レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年07月17日
- 登録日時
- 2024/07/28 11:52
- 更新日時
- 2024/08/05 21:18
- 管理番号
- 県立長野-24-075
- 質問
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未解決
『証言・満州キリスト教開拓村』石浜みかる著 日本キリスト教団出版局 2024
p.202に記述がある畑野喜一郎(1904年、長野県生まれ)の来歴を知りたい。
- 回答
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国立国会図書館デジタルコレクションで、「畑野喜一郎」「満州」「開拓」などのキーワードで検索をしたところ、畑野氏は満州に入植するまで、東京深川にあった失業者無料宿泊所「天照園」の職員として働き、『社会福利』東京府社会事業協会刊1929-1940という雑誌に複数論文を発表していたことなどが確認できる。
『満州農業移民方策(立案調査書類;第2編 第2巻 第2号)』南満洲鉄道経済調査会 1936 149コマ目の天照園職員及家族一覧表(昭和11年4月末現在)には、畑野氏及び家族の原籍地は「東京」とあった。併せて、『満洲興農関係者名簿』満洲興農関係者旧交会1954 37コマ目に、戦後帰国した畑野氏が栃木県那須村に入植し、大同開拓農業協同組合長・県開拓者連盟委員長の職に就いていたことが確認できた。調査の中で、天照園を経営した「小坂凡庸夫」の名が散見されたため、上記サイトで検索したところ、『信濃海外移住史』永田稠著 信濃海外協会1952【334.5/ナシ】p.177-193の「第4節 日露戦争後の在満信州人」の中に、信濃出身者として小坂氏の名前が確認できた。小坂氏を紹介する文中に、畑野氏が「事務員」として団員を引率したことが書かれているが、出身地や来歴の記述は見当たらない。
これらは図書館・個人送信限定サービスで閲覧可能な資料。(最終確認日:2024.7.29)当館で所蔵する『東京満蒙開拓団』東京の満蒙開拓団を知る会編 ゆまに書房2012【334.42/トウ】のp.32に、代表者として「小坂芳春 (別名 小坂凡庸夫)」の名と、次の畑野氏の説明があった。
天照園の活動に当初から参加し、天照園移民の副総裁から組合長として、最後まで団員と苦楽を共にした中心人物である
この資料のp.23-98は「第1章 天照園移民」としてまとめられており、網羅的に調査することはできないが、文中に両名の名前が散見される。
最後に、畑野氏が長野県出身であることを前提に『海外在留長野県人名簿 昭和10年末現在』信濃海外協会編・刊1936【N334/2/2】を紹介。在外長野県人の調査を行い、在留する地域ごとに郡市順で家長の名や家族数、職業、渡航年月などが記されており、満州国(関東州を含む)はp.147-243。
- 回答プロセス
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1 事前調査資料を確認する
2 回答の国立国会図書館デジタルコレクションで検索する
3 事前調査資料の参考文献にあった『東京満蒙開拓団』を確認する天照園移民は「長野県満州開拓団」ではなく「東京満蒙開拓団」であることがわかる。
4 長野県の満州開拓に関する資料を確認する
長野県は満州へ多くの開拓団を送り出した経緯があるが、当館が所蔵する郷土関連資料に「天照園移民」は確認できない。
5 戦前の海外在留長野県出身者名簿である回答資料を紹介する
<調査資料>
・『長野県満州開拓史 総編、各団編、名簿編』長野県開拓自興会満州開拓史刊行会編・刊 1984【334.42/ナガ/1-3】
・『本県の満州移住地建設』信濃海外協会1936【N334/117】
・『平和のかけはし』信濃毎日新聞社1968【334.4/シ】
- 事前調査事項
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『証言・満州キリスト教開拓村』石浜みかる著 日本キリスト教団出版局 2024
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 人口.土地.資源 (334)
- 参考資料
- キーワード
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- 畑野喜一郎
- 天照園
- 満州
- 開拓
- 長野県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000353727