レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年05月08日
- 登録日時
- 2023/05/02 16:13
- 更新日時
- 2023/05/17 18:49
- 管理番号
- 9000039047
- 質問
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解決
内藤ますの女学家塾は、1875(明治8)年5月に常盤町38番地に建てられた温故堂社屋の2階に置かれたと言われているが、その場所は現在のどこにあたるか知りたい。
- 回答
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「常盤町38番地」は、当館の所蔵している地図では確認できなかった。『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』に記載のあった「建物は常盤町通りに面し、永源の東隣」から、現在の甲府市中央1丁目1-22~23あたりだと推測される。
- 回答プロセス
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1.質問の出典である『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』(植松光宏/著 甲陽書房 1977年)〈資料番号0101172211〉によると、温故堂店主内藤伝右衛門は、1875(明治8)年5月、常盤通りの38番地に木造二階建ての藤村式の社屋を建築移転、二階は女学校、階下は新聞社及び書店とし、印刷工場は別棟とした。
2.当館では明治時代の地図を所蔵していないので『甲府市地籍図』大正12年現在(渡邊 安五郎/製図 桜井捨次郎 1924年)〈資料番号0103560637〉を確認。
・『甲府市ガイドブック:住居表示実施地域の町名・街区』(甲府市/編・発行 1986年)〈資料番号0101945400〉p.105(中央一丁目)p.129(丸の内一丁目)で旧常盤町の位置を確認し、『甲府市地籍図』図18「桜町西」で常盤町38番地を探すが、該当の地番は常磐町の範囲には見つからない。
3.地番について、「常盤町38番地」で誤りはないかを確認。
・当時の温故堂の発行物を確認。『国史攬要字引』(西野古海/編輯 温故堂 1876(明治9)年)〈資料番号0104710256〉の奥付には「山梨第一区甲府常磐町三十八番地 出版人 内藤伝右衛門」とある。
・『山梨県政六十年誌』(山梨県/編・発行 1952年)〈資料番号0101912442〉→p1292山梨県の最初の新聞「山梨日日新聞」の前身の「峡中日報」は、発行所は峡中会社、温故堂・知新社・又新社と幾度か改められ、1875(明治8)年7月、八日町から常磐町38に移された。
・『甲府の歴史』(坂本 徳一/著 東洋書院 1982年)〈資料番号0101171528〉→p.129 1875(明治8)年5月常磐町38番地に社屋を移し、ますはこの二階で県内初の女学院を開設。
・『郷土史にかがやく人々 第3集』(青少年のための山梨県民会議/編・発行 1970年)〈資料番号0101947380〉→p.99 1875(明治8)年5月に常盤町38番地に社屋を建設移転、ますは本県初めての女学院をこの社屋の二階に設けた。
・『甲州郷土と人』(佐藤森三/編 佼成出版社 1970年)〈資料番号0104138623〉→p.138 1875(明治8)年甲府城郭内をつぶして出来上がった常盤通りに木造二階建ての社屋を作り、二階はますの女学塾とした(番地の記載なし)。
・『山梨女性史ノート 明治編:年表に見る女性の歩み』(山梨女性史ノート作成委員会/編・発行 1989年)〈0101025542〉→p.30女学塾は常盤通りに新築された社屋の二階を教室として6月2日に開講(番地の記載なし)。
・『山梨日日新聞百年史』(山梨日日新聞社/編・発行 1972年)〈資料番号0104109830〉pp.25-26 1875(明治8)年5月21日常盤町38番地に移転。今までの八日町16番地を支局として残す。伝右衛門の養母内藤満寿が旧社屋の二階に女学家塾を開いたのは1875(明治8)年6月2日(旧社屋は八日町の社屋のこと?)
※いずれの資料についても、出典(一次資料)の記載はなし。
4.社屋の場所について周辺の建物から推測できそうな資料の記述を調査
・『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』(植松光宏/著 甲陽書房 1977年)p.223「又新社(ゆうしんしゃ)」の項には、常盤町38番地は「常盤町通り「永源」の東隣で藤屋温故堂の建物のこと」とある。また、pp.195-197の「藤屋温故堂」の項には「建物は常盤町通りに面し、永源の東隣にあり」とある。pp.179-180の「小池呉服店」の項には、「小池呉服店とは、甲府市常磐町九番地(今の岡島デパート前)にあった、しにせ「永源」のことである」。商号は「永楽屋」。
・『甲府街史』(中丸 真治/共著 山梨日日新聞社出版局 1995年)〈0103110516〉pp.390-391「明治の街並み復元図」により小池呉服店(永楽屋、永源)の位置を確認。『甲府市地籍図』でこの位置を確認すると、常磐町9番地である。
・『甲府市地籍図』で常磐町9番地の東側を確認すると、番地は常盤町8の1~4。うち常盤町通りに面しているのは常磐町8-2。更に桜町通りを挟んで東側は桜町38番地である(常盤町は東西の通り。桜町は南北の通りである。常磐町の東の角は、桜町に隣接している)。
・『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』にあった「建物は常盤町通りに面し、永源の東隣」は、現在の地図(『ゼンリン住宅地図 山梨県甲府市北』(ゼンリン 2022年)〈資料番号0106968969〉等)で確認すると甲府市中央1丁目1-22~23あたりだと思われる。
5.明治時代の甲府市の地図について、山梨県立博物館「甲州文庫」資料(マイクロフィルム)を調査。明治時代の地図「山梨県下甲府之図」(1876(明治9)年)等では、県庁や銀行などの位置は確認できたが、出版社や新聞社は地図上に記載がなく、確認できなかった。
- 事前調査事項
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『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』(植松光宏/著 甲陽書房 1977年)p.195
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 教育史.事情 (372 10版)
- 参考資料
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植松光宏 著 , 植松, 光宏, 1937-. 山梨の洋風建築 : 藤村式建築百年. 甲陽書房, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001360576-00 (pp.179-180,pp.195-197,p.223) -
山本多佳子 著 , 笠井道子 監修 , 山本, 多佳子, 1951- , 笠井, 道子, 1931-. ある農民運動家の百年 : 樋口光治聞書. 山梨日日新聞社, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002725006-00 , ISBN 4897109973 (pp.390-391) -
甲府市/編 , 甲府市. 甲府市ガイドブック : 住居表示実施地域の町名・街区. 甲府市, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544587-00 (p.105,p.129) -
ゼンリン住宅地図山梨県甲府市北 : 甲府. ゼンリン, 2022.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I112298052-00 , ISBN 4432521944 (70右)
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植松光宏 著 , 植松, 光宏, 1937-. 山梨の洋風建築 : 藤村式建築百年. 甲陽書房, 1977.
- キーワード
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- 内藤ます
- 内藤末須
- 内藤満寿
- 内藤ます子
- 女学校
- 女学塾
- 温故堂
- 又新社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『山梨中央銀行創業百年史』(山梨中央銀行編・発行 1981年)〈資料番号0101964302〉pp.49-51によると、甲府城内郭の屋敷跡は公用地とされ1873(明治6)年頃から官庁関係の建物が建築、一部は民間に払い下げられた。1875(明治8)年に錦町、常盤町、桜町等の町名に改められ、地番も変更された。藤村権令の奨励により次々と擬洋風建築(藤村式建築)が建築され、1875(明治8)年には裁判所、県令邸宅、生糸改会社、温故堂、小池呉服店(永源)が建ち、1876(明治9)年には病院、師範学校、1877(明治10)年には山梨県庁等が建てられた。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000332812