レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年05月23日
- 登録日時
- 2024/06/21 18:10
- 更新日時
- 2024/07/24 22:46
- 管理番号
- 県立長野-24-052
- 質問
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未解決
戦前の長野県で海外移民事業に携わった金井富三郎氏について知りたい。長野県の移民会社業務代理人の前任者が教育者の中村国穂氏だったことから、金井氏も教育者の可能性がある。
- 回答
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ブラジル移民の仲介をしていた金井富三郎氏と、教員として小学校長を務めた金井富三郎氏が同一人物と同定できる資料は確認できなかった。
ブラジル移民の仲介をしていた金井富三郎氏の連絡先が、移民関係の雑誌に長野市妻科とあり、事務所か自宅かはわからないが、長期間この住所となっている。
長野県の教育者団体である信濃教育会が、海外移住、開拓に力を入れていたことがわかる資料を紹介した。
・『信州人の海外発展』永田稠著 日本力行会印刷部 1973【N334/31】(11-14コマ 国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定区分で閲覧可能)
p.15-20 「1 中村国穂氏」に、信濃教育会が大正3,4年頃に「海外発展主義の教育」を4大方針の一つに加える決定をしたとある。長野県は農地が少ないため、県や郡の後押しを得て海外移住により発展的な生き方を進める教育が必要だという旨が書かれている。
・『長野県満州開拓史 総編』長野県開拓自興会満州開拓史刊行会編・刊 1984【334.42/ナガ/】(48コマ 国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定区分で閲覧可能)
p.50「信濃教育会と海外発展運動」に、大正11年5月の『海の外』第2号に掲載された信濃教育会長佐藤寅太郎の「市町村の海外延長」についての文章を引用している。ブラジル移民に触れた部分で、(-前略-)然るに中村氏流感にて此の世を去り、聊か現状維持でありますが、そのあとを引き受けて金井富三郎君が奨励に努めて居ります。(-後略-)
とあった。
・飯沢義衛著「津崎さん逝く」『信濃教育』第917号 1963.4 p.44-46(48コマ 国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定区分で閲覧可能)
信濃教育会の海外発展主義の教育方針についての記述がある。また、私は大正十三年の正月のある日、妻科の寮の近くにあった海外興業長野出張所に、金井富三郎さんを尋ねたことがあり、そのときはじめて中村さんや津崎さんたちのお話を聞かされたことを思い出す。
ともある。
金井富三郎氏が教員として記されている資料は、次のとおり。当館所蔵資料の悉皆調査ではない。
・『中洲小学校百年のあゆみ』中洲小学校百年の歩み発行会編・刊 1975【N376.2/100】p.268「中洲小学校在職職員名簿」明治21年度 金井富三郎 (明治22年度より明治25年度まで、資料なし)明治26年度 金井富三郎 (明治27年度より明治30年度まで、資料なし)
その後名前は見られない。
・『雑誌 信濃教育 明治27年』国書刊行会 1982(88-99号の復刻) 93号(M.27.6) p.21諏訪郡中洲尋常高等小学校訓導 金井富三郎
・『雑誌 信濃教育 明治29年』国書刊行会 1982(112-123号の復刻)120号(M.29.9) p.39
諏訪郡中洲尋常高等小学校訓導 金井富三郎
明治三十年三月卅一日迄休職ヲ命ス(九月八日)
・『雑誌 信濃教育 明治29年』国書刊行会 1982(112-123号の復刻) 121号(M.29.10) p.32
休職諏訪郡中洲尋常高等小学校訓導 金井富三郎
任諏訪郡岡谷尋常小学校訓導 (十一月十日)
・『雑誌 信濃教育 明治30年』国書刊行会 1982(124-135号の復刻) 124号(M.30.1) p.39
兼任校長 諏訪郡岡谷尋常小学校訓導 金井寅三郎 (十二月廿六日) [※誤植か?]
・『岡谷小学校百年史』岡谷小学校百年史編纂委員会編 岡谷小学校開校百年記念事業実行委員会 1974【N376.2/99】
p.698「岡谷小学校関係者名簿」明治29年度 金井富三郎
明治30年度 金井富三郎
・『雑誌 信濃教育 明治31年』国書刊行会 1982(136-147号の復刻)
146号付録(M.31.12)「職員録」(明治31年11月15日現在) p.38洗馬尋常高等小学校長 金井富三郎
・『長野県学事関係職員録 自明治32年度至明治36年度』信濃教育会編・刊【N370/101/’99-‘03】
明治32年 p.47 洗馬尋常高等小学校 校長 金井富三郎
明治33年 p.48 洗馬尋常高等小学校 校長 金井富三郎
明治34年 p.54 洗馬尋常高等小学校 校長 金井富三郎
明治35年 p.83 洗馬尋常高等小学校 校長 金井富次郎 [※誤植か?]
