(以下、紙媒体資料については丸数字、その他の情報については丸括弧付き数字を表記する。)
1 自館資料調査
①『会誌』第四号 郷土研究会事務局 1978
p.2 万作について貫井一郎氏の記述あり。
「門前部落には文化文政「一八〇四-一八三〇」頃から万作踊りの一座があったとい う。」「当時は現在のように娯楽のなかった時で農民地震の慰安の為或は作物の豊作 等を願って、神社等に奉納したのが始めだと思われる。」「その一座は総勢十人位で 明治の日清日露の戦勝の頃が最も盛んであったと言う。門前で最後に講演したのが昭和三年稲荷神社の落慶式だったそうだ。」「中里万作は門前部落の松慶という人から教わったとの言えもあるという。はたして門前部落が万作発祥の地であるかどうかはわからない。」とあり。
②『久留米の昔話を聞くー合本復刻版―』東久留米市教育委員会社会教育部文化課/編 東久留米市 1984
p.15「万作というのがね、昔からあったそうで」、「《落合》と門前とくんでいたらしいんです」とあり。「清瀬の中里万作保存会っていうのがあって(中略)その言われが書いてあるんですが、(中略)幕末に関東一帯に万作おどりというおどりが流行した。土地では寛政年間に隣村の現在の東久留米に行って、もと鍛屋のチュウゾウという人から教わった。ということが書いてあるんですよね。」とあり。
p.16「氷川神社に集まりいろいろ会合のうえで雨ごい万作というのをやった」とあり。
→万作おどりとは別物か。
<その他調査済み資料>
・清瀬市指定無形民俗文化財「中里万作」について「多摩のあゆみ」第33号 多摩中央信用金庫 1983
(たましん地域文化財団デジタルアーカイブ)
https://adeac.jp/tamashin/catalog/mp003308-100010・「中里万作:市指定無形民俗文化財」(清瀬市ホームページ)
https://www.city.kiyose.lg.jp/bunkasportskankou/rekishi/shirekishi/1002311.html・中里万作(東京都清瀬市)
http://tamanokyodogeino.kids.coocan.jp/kitatama/nakazatomansaku/nakazatomansaku.htm・「北多摩神社誌」北多摩神道青年会むらさき会 1976(国会デジタルコレクション pid12268015)
・『多摩のあゆみ』第56号・特集多摩の祭りと芸能 多摩中央信用金庫 1989年8月
・『ふるさと昔語り』新谷尚紀/編 東久留米市 1982
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