恩著 大里浩秋監訳 大修館書店 2010
p.16「一八五九(安政六)年に、イギリスのP&O汽船会社が長崎と上海を結ぶ航路を開設したが、これは日本最初の海外定期航路で(中略)日本と海外を結ぶ初期の定期航路は海外の船舶会社によって結ばれたもの」とありますが、公的な機関についての記載はありません。
p.105~115「【第七章】東洋旅館—「邦人の家」」に「日本の外交特使が逗留した旅館」が立項されており、p.106「一八六二(文久二年)幕府人員は中国人が経営する旅館を借りるしかなく」、「一八六八(明治元)年八月、上海で最も早い日本人商店である田代屋が開業」等、大正一五年までの上海の日本旅館についての記述がありますが、公的な機関についての記載はありません。
・『日本近現代史辞典』日本近現代史辞典編集委員会編 東洋経済新報社 1978
p.378「大使館・公使館 たいしかん・こうしかん〔在外日本〕」が立項されており「明治3年(1870)閏10月2日はじめて公使駐在制度をしき」等の記述があります。
p.696「領事館 りょうじかん〔在外日本〕」が立項されており「明治3年(1870)8月以降締盟各国に設置」等の記述があります。
「付録5 明治初期主要官職補任一覧」のp.771に「局(慶応4.2.3~慶応4.閏4.21,1868)」に「外国事務局」とありますが、上海含め在外の期間の記載はありません。
- 回答プロセス
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・外交史、近現代史の棚をブラウジング
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 外交.国際問題 (319)
- 参考資料
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木下郁夫 著 , 木下, 郁夫. 大使館国際関係史 : 在外公館の分布で読み解く世界情勢. 社会評論社, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010110793-00 , ISBN 9784784509737 -
陳祖恩 著 , 大里浩秋 監訳 , 陳, 祖恩 , 大里, 浩秋, 1944-. 上海に生きた日本人 : 幕末から敗戦まで. 大修館書店, 2010.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010913431-00 , ISBN 9784469232615 -
日本近現代史辞典編集委員会 編. 日本近現代史辞典. 東洋経済新報社, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001367689-00
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木下郁夫 著 , 木下, 郁夫. 大使館国際関係史 : 在外公館の分布で読み解く世界情勢. 社会評論社, 2009.
- キーワード
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- 日本大使館 (在上海)
- 外交--歴史--近代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000341136