明治36年 p.62 洗馬尋常高等小学校 校長 金井富三郎
・『洗馬小学校沿革誌 開校八十年記念』
沿革誌編集委員会編 洗馬小学校開校八十周年記念事業委員会 1969【N376.2/261】
巻頭「歴代校長」 第5代 金井富三郎(明31-36)(写真あり)
・『小布施小学校沿革誌』小布施小学校沿革誌編集委員編 小布施小学校沿革誌刊行会1973【N376.2/49】
編年体で編まれた資料で、p.84の明治37年3月1日小布施尋常小学校に、校長として赴任している。小布施尋常小学校は、この4月1日に小布施尋常高等小学校に変更になる。ここで、大正9年4月17日に、中沢照琳氏を校長に迎えるまでの16年1か月在職している。p.131に大正9年4月24日に村主催の表彰式があった旨の記述があった。p.306に歴代校長の写真がある。
・『長野県学事関係職員録 明治40年』信濃教育会編・刊【N370/101/’07】 p.72小布施尋常高等小学校 校長 金井富三郎
・『長野県学事関係職員録 大正8年』信濃教育会編・刊【N370/101/’19】p.128
小布施尋常高等小学校 校長 金井富三郎
・『長野県学事関係職員録 自大正9年至大正11年』信濃教育会編・刊【N370/101/’20-‘22】
大正9年(1920年) p.134 小布施尋常高等小学校 正教員 休 金井富三郎
大正10年 小布施尋常高等小学校には記載なし 他校にも記載なし
大正11年 記載なしまた、次の資料は岩波茂雄(岩波書店創設者)について書かれたものの中に、金井富三郎氏の名前が見られる。
・「”茂雄さ”という人」『信濃教育』984号 p.116-120 1968.11(国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定で閲覧可能)
p.116 高等小学校2年のときに、金井先生が開いた、討論をしたり作文を書いたりする校友会に毎週参加していたことが書かれている。
・『あすを築いた人々 第4集』信濃教育会出版部編・刊 1960【28/シ/4】(国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定で閲覧可能)
p.28 金井先生が話してくれた西郷隆盛に影響を受けたことが書かれている。
・『岩波茂雄』山崎安雄著 時事通信社 1961【281.08/17/2】(国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定で閲覧可能)
巻末p.241からの「岩波茂雄年譜」の昭和20年に、9月 長野市で藤森省吾の葬儀の際に脳溢血で倒れそのまま長野市妻科で療養している。10月10日に、妻科で「小学校時代の恩師金井富三郎に邂逅す。」とあった。この時のことが、同書の本文p.232-234にも記されている。(122コマ)教員として小学校長を務めた金井富三郎氏とブラジル移民の仲介をしていた金井富三郎氏が同一人物の可能性がある資料としては、次のものがあった。
・『雑誌 信濃教育 大正9年』国書刊行会 1982(399-410号の復刻)
第399号 彙報 p.43に、大正9年1月7日に中村國穂氏の逝去したことが記事の一部になっている。
『長野県学事関係職員録 自大正9年至大正11年』(前掲)の金井富三郎氏の大正9年度の「休」が、中村國穂氏の跡を受けての海外興業長野出張所の業務とかかわりがあるかは言及されていない。・『紺綬褒章名鑑 昭和十七年-昭和二十二年』総理府賞勲局編・刊 1987【317.5/17/2】(134,161コマ 国立国会図書館デジタルコレクション図書館・個人送信限定区分で閲覧可能)
p.249,303に、昭和19年2月22日、および同年5月4日付で紺綬褒章がそれぞれ授与されている。ここに「明治2年12月2日生」と記されている。
- 回答プロセス
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1 『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社 1989【N283/13】、『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』角川書店 1996【N288/158】など郷土史に関する人名事典を調べるが記載されていない。
2 利用者が調査済みである国立国会図書館デジタルコレクションで「金井富三郎」を検索する。移民系の資料がヒットするほか、「岩波茂雄」(岩波書店の創業者)に関係する資料が目につき、内容を確認する。岩波茂雄が学童期に影響を受けた先生の一人に「金井富三郎」がいたことがわかった。
3 『岩波茂雄』には、岩波茂雄が晩年に長野市妻科で偶然恩師である金井先生と邂逅した旨の記述があった。岩波茂雄の日記からは金井先生がこの時、何をしていたのかは書かれていなかったので、海外移民事業に携わった金井氏と同一人物かは確定できない。
4 当館で所蔵する『長野県学事関係職員録』を調べる。古い資料は欠号が多く、氏名からの索引もないため、各冊を悉皆調査することはできない。岩波茂雄の出身校である諏訪郡中洲尋常高等小学校周辺地域を調べていく。
5 『雑誌 信濃教育』国書刊行会 1982(復刻)も、関係地域の周辺のみを調べる。この2点で判明した学校について、所蔵する学校史で、職員名簿、沿革などを確認する。『信濃教育』の前身である『信濃教育会雑誌』の明治期のものには、教員の異動辞令が掲載されているため、赴任先等を調査する。
6 『長野県学事関係職員録 自大正9年至大正11年』の大正9年に、休職と思しき掲載がある。その後金井氏の足跡は辿れなくなる。
7 国立国会図書館デジタルコレクションで、雑誌『信濃教育』を中心に、「金井」「富三郎」を検索する。
8 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で、大正8年から9年にかけて、「金井富三郎」を検索したが、該当記事は確認できなかった。この時期の記事は、全文検索ではなく、主な記事につけられたキーワードによる検索となっている。
9 長野市妻科に居住していたか、移民会社業務の事務所があったと思われるので、『妻科の歴史資料1』妻科町公民館編・刊 1977【N212/134】等を調べるが、金井氏に関する記述は確認できない。
<調査資料>
・『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社 1989【N283/13】
・『長野県姓氏歴史大辞典』長野県姓氏歴史大辞典編纂委員会 角川書店 1996【N288/158】
・『長野県教育史 第3巻 総説編3』 長野県教育史刊行会編・刊 1982【N372/52/3】
・『中洲村史』細野正夫 今井広亀共著 中洲公民館 1985【N241/126】
・『中洲福島郷土史』平成改訂版 矢島文夫編 福島郷土史編纂会 2017【N241/241】
・『創設二十五年』アリアンサ移住地史編纂委員会編 信濃海外協会 1952【N334/55】
・『信濃海外移住史』永田稠著 信濃海外協会 1952【334.5/ナシ】
信濃教育会が長野県の海外移住に関して大きくかかわっていたことが記されている。
・『長野県報』自大正 9年1月至大正 9年 5月
・『長野県報』自大正 9年5月至大正 9年12月
・『長野県報』自大正10年1月至大正10年 6月
・『長野県報』自大正10年7月至大正10年12月
・『信濃教育会五十年史』信濃教育会編・刊 1935【N372/11】
・『雑誌 信濃教育 明治19・20年』国書刊行会 1982(1-15号の復刻)
・『雑誌 信濃教育 明治21年』国書刊行会 1982(16-27号の復刻)
・『雑誌 信濃教育 明治28年』国書刊行会 1982(100-111号の復刻)
・『雑誌 信濃教育 大正8年』国書刊行会 1982(387-398号の復刻)
・『雑誌 信濃教育 大正9年』国書刊行会 1982(399-410号の復刻)
・『小布施町史』市村郁夫編 小布施町史刊行会 1975【N214/40】
金井氏の記載はあったが、校長退職後の金井氏については記されていない。
- 事前調査事項
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国立国会図書館デジタルコレクション で以下資料を見て、金井氏が長野県下で移民募集・送出事業に携わっていたことを確認たとのこと。
・『移民地事情』第五号(海外興業株式会社 1927)p.20に、「長野 長野市妻科二八九 金井富三郎」
・海外興業株式会社 編『南米ブラジル事情と渡航案内 昭和6年版』(1931)p.69
「長野 長野市妻科二八九(電話長野一八一〇番) 金井富三郎」
・海外興業株式会社 編『南米ブラジル事情: 附・渡航案内 昭和9年版』(1934)p.66
「長野 長野市妻科二八九(電話長野一八一〇番) 金井富三郎」
・海外興業株式会社 編『南米ブラジル事情 : 附・渡航案内 昭和11年版』(1936)p.69
「長野 長野市妻科二八九(電話長野一八一〇番) 金井富三郎」
・『伯剌西爾行移民名簿 第貳拾貳回』「...廿六日廿五年四々月金井富三郎扱廿四日年貝廿三年さ...年三四年日日月日同三金井富三郎扱三人人年年女八ケ廿...卅二年世六月日年日目生年月日金井富三郎及三金井富三?扱人人年卒三一月...」他・『町報おぶせ』2020年9月号の「小布施人物伝 高井鴻山」(p.4)に高牟義塾卒業生として「金井富三郎」の名があり、「近隣の小学校長になり、長野県教育の発展に尽くした」とある。(NDL WARPの「過去のウェブサイトの全文検索」でヒットする)
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 人口.土地.資源 (334 10版)
- 教育史.事情 (372)
- 参考資料
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永田稠 著. 信州人の海外発展. 日本力行会印刷部, 1973.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001156551 (【N334/31】) -
長野県開拓自興会満州開拓史刊行会 編. 長野県満州開拓史 総編. 長野県開拓自興会満州開拓史刊行会, 1984.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I37111110184932 (【334.42/ナガ/】) -
信濃教育会/編. <長野県学事関係>職員録 自明治32年度至明治36年度. 信濃教育会, 1904.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I20111005010023667 (【N370/101/’99-‘03】) - 岩波茂雄 (』著 時事通信社 1961【281.08/17/2】)
- 雑誌 信濃教育 大正9年. 国書刊行会, 1982(399-410号の復刻). (第399号 彙報 p.43)
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永田稠 著. 信州人の海外発展. 日本力行会印刷部, 1973.
- キーワード
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- 金井富三郎
- ブラジル移民
- 岩波茂雄
- 信濃教育会
- 信州学
- 海外発展主義
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000351